足りない情報を自分で埋め合わせるくらいが適当

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ライフハック・節約

日本の電車の正確性は世界でも有名です。
その特徴の1つとして僕が感じているのが、情報(アナウンス)の多さ。
1分遅れると謝罪アナウンス、少し停車時間が延びてもアナウンス。
そうしたことが悪い方向に働いていないか、海外状況と比較して感じることがあります。

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海外の列車や駅でのアナウンスの情報量の少なさ

いくつかの国の列車を僕が利用した体験です。
僕自身、列車遅延で一番長時間待たされた国がタイ。
タイで長距離鉄道利用時の乗換え時に、その遅延に遭遇しました。

遅延と軽く書いていますが、その時間は約20時間遅れ。
事故があったわけではなく「単純に遅れてるだけ」と少なくとも駅員さんは言っていました。
その駅員さんは「何をあわてているんだい、こんなの普通だよ」的な表情でした。
長距離列車で1日2本と本数が少なく、知らない国で心配になり、駅員さんに聞いた結果がコレです。

待っている間の駅での遅延案内放送はゼロ。
駅の掲示板の時間が、どんどん後ろ倒しされるだけでした。
おもしろかったのは、その情報更新間隔も最初は30分程度の後ろ倒しだったのが、最後には2時間放置。
駅員さんの対応と同様、周りの現地人の方々も「日常風景」という感じ。

待ち時間の途中、当然、僕のお腹は減ります。
最初は列車乗り遅れ回避のために、急いで駅前のスーパーでパンを買って駅のベンチで食べました。
10時間以上経過して、待つことに慣れてからは、駅前の屋台でラーメンを食べたりもしました。

タイ以外の国でも、遅延はほぼ当たり前。
ココで言う遅延とは、定刻ピッタリかどうか。
僕自身、日本の列車に感覚が慣れてしまっています。

アメリカでは比較的、遅延が少なかったですが、それでも数分程度の遅延は当たり前です。
アメリカでも遅延時に、アナウンスはありませんでした。

駅に到着する際や駅間でのアナウンスは、アメリカ含め他国ではほぼありません。
日本の列車内の情報量の多さは、際立っています。

 

日本のある駅での出来事

そんな情報過多・説明過多の日本において、僕が気持ちよいと思った放送を1度、聴いたことがあります。

それは東京のあるターミナル駅での出来事。
人身事故で駅間に列車が詰まっており、いつ発車できるかわからない状況。
電光掲示板には出発時刻が表示されていない、完全に先が読めない状況です。
僕は列車の席に座って本を読んでいたので、まぁのんびり待つか、と思っていました。

その時の駅の係員さんのアナウンスが以下。
「この列車の行き先、種別(快速か普通か)、出発時刻すべて不明です!」

潔くきっぱりとこの内容を、一定間隔で連呼していました。
中途半端なことを言われるくらいなら、この方が「この先もなかなか進まないよ!」感が伝わってきて心地よかったです。
同じ内容を連呼しているところは、イマイチでしたが。
駅員さんの声が少しキレ気味だと感じたのは、僕のバイアスかもしれません。

 

日本の列車アナウンスは外国人に不評

日本の駅放送は外国人に不評という記事がありました。
理由は敬語をつかって、かつ情報量も多く、意味が分からないと言うこと。

実際に電車に乗って、車内アナウンスや駅放送に注意を向けてみてください。
たしかに、日本語が母国語だから理解できるが表現が難しくないか?と思われる内容が結構、出てきます。

日本語は特に欧米言語系の人々には特に難易度の高い言語。
迷惑をかけて申し訳なく、へりくだって敬語を使う。
気持ちは分からないでもないですが、外国人の方々には難解というのは考慮点です。

最近の東京の地下鉄は、日本語案内の後に英語案内があります。
コレであれば、日本語敬語問題はありません。

他に外国の方の指摘で納得度が高いのが「遅延が理解できないのもイヤだが、緊急時に情報が分からないのが致命的」。
この先、2020年オリンピックでも、観光立国を目指す国としても考慮点でしょう。

 

情報過多による思考停止

駅放送くらいで情報過多ということはありません。
ですが、駅放送は1つの事象として、日本全体として説明過剰な空気があると思っています。

テンプル大学・神経意思決定センターのアンジェリカ・ディモカ氏による”組み合わせオークション”と呼ばれる心理的実験を行った。
被験者は大量の物件の競りに参加し、その被験者をMRIを使って脳を計測。
その結果、情報がどんどん増えて行くと背外側前頭前野皮質の動きが活発になったが、さらに情報量を増やし、負荷をかけると、今度は動きが突然止まってしまったという。

出典:NEWSWEEK 2011年2月27日版

たしかにだれでも、経験があるのではと思います。
あまりに考える条件が多いと「もう無理」となって、考えるのを止めてしまう状態。

それほど条件は多くないですが、結婚式場選びなども例としては当てはまります。
自分達のやりたいことや場所、両家の親の意向、参列者や親族をどれだけ呼ぶか。
これらを全部を一気に判定しようとすると厳しいので、実際には重要度分別や、やらないことを考えるでしょう。

思考停止の先にあるのは、考えることの放棄、そして現状維持。
考えるときに一定の余白は重要ですし、危機感は生物生存の1つのポイントです。
危機感とともにて問題意識を持って、依存体質にならないようにする。

冒頭の僕のタイの駅で20時間待ち時、僕は乗り遅れに対して本気で危機感を持っていました。
駅員に聞くとか、回りの人々を観察するなど、少ない情報の中でイロイロ考えました。
危機感や飢餓感は考えるときに1つの有望な燃料であり、ピンチはあとで笑い話になることも多いです。

さいごに

深く考えるときには、非日常に身を置くくらいではないと、いまは難しい時代です。
日常には、やらないといけないと思い込んでいることだらけ。

それでも大きな変化をするときに立ち止まって考える。
思考を醸成をし、いまと未来をつなぐ。
こんな意味でも空白の時間が必要と考えます。

ちなみに僕が好きなサイトはGoogleトップページです。
理由はシンプルであること。
シンプルであるがゆえにごまかしが効かなく、本質勝負だと思っているからです。
実際「どんな言葉で検索するか」基本はコレ1つ。

最近のGoogle検索結果がイマイチというのもうなずけます。
それでも、うまく情報を引き出す検索ワードは、いまの時代の魔法使いの言葉だと思っています。