習い事をするしないは毎日の楽しさと無関係

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育児・子供観察

いまの子ども達は、複数の習い事をしている。
それを否定的に考える人もいますが、子ども達の幸福感アンケート結果では、一概にそうとは言えず。
習い事が、子どもの世界を狭めるのか、広げるのかは答えはありません
子どもが楽しんでいるのなら、理想的な環境です。

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習い事が身近にたくさんある

習い事を、子どもがやりたいと言ったとき、親として考えることがあります。
習い事が増え、子どもが息苦しくないか。
自然に触れたり、自分で遊びを考えるなどの経験が、少なくならないか。

期間が短いものであれば、トライアルの面である意味、上記の心配にはあたりません。
たとえば、英語のスプリングスクールなど。

この先、英語の必要性は、いまとは違っていくものだと僕は考えています。
いまの子ども達が大人になったころ、自分で発声する英語が残っているのか微妙で、最終的には、技術の進歩で言語変換はリアルタイムで、正確にできるようになると予想しています。
幼少期に英語に触れるメリットは、英語を学ぶというより、大人になっても身軽に動ける人、外人や英語コンプレックスがなくなる点と僕は考えています。

僕は東京在住で、周囲に英語を習わせているご家庭が複数存在します。
そういう環境が身近にあるのは、都会ならではと考えており、僕は地方育ちで、周囲に塾に通っている子がほぼいませんでした。
時代が違いますが、僕が子どもの頃は、子ども同士で日が暮れるまで走り回っていた。

いまの子どもは友達と遊ぶときに、相手のママさんと事前にお互いの子どもの習い事の合間を調整する。
子どもが複数いるご家庭だと、兄弟人数分の習い事に引っ張られるので、都合を合わせるのがより難しい。
それはまるで、忙しい大人同士の予定調整に似ており、今月は無理そうなので来月のどこかで、というのも聞きます。

4~6歳の半数が2つ以上の習い事

いまの子どもの、習い事の情報がありました。


出典:2020年 習い事調査(いこーよ)

保育園・幼稚園の年中~年長には、すでに5割以上の子どもが習い事をやっている。
12歳の子どもに至っては、85%が習い事をやっている。

グラフでは、0歳や1歳でも習い事をしているご家庭がある。
水泳あたりと予想しますが、乳児の頃からすでに始める子は始めています。

出典:2020年 習い事調査(いこーよ)

上記が習い事の数です。
4~6歳の半数が2つ以上の習い事をしています。
それより年長になると、さらにその割合が増えています。

たくさんの習い事をしていて、子ども達は楽しいのか。
この考え方自体が、習い事は辛いと考えていて、数が多ければ不幸と決めつけるのも、以下のグラフからは違うかもしれません。


出典:こどもの自己認識(博報堂生活総合研究所)

上記グラフでは、20年推移で「毎日の生活が楽しい」ですが、20年で13.8%上がっています。
それ以外の数値も軒並み上昇。

いまの子ども達は、いくつかの習い事をしているのは当たり前。
そのうえで毎日の生活が楽しいと考えるのは、習い事が辛いのではなく、遊びの延長と捉えているのかもしれません。

やってみなくては始まらない

習い事のメリットを上げてみます。

・能力開発(文字の読み書き、算数、英語、運動、音楽など)
・知らない世界に触れる
・才能を見つける、伸ばす
・成功体験を積む
・協調性や忍耐力を身に着ける
・自分に向いていないことを知る
・将来の選択肢を広げる
・同じ習い事をしている人と関係性を持つ

デメリットも上げてみます。

・友達と遊ぶ時間が減る
・時間に追われる
・費用が掛かる
・親のストレス
・受動的になる

最後の「受動的になる」は、一概には言えませんが、僕はメリット側と考えています。
そもそも子どもは白紙に近い状態で、まず何かを「まねぶ」きっかけが必要。
いくつかトライしてみて、自分の好き嫌いが初めて分かるように、経験しなくてはそもそもどこに向かうのか分からない。

受け身といえば、中学受験が親の受験と言われる理由として、小学生の子どもが自分で受験の判断ができないというものがあります。
子どもが自分で考えて学校を選べれば良いですが、そうした子は少数で親の意向が多分に入る。

親のごり押しはいただけませんが、一定のレールを敷くのは人生経験知からは一般的です。
ただ、親の経験は子どもには使える部分と、そうではない部分があることは念頭におくもの。
親世代と子ども世代では、ルールが違っています。

「あなたのためを思って」と考えたのであれば、それは子ども尊重ではなく、親のエゴです。

楽しむために

幼少期の習い事は、競争が少なく、我慢とか辛さがではなく、楽しみが前面にある配慮がなされている。
それが、年齢が上がると、試合や大会、受験のように明確に結果が出るものになり、そこで結果が出ないと嫌になって辞めてしまう。

辞める選択は悪いことではなく、自分のその時の能力や気持ちを推し量って決めればよいもの。
あれこれ手を出してすぐ止めるのはいただけませんが、一定のラインの決めるのであれば勇気ある撤退です。
成功時も同じく、1級まで取得したら辞めるような、区切りを決めておくのはメリハリを付けるうえで効果的です。

幼少期の習い事は、子どもの「思いつきのやりたい」で良い気がします。
たくさん習わせるかも、総論に流されず、親子で楽しんで決めるもの。

生涯学習を実践できている人は、大人になって周りを見渡してみると少数派です。
もしかすると、生涯学習を勉強(座学)と見て、自分には勉強は向いていないと考えてしまう人が多いのかもしれません。

生涯学習は堅苦しいものではなく、その時、自分の好きなことを学びながら続けるもの。
将棋や登山、釣りでも学べることだらけ。
その中で、一生涯の趣味を見つけられる人はまれで、内容が変わっていく方が一般的。

趣味を持たず、テレビやスマホがあれば良いというのも、1つの生き方です。
ただ、自分で動いたものは、言葉として重くなる。

何であれ「毎日の生活が楽しい」と、大人になっても思える人は、魅力的です。

さいごに

習い事をさせるかの賛否は、さまざまな状況によるので、答えはありません。
親としては、子どもと話して、覚悟を持って決めるだけ。
できるなら、日ごろからその土壌を作っておければ、間違いの可能性を低くなるくらいです。

親側の腰が据わっていないのは、どこにもたどり着けない可能性が高くなる。
たとえば、いま必要と言われているプログラミング(論理思考力)もその典型例です。

必要というのであれば、トヨタ