本気の相談は疲れる

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ライフハック・節約

キャリア相談をする。
年齢や状況によって目指すところは異なりますが、ぼんやりして取り残される不安の打開策としては一般的です。
相談を受ける側も昔と違い、いまは一緒に考える姿勢で臨む。
相談後にドッと疲れるくらいしっかり話す経験は、相談者も被相談者にも有益です。

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何もしていない焦燥感

先日、30代中盤の正社員男性との雑談で、軽いキャリア相談を受けました。
曰く「最近、自分の成長が感じられず、このままで良いかの焦りがあります。
何か資格など取るのもありでしょうか。」

これを聞いて「資格はちょっと違うのでは」が、最初に思い浮かんだ感想です。
20歳代の人にとって、転職のために資格を取得するのは有効かもしれませんが、30歳以降は求められるものが違ってくる。
また、エンジニアなら技術的な資格は有効ですが、専門職でないのであれば組織運営力やプロジェクト経験を求められる。
非認知的なマインドセットのようなものを基礎として、職務経歴書に書ける内容が必要になります。

ビジネス環境の変化が速いので、資格自体の意味も薄れている。
また、一定の年齢を超えての資格取得は、転職面接時にマイナスにとられる可能性すら出てきます。

僕は彼に「なぜ資格を取ろうと思っているのですか」聞いてみました。
「いま勉強らしい勉強はしておらず、置いてけぼり感があり、何かアクションしないと」。

資本主義社会での自分の商品価値下落を見据えた不安なんだと、僕は読み取りました。
その気持ちには同意でき、動いた方が良いのは賛成ですが、闇雲に動くのはいただけない。
「年齢によって考えた方がよい点は違い、何となくの資格取得ではなく、急ぎでなければ腰を据えて考えるのも良いのでは」と僕は解答しました。

彼と僕は同じ組織内にはいますが、別々のチーム。
それなりに一緒に仕事をしたことがあるので、気心は知れている間柄です。
本気の回答を求めているのではなく、何となくの雑談の流れの軽めの相談でした。

仕事の相談相手の1位は上司

関係性が近すぎると相談しにくい。

僕は実家暮らしの時、親と深い話はほとんどした記憶はなく、実家を出てからやっと何でも話せるようになりました。
学生時代の進路くらいは親と意識合わせしましたが、それ以外に相談らしい会話はほぼなく。
社会人になり一人暮らしをはじめ、年に0回~2回程度の1泊2日の帰省するようになって、お互い思っていることを言い合えるようになりました。
僕が男という性別なので親子間の会話は少ないのはありますが、身の回りの男性に聞いたところ同じような人が多く、そういう世代・時代だったと思っています。

会社勤めをする人が「仕事で行き詰った時の相談相手」はだれか。
2010年と少し古いデータですが、以下がありました。


出典:「仕事の相談相手」について(エン・ジャパン株式会社)

仕事の相談についてのアンケートなので、上司や同僚が上位。
上司は「育成」課題が組織から課せられており、同僚は「何の話をしているのか分かりあえる」など、上位になるのは納得です。
この割合、いまはもう少し「友人・知人」や「SNS」が増えている気もします。

いまの時代は、部下からキャリアの相談を受けたら、たいていの人は親身になる。
部下からの不満・評価も、可視化される時代なので、能動的なのか受動的なのかは微妙です。
プレーヤーでもあり、メンバー育成もやらされる中間管理職が忌避されるのは、一面納得です。

自分が上司ではなく、友達からキャリア相談を受けたなら、距離感にもよりますが、自分の経験などから何か役に立てることがあれば話す人が多い気がします。

共感とともに現実プランを練る

答えは相談者の中にある。

相談に対して、よく言われる話です。
恋愛相談はその典型で、答えを求めているのではなく、自分の中にある正解のない回答を、一緒に探し出してくれるのを望んでいる。

相談者が求めているものは「解決」ではなく、「解きほぐし」だったり、「共感」によって気持ちを軽くしてほしい。
夫婦関係について、奥様の「そうじゃないんだよ」のツイートの山は、いつの時代も変わらない鉄板ネタ。
「大変だったね」「いつもありがとう」はマジックワードですが、それがうまく言えない夫は、自分も含め多いと思っています。

