大人にとって価値が低いものに、感情移入する子ども。
すぐお金に換算し慣れている大人脳のなせる業でもありますが、子どもは自分の好きなものにまっすぐです。
効率性や経済性で判断している自分が良いのか、時に迷います。
子ども時代は特に、感情に身をゆだねても良いのではと思います。
思わぬものに感情を乗せる子ども
ある時、わが家の子どもは、お手製の新幹線に、深い感情移入をしました。
ある児童館にあった、多分、児童館の担当者が自作された新幹線。
大きさは30センチ程度の円筒形で、1メートルくらいの引っ張る紐がついています。
本体は布か何かを心材にして、外側に硬めの黄色のビニールで覆っているもの。
子どもが歩きながらひっぱる、ドクターイエロー(新幹線)でした。
お世辞にも、精度が高いわけでもなく、子ども相手なので頑丈さが求められるので大味な出来。
わが家の子どもは、コレに一目ぼれしました。
新幹線以外にも、消防車やトラックなどありましたが、わき目も触れず抱きしめて離さない。
たまに思うのですが、人間は形状を脳内でデフォルメして解釈します。
出来がイマイチでも、新幹線風であれば、それは新幹線と思い込みます。
わが家の子どもは件の新幹線を、児童館内でずっとズルズル引きづっていました。
トイレに行くとき「外に置いておこう」と言うと、「取られるからイヤ」とトイレ拒否。
そして児童館を出るとき、何度も収納場所に戻しては、数歩遠ざかってまたそこに行って触る。
それを何度か繰り返して、最後に号泣。
「またここに来て、また、また、一緒に遊ぶのーーー!」
これは喜怒哀楽でいえば、「哀」と「楽」、「喜(の記憶)」も含まれていそうです。
大好きな新幹線と楽しく遊べ、離れるのが悲しい。
正負のどちらかというと、正の感情のような気もします。
別れ際に感極まって泣くように、子どもは感情のコントロールが未熟。
たまに暴走して、手がつけられないくらい怒ることがあります。
「そうだよね」と言うだけ
子どもが怒ることをどこまで許容するのか、答えがない問いです。
大人になって怒ってばかりいるようであれば、それはアンガーマネージメントを進めらます。
それに対し、小さな子どもに感情コントロールを強要するのは、酷というか求めない方が良いと僕は思っています。
子どもに感情を押し殺すのを強制する弊害の意味でも、感情を認識してすこしづつ向き合い方を一緒に考える。
僕は子どもが感情ファーストな状況になったら、まずはスローダウンを心掛けていました。
何が気に入らないの。
どうしてそれがイヤなの。
そうだねぇ、それはイヤだよねぇ。
どうしたら、良くなるのかなぁ。
たいていの大人も経験していると思いますが、話す相手が落ち着いていると、自分もだんだん落ち着いてくる。
もちろん、子どもの気質によって、感情を出させる方向を目指すのが良いケースがあるかしれません。
しかし、感情論でぶつかり合ってもたいていはマイナス。
そこは、大人としてのふるまいを見せる場面かもしれません。
怒った子どもに、大人側が冷静に対応、いくつかの対策をやってみる。
それでも納まりがつかないときは、子どもが好きなもに気をそらせるのもアリだと思っています。
切替のアイデアだし
心理学実験で有名な「シロクマ実験」があります。
A・B・Cの3つの実験参加者グループを用意する。
すべてのグループにシロクマの1日を追った同じ映像を見せる。
Aグループの参加者には、シロクマのことを覚えておくように言う。
Bグループの参加者には、シロクマのことを考えても考えなくてもいいと言う。
Cグループの参加者には、シロクマのことだけは絶対に考えないでくださいと言う。
一定の時間が経ったあと、実験協力者に映像について覚えているかを尋ねる。
この実験において、最も映像について詳しく覚えていたグループは「絶対に考えないで下さい」と言われたCグループであった。出典:皮肉過程理論(wiki)
視点を反らすのが、「効果がある」という結果です。
大人でもそうですが、視点を反らす先が子どもが好きな「何か」であれば、効果は劇的です。
おやつ。
おもちゃなど趣味。
好きなテレビ番組。
取引になるので、これを常態化するのは避けたい気持ちはいつもあります。
しかし、現実、目の前で大爆発している状態を、火消しないといけない場面も時にあります。
感情をコントロールする功罪
大人になって社会に出ると、感情コントロールは必須です。
いまは、会社で大声で怒鳴っている人は皆無の時代。
一昔前にオフィス内で怒鳴っているオッサンがいたのは、若い方には異次元の光景と想像します。
時代の流れもありますが、実際、怒鳴って良いゴールに近づけるか、考えれば分かります。
もちろん、伝えるべき内容を言わないのではなく、言い方を考えて相手に伝わるように話す。
大人社会では基本です。
ただ、理路整然としたものばかりが「正解」にならないのも現実。
健康志向ブームでも、マクドナルドでヘルシーなメニューが売れなかったのも、その一例です。
また、子どものうちから、感情にふたをし続ける危険性も感じます。
子どものうちこそ、楽しい、悲しいをたっぷり経験してほしい親のエゴはあります。
好きなことを仕事にするのが良いか悪いか。
これも、その時期になってみないと分からないと、僕は考えています。
そんなことより、何歳になっても、感情のアンテナが高い方が人生楽しい。
感情を表に出すかどうかはありますが、摩耗しがちな感性は、意識していても良いです。
さいごに
子どもの感情が豊かだと、親側が疲れるので、聞き分けの良い子が育てやすい。
それは一面、正しい気もしますが、ふと思うのが感情が乏しいケース。
日常であれば、感情をコントロール技術が高い人の方が、生きやすいのは確かです。
ただ、感情を殺し過ぎて、心が動かなくなってしまわないか。
感情を殺すのではなく整える。
小さな自分の声を聴けるだけの自分でいる。
自分のことなのに、分かっていないなぁ、と僕はたまに自省しています。