ボール回し技術を鍛える意味

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ライフハック・節約

リモート会議で求められる発話者の的確な発言。
ボールをうまく受け渡さないと、微妙な空気感の沈黙タイムが訪れます。
人が見えない状況では、視覚情報から空気を読むことはできません。
どこかの感覚が遮断されると他の何かで補うように、リモート会議では言葉の重要性が増しました。

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日本人が好きな空気を読む

数年前「空気を読む」が、バズワードになりました。
全体の流れやその場の雰囲気を読んで、適切な行動や発言をしましょう、というもの。
その後も「空気」に関する内容は、ことあるごとにトピックスになりました。

・空気を読む(日本の伝統芸能の要素も、阿吽の呼吸なのか)
・空気が読めない(KYという言葉も流行りました)
・空気を読みすぎの日本人は世界標準ではない(空気感で伝わると勘違いしている日本人への警鐘)

上記はどれも、総論の話で、現実はその場の状況で変わります。
いつでも状況把握は必須ですし、そこからどうアクションを起こすのか(起こさないのか)。

いまは、日本人以外の人々と仕事やプライベートで、つながる時代です。
そこに日本国内のみで通用していた、「空気を読む」は無理筋。
世界のさまざまな文化や宗教、背景を持った方が集まれば、お互いそれぞれ尊重して、調和点をみつける時代です。
バックボーンが違う人々と、フワッとした言葉や態度で挑んでも、どこにもたどり着けません。

言語化の重要性は、リモート会議で一段、高まりました。

ファシリテーションの必要性

コロナウィルス禍で、テレワークが普及し、パソコン越しの会議が増えました。
ディスプレー越しの会議では大別して、画面に参加者が映っているか、音声のみの場合があります。
画面に人が映っている場合でも、参加者が多ければ一人の人間が映し出されるサイズは小さくなる。
また資料が映し出すと、人は画面から消えます。
結果、会議同席者を見ることが、ほぼできなくなりました。

僕がいま、実際にやっている社内、社外問わずのリモート会議は、たいていは音声のみです。
過去に、参加者を映してましたが、トラフィックが重くなり、ネットワーク回線が弱いだれかの音声がとぎれとぎれに。
結果、いまは資料を映すことはあっても、会話するだけの時も人を映さなくなりました。
余談ですが、どこかの調査結果で、画像共有する場合と音声のみでは、約10倍のトラフィックの差らしい。

全員が同じ場所に集まって、目の前に人がいるリアル会議と、リモート会議では発言の仕方で違うことが求められます。
その最たるものが、だれがボールを持っているのか(発言するのか、させるのか)、明確にする。
発言の最後の言葉をどうするのか。

意識するのは「これで自分の発言は終了、次の人にボールを渡します」を、聞いている参加者が理解できる言葉を使う。
または発話者が全員に向けて「いかがでしょうか」的な場合で、だれも話し出さないのであれば、議長がAさんどうでしょうか、のようなだれかにボールを渡す。

やってみると分かるのですが、「沈黙」の重さががリアル会議とは違います。
無音状態が3秒続くと、「だれが話すの?」の微妙な空気が流れます。
脱線しますが、昔、はじめてのデートで、沈黙を恐れていた気持ちを思い出します。

リアル会議では沈黙があると、周りを見回して参加者がどうしているか把握できます。
配布資料を読み込んでいるのか、議長が次の何かの準備をしているなど、視覚情報があれば安心できます。
リモート会議ではこれができないので、言葉でどこにボールがあるのか、なるべく全員がボール回しを意識する。

リモート会議を経験して、ファシリテーション技術の重要性が増していることに気づきました。

相槌はもろ刃

リモート会議で、ボールの所在を明確化する以外に、リアル会議にくらべより強力なパワーを持つものが「相槌」。
「はい」「なるほど」「そうですね」などを、発話者の発言の間に、必要最小限うまく挟み込む。

リモートだと発話者側が相手の表情や挙動が見えないので、聞き手が同意を持って聞いているのか分かりません。
ここに、適切の「合いの手」が入ると、発話者の話しやすさがグッと上がる。
弱点は、相槌タイミングや言葉選びが悪いと、発話者の発言を滞らせてしまうことです。