キャリア相談の場合は、共感もありますが、もう少し現実に近くなります。
キャリア相談を言い換えると「賃金向上」がゴールです。
そうではなく「やりがい」や「満足度」という人もいますが、仕事は他者評価でしかなく、その結果の給与額です。

人の成長は本人の意思次第、と切り捨ててしまっても良いですが、たいていの人にはコーチやサポーターがいた方が良い。
自走できる人は、他人に相談せず勝手に走っていきますが、それができるのは1割もいません。

たいていの人は歩いたり、立ち止まったり、きょろきょろ見渡したり。
「幸せな人生とは?」の悩ましい質問と同様、キャリアプランニングも何でもアリなので、どこをとっかかりにするのか。

そんな時、他人に見ていてもらう、時に背中を押してくれるコーチは、人間の弱さを踏まえた効果的な対策です。
人生の中で大きなウェイトを占める仕事で自分の評価を上げるために、何をしたら良いか知りたい。
あるいは、社内評価はそこそこでも、人生を楽しむために、仕事以外も含めて良い視点がないか。

先行き不透明な時代なので、見通しを立てたい人は多い気がします。

本気の相談は両者が疲れる

昔の上司は、部下育成をいまほど求められておらず、おおざっぱな時代だったと僕は想像しています。
年功序列がまだ成り立っていて、ロールモデル的なもの、何年後にはあの椅子に座ると漠然とイメージできた。
そういう環境であれば、相談を受ける側も、自分が歩んできた道を示せばよかった。

いまは、10年が違えば、異世界くらいにルールも変わっています。
上司や先輩の歩いてきた道の一部のエッセンスは使えても、それ以外は見習わない方が良い部分すら出てきています。
メール返信を慇懃無礼レベルまで丁寧にすべきと若者に説いたなら、時代遅れのポンコツ。

答えがないので、一緒に考える。
それがいまの相談者と被相談者のスタンダードです。

被相談者(コーチ)側は、時間が取られる面は短期的にデメリットですが、それだけでもなく。
実際、毎週30分、複数の部下と面談を入れたとすれば、相当の時間がとられます。
その間に手を動かせれば、あれもできそうだしコレも進められる。
この考え方をしているのなら、まだまだコーチ見習い。

中長期的に見ると、部下を育てるのは組織の発展につながり、何より自分の時間が作られる。
目先のタスクを自分が手を動かしていては、大きな果実は望めません。

相談者の話を傾聴していると、見つかるものもあります。
本気で相談者のシナリオを一緒に考えるのは、他人の人生をまじかに見られる特等席。
責任が取れないと思うのも良いですが、親身に話を聞いてくれた人を、人は悪者扱いしません。

相談は、少し前に流行った言葉でいうと、いま、ここに集中する「マインドフルネス」。
1on1実施後、両者が疲れるくらいの濃い話をするメンターがそばにいるのであれば、恵まれた環境です。

相談を受ける側の姿勢としては、見返りを求めない。
見返りを求めたのであれば、コーチ見習いにもなれていません。

さいごに

心理カウンセラーや、有料メンターに相談の持ち掛けるのであれば、両者の信頼関係はゼロからです。
そうではなく、近くにいる人に話す場合は、自分の弱い部分をさらけ出したり、相手の時間を取ることに申し訳なさを感じたりと、相手との信頼関係が必要になります。

コロナ過になって、リモートメインの就業形態の場合、この関係値向上が難しくなりました。
リアル環境であったなら、日ごろの打ち合わせの合間や、少なくなった飲み会の場がありましたが、ちょっとした共有時間が激減している。
意識してそうした環境を作らないといけない状況です。

相談する側のコーチャブル姿勢も大事ですが、上長側から軽い相談から深い相談まで、適宜話を持ちかけるのが理想です。
仕事の成果のアピール同様、うまく相談できる人とそうではない人の差が、リモート環境では開いたと感じます。