「どうなりたいか」ではなく「どうありたいか」

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ライフハック・節約

夢の職業に就いているか。
データでは「就けている」と「就けたことがある」を足すと15%前後です。
ただ、夢イコール職業である必要はなく。
いままで以上に、この先は「どうありたいか」になっていきます。

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小学校1年生の将来就きたい職業

現代の小学校1年生が、将来就きたい職業の上位10件が以下です。


出典:将来就きたい職業(クラレ)

男の子の1位は「警察官」で、昔から「警察官」は男子ランキングでは上位でしたが、2位~3位あたりをうろうろ。
それが2021年は1位になっているのですが、理由が思いつかず、子ども達の中で何か流行などがあったのか。
5位の「TV・アニメキャラクター」も、昔からTop10ランクインしていましたがもう少し下位だったので、2021年は上昇しています。

女の子の1位は「ケーキ屋・パン屋」で、これはずっと不動の1位。
グラフの棒の長さを見ても圧倒的で、この年代の女の子には鉄板です。
女の子のグラフでもう1つ特徴的なのが「保育士」が10位。
以前はもっと順位が高かったのですが、2021年はTop10ギリギリの位置。
自分が通っていた保育園・幼稚園で、実際の先生の現実を見て、大変だなぁと思ったのか。

個人的に2021年初夏、ある幼稚園の年長クラスの七夕の短冊に書かれた願い事一覧を、見る機会がありました。
上記のグラフの一覧は、現実的な職業が多いですが、幼稚園児はまだ「職業」というより「なりたいもの」が多い。
女の子のうちの何人かが「プリキュアになりたい」、男の子も数人は「仮面ライダー」。

幼稚園児の短冊一覧の中で、僕が一番興味深かったのが「お金持ちになりたい」。
数的にも、これに類する願いが一番多く、男の子のほうが多かったですが、女の子にも2人いました。
中には「大金持ちになりたい」と、より強力な野望を感じる願いもあり。

園児でお金持ちになりたい理由、もしかすると欲しいオモチャがたくさん買えるあたりなのかと、自分の子ども時代とは違う価値観(?)に、新鮮さを感じました。

夢の職業に就いた人は10%

以下のグラフは、大人になってから夢の職業に就けたかのアンケート結果です。


出典:子どもの頃の夢と職業比較調査(モッピーバイト)

「就くことができ、いまもついている」が全年代を通して、約10%。
中でも20歳代が12.6%と一番高く、いまの若者世代は、安定志向がマジョリティだったとしても、若い時期の身軽さはありつつも、やってしまったもん勝ちのような、挑戦者に分かれているとも取れます。

「就けていないが現在も目指している」を年代別に見てみると、圧倒的1位が50代の15%。
定年を視野に入れると現役最終章の年代ですが、最後に昔の希望(野望?)を思い出し挑戦しているのか。
30代と40代がこの年代別グラフでは最も堅実ともとれ、全員ではありませんが子育て中であればよりディフェンシブになるのは、自分の体験からもうなずけます。

夢を追いかけるのに、年齢や環境を考えるようでは達成できない、という言い分は分かります。
ただ、その夢が本当に夢と呼べるものなのかと考えてみると、足が止まる人は多いのも事実。

子どもを授かると、現実に忙殺されますが、それが幸せな夢であると気づく人もいる。
子育て戦線真っただ中では振り返る余裕はないですが、歳をとってみると本当に良い時間だったと思えるなら、それはとてつもなく価値がある事です。

将来の夢≒職業?

将来の夢は職業ではないのでは、という物言いがあります。
個人的には、YesでもありNoでもある。
そもそも夢を辞書で見てみると以下です。

1 睡眠中に、あたかも現実の経験であるかのように感じる一連の観念や心像。視覚像として現れることが多いが、聴覚・味覚・触覚・運動感覚を伴うこともある。「怖い夢を見る」「正(まさ)夢」
2 将来実現させたいと思っている事柄。「政治家になるのが夢だ」「少年のころの夢がかなう」
3 現実からはなれた空想や楽しい考え。「成功すれば億万長者も夢ではない」「夢多い少女」
4 心の迷い。「彼は母の死で夢からさめた」
5 はかないこと。たよりにならないこと。「夢の世の中」「人生は夢だ」

出典:夢(ゆめ) の意味(goo辞書)

上記の「2」が将来についての記載ですが、「政治家」は職業なので、将来の夢=職業になります。
そうではなく、将来の夢が「旅人」だったのなら、それは職業としては世間認知を得られなさそうです。
ただ、これは言葉遊び・分類でしかなく、どちらでも良いもの。

夢が現実的な職業であれば夢=職業になり、海辺に住みたいなどの状況を夢とするなら夢≠職業になる。
本当に好きなことを夢とするのは賛否ありますが、不毛な論争だと僕は考えており、一致する人もいればそうでない人もいるだけ。

その人の願望レベルや、実現難易度も、夢と分類されるかの基準と考えるられます。
その人にとって、いつでも就業できる職業が夢の職業だったとして、それは夢が実現したと捉えるのか。
夢の閾値がないので、言ったもの勝ちのような問いです。

ただ、大半は上記のグラフ通り、夢の職業には就けていない。
それは「イコール幸せでない」ではなく、上述のように海辺に住みたいことが夢なのであれば、幸せな状況にある。
この「〇〇の状況」の部分の納得度・満足度が、重要な点です。

そもそも子どもの頃に持った夢を、忘れているのも普通。
自分のなりたいものを、本当に深く突き詰めた経験がある人も、どのくらいいるのか。
自分も含め、仕事は仕事として社会の一員として、現実を生きている人が多い気もします。

若いメンバーとの雑談

知り合いのヨーロッパ人と雑談していた時、その人の人生観・仕事観の話が、僕の中に残っています。
「働くために生きているのではない。人生を楽しむために働いているだけ。」

それまで、働くのが当たり前と深く自分が考えていなかったがゆえ、上の言葉が刺さりました。
当時、考えたのが「自分は何がしたいのか、どんな状態になりたいのか」。

いま僕は年齢的には中年なので、若い人と話すときに、上記の話が自分の頭の中に出てくる事があります。
若い人との話の中で「最近どうですか?」あたりの軽いアイスブレイクから、「このままの進路で目指す先に進めそうですか?」などの方向性の話に展開。

キャリアに不安を抱え、未来は見通せておらず、焦燥感を抱いている人が多い。
これは、若い人に限った話ではなく、これだけ時代のスピードが早いと、未来が見通せている状況が皆無なので、その感覚は妥当であったりもします。
「万事順調です」の解答できる人がいたなら、イロイロな意味で幸せだなぁと見てしまいます。

それでも、現状に不満を抱えているわけでもなく「まぁまぁ幸せです」という回答をよく聞きます。
この回答をする人が体感値で半数を超えていて、女性の方が男性より多く、日本では女性の方が幸福度が高いアンケート結果と一致しています。

どんな状態なのかが重要

この先の時代、どんな職業に就く、という問いの意味が薄くなっていきます。
終身雇用はすでに風前の灯火で、同じ業界の別の会社への転職はそもそも意味が薄い。
新聞業界やガソリンスタンドのように、業界自体の存続があやしいところもある。
無くなりにくい職業として、消防士や医者などはありますが、それを除くと就業・就社の意味が薄くなります。
結果「夢の職業」は成立しにくくなっていく。

夢の職業に就ける可能性が低いことも鑑みると、満足度の高い時間や心地よい状況などの、自分の中の物差しが大切になってくる。
「どうなりたいか」ではなく「どうありたいか」。
ただ、この2つも両立できないわけではなく、一例を挙げると以下もあり得ます。

世の中を幸せにするデザイナーになる。
目が不自由な人の生活の手助けができるアプリを開発するプログラマーになる。
プロジェクト炎上ウェルカムで、厳しい状況でも粘り強く笑顔でゴールに導くプロジェクトマネージャーになる。
子どもの自立を本気で目指すために、あえて厳しく育てるママさんになる。

最後の「ママ」は職業ではなかったとしても、個人的には職業と同れるに並べても遜色なく、一面では格上です。

大切なのは職業ではなく、やっていることがどれだけ自分の気持ちに寄り添えているのか。
それを知るために、自分を見つめる時間は(いつの時代も)大切です。

さいごに

米国ロミンガー社提唱の学びや成長要因の法則として、「7:2:1の法則」があります。
7割=仕事の経験
2割=人から学ぶ
1割=研修や書籍

ロミンガーの法則をそのまま受け入れるなら、成長したいのであれば仕事の経験が最重要となります。
追加するなら、漫然とタスクをこなすのではなく、できる限り自分にとってプラスになる経験を積み上げ続ける。

実績を積む面でも、感情的にポジティブになれるような環境としても、仕事や会社選びは重要。
良い上司は選べませんが、幸い職業選択は個人の範疇です。