リモート会議でも、脱線(主に雑談)はありますが、個人的には脱線の数が減ったと感じています。
リアル会議では、会議の途中でも脱線がちょこちょこ入りましたが、リモート会議では雑談するなら本題終了後。
定例会議などでの、アイスブレイク(会議の初めに場の空気を柔らかくする)も、少なくなった気がします。
ぎゅっと凝縮して、パッと解散する。
会議が横道に逸れないよう、参加者が意識している状況になっています。

逆に、リモート会議でイマイチな行為だと思うものは以下です。

ボールを持った人が黙り込む(調べ物をするも含む)
意味のない相槌や、タイミングが悪い
不用意な言葉が多い(リアル会議以上に不必要さが目立つ)
瞬時に切り替えられない、その場で悩んだりして時間を浪費
相手の言葉にかぶっても平気な人

僕はリモート会議をやってみて、リアル会議以上にサクサク進む心地よさが好きです。
イマイチの会議でも、音声だけ聞いていて別の画面で自分の仕事をする、内職がはかどります。

空気を読むことが難しいリモート会議ですが、子どもにとっては空気を読む経験は必要です。

空気を読むのも重要な経験

子どもは基本、自分中心世界で生きています。
自分の話を聞いてほしい、相手の言い分は聞かない。
一定の年齢まではそれで良く、ここに自尊心を育てる土壌があると僕は考えています。

それが一定の年齢になると、周囲との調和が求められる。
これまでとは逆の発想、自分が主体ではなく、全体の総和。
自尊心の土台がしっかりした上で、他者との協調は、人のためでもあり自分のためにもなります。

人との調和、自分がどう行動するのかは、経験を積む必要があります。
経験するとたくさんのことを学べるものとして、リーダー経験があります。
経験すればだれでもわかる、人をまとめる大変さ。
何度もトライして失敗して、その経験から自分なりのやり方を何種類か持ち、その後臨機応変に対応していく。
最大の学ぶ点は「他人は思い通りにならない」だと、思っています。

議長経験も、リーダー経験と重なるところがあります。
議長は会議のリーディング役として、事前準備から、会議の進行、アイスブレイクや脱線の引き戻し。
予定通りに進んでも紛糾しても、会議のゴールまで、時間内にたどり着く。
議長経験者であれば、出席者側になっても議長をサポートする姿勢で、会議に臨めます。

リーダー経験や議長経験は、一朝一夕に身につくものではなく、また時流に沿って変わるもの。
それを、子どもが早い段階で経験できたら、世界は広がります。
チームメンバーの力を引き出し、一人ではたどり着けなかったところに行く。
人はコントロールできないと体で理解するだけでも、その先に打ち手は変わります。

いまは、一定の自己主張が必要な時代です。
どれだけ押すかは、その人の考え方や、精神的な強さによります。
また、自己主張するしない関係なく、客観的な状況把握からの的確な発言は強力な武器です。

空気を読むが、流されない。
これが、人との距離の基本姿勢だと思っています。

さいごに

僕はリモートでの雑談に、以前は抵抗感はありましたが、いまは慣れました。
リモート会議も同様、最初はぎこちなくとも、すぐに慣れるのが人間です。

人は歳を取ると、新しいことに適応するのが面倒になるという気持ちが、いまは分かるようになりました。
体力・精神力の低下、好奇心の減退、感情の摩耗、あきらめ。

そのまま、受け入れるのも生き方ですが、どこまで自分がやれるか、自分と闘う楽しさはあります。
歳をとっても、柔軟な精神で、新しいことに対応していく。
そうするには、意識して面倒な自分をどこかに追いやる習慣をつくる必要があると思っています。
1週間のうちに小さなことでもよいので1つ、新たな挑戦をして、どこかに書き残していく。

僕はいまの現役世代が生きているうちに、網膜照射技術が一般化されると予想しています。
自分の眼球内に、会議参加者の状況が、リアルに映し出される。

僕は、技術普及前に挑戦するイノベーターになれないですが、前期追随者(アーリーマジョリティ)には、入っていたいと思っています。