自分の子どもが、やりたいことをどこまで許容するのか。
行動ではなく、自分のお金で何かものを買って良いか聞いてきたら。
正解がない典型的な質問で、じっくり考えてみてもグレーになる要素がたくさんです。
何かを実現したり、安価にものが買えるようになった時代ゆえの悩みでもあります。
宝物に出会う幸せ
自分が子どもで、鉄道好きだったとします。
毎月楽しみに、図書館で読んでいるお気に入りの鉄道雑誌に、1台の精密な機関車模型の広告を見つけたという架空のシチュエーション。
その機関車模型は、自分が一番好きな車両、貴婦人の異名を持つ「C57形蒸気機関車」でした。
「D51(デゴイチ)」はメジャーなので認知度は高いですが、C57である点もマニア。
僕は、D51とC57の違いがわかりません。
しかし、この架空の子の頭の中では、あの曲線があのパーツが、と妄想全開。
あまりにカッコよく、寝ても覚めても頭から離れない。
その鉄道模型が10万円だったとします。
働いていない子どもが自分の所持金で買うなら、何年もお小遣いやお年玉を貯めないと手が届かない。
しかし欲しい気持ちは、活火山の溶岩のごとく、熱くあとからあとからあふれてとどまりを知らず。
その子は最終的に、イロイロなものを我慢して、数年後に目的の機関車を入手しました。
多分、入手した時からしばらくは、肌身離さず、寝るときも枕元に置いておくくらいの愛着。
そして、随分先になって分かると思いますが、それは生涯かけがえのない「思い出」になる気もします。
実際、僕はこうしたものに出会ったことがなく、想像の域を出ません。
これほど極端ではないにせよ、自分の子どもが、何かを本気で欲しがっていたらどうするのか。
限界効用逓減の法則
子どもが、欲しいものを入手するために、自分の財産(お小遣い)の範囲内で購入する。
僕は、危険物など一般的にNGなものでなければ、それが何であれ、許容したいと思っています。
僕に興味がなくとも、その子には魅力的な一品。
子どもが女の子で、その子が何十万円かのグッチバッグを買ったとして。
僕にはその価値が分かりませんが、それはその子には大事なモノ。
実際に使うのかどうか分かりませんが、大事に丁寧に扱う姿が想像できます。
と言っても、子どもがグッチを持っていると、トータルコーディネートとしてバランスが悪いくらいは、指摘しそうです。
ですが、本人に届く言葉とは思えません。
自分のお金で、失敗して学ぶ。
その経験も重要ですし、なんでもたくさん欲しがるのが、幼少期の人間の特徴。
限界効用逓減の法則を持ち出すまでもなく、大人になればそれは分かります。
財1単位の増加から得られる効用すなわち限界効用は,その財の保有量 (消費量) が増加するに伴って低下していくという法則。たとえば2台目の自動車から得る限界効用は1台目の自動車から得るものより小さい。
出典:限界効用逓減の法則(コトバンク)
子どもにどこまで与えるのか
では、自分のお小遣いの範囲内ではなく「買って買って買って」にどこまで応えるか。
言い換えると、子どもにおもちゃを、欲しがるだけ与えるか。
たいていの人と同じく、僕は全部はNo、状況に応じて一部OKの姿勢です。
スーパーで食玩付きオモチャを買ってしまうのは、都合よく除外したりします。
何でも買い与える行為に対し、一般的によく言われる、「甘やかし」とか「我慢を覚えてもらう」などには同意です。
ただ、考えすぎですが、好きをブロックし過ぎで、好奇心を阻害、無気力化になる危険性も頭をよぎります。
「欲しいモノ」ではありませんが、「やりたいこと」も同じく、グレーゾーンで悩むことです。
極端な例として、子どもがご飯を食べるとき以外、ずっと勉強していたらそれを止めさせるか。
僕の知り合いで、実際こういう人がいて、その子の親は一度も勉強を止めませんでした。
反対に悪例として良くニュースとなる、ゲームをやり続けていたら。
たいていの親は、1日x時間まで、などのルールを課すような気がします。
「ゲーム依存症」の言葉がある通り、「依存症は」依存度が高く一般生活に影響がでるような行為についての言葉のような気もします。
「勉強依存症」は聞いたことがないので、一般的に役に立ちそうなものには使われない言葉なのか。
依存症の言葉があるかどうか別に、それぞれのご家庭、子どもの状況で良い悪いの判断は分かれます。
それがたとえば読書だったとしたら
僕は本が好きで、年に何冊か、引き込まれる物語に出会います。
そんな本を読んでいる期間は、何をするにもソワソワ。
早く仕事を終わらせて帰宅、寝る準備を慌ててして、本を持って布団に入る。
至福の時間です。
では、子どもが本が好きで、夜11時、12時まで読書していたら。
僕は「早く寝なさい」と強く言えません。
子どもにとって、寝食を忘れるくらい読書が好きで、その世界に浸っている。
一般的に読書は良いものとされているように、僕も読書は人に良い影響が多いと考えています。
子どもが何かに集中していたら、いかなる理由があってもそれを妨げてはいけない意見にも一理あると考えている。
それとは逆に、僕は子どもはできれば幼少期は9時、遅くとも10時には寝てほしいと考えています。
これに反することになるので、悩ましい。
実際に、まだこのシチュエーションにわが家はなったことはありませんが、なったらなったで嬉しいような困るような。
子どもが読書で夜更かしした次の日、ちゃんと学校に行って、それなりの成績を修めていたら、許容しそうな気もします。
自分の一貫性のなさの典型例です。
さいごに
「あなたが、いままで入手したモノで、一番うれしかったものは何ですか?」
この問いに僕は、自信を持って「これだ」と言えるものがありません。
長期間、続いている趣味もなく、ずっと好きなものも思い当たらず。
自分が、飽き性でもあり、ものに執着しない性質だと、改めて認識できる質問です。
子どもの頃は漫画が好きだったり、幼児時代は戦隊ものやウルトラマンは大好きでした。
ウルトラマンのフィギュアが、いままで生きてきて一番嬉しいものかと言われると否。
僕は、大人になって子どもを持った後、漫画『スラムダンク』を大人買いして、一気読みしました。
そのおもしろさは、年月を経ても色あせていない、歴史に残る作品だと改めて感じました。
それでも、やはりこれが自分が入手した中で1番ではなく、かつ簡単に大人買いできる点も、特別感はうすくなります。
昔読んだものを随分あとに読み返すと、自分の感じ方、視点が変わっているのは、興味深い点ではありました。
スラムダンクで言うと、安西監督や澤北の父親に言葉に共感する自分は、立派なオッサンです。
ただ、モノで1番嬉しかった記憶がなくとも、いま僕には1つ特別があります。
たいていの親と同様「自分の子ども」は、比較できるものがありません。
孫はどうなのか・・・、僕には孫がいないので分かりません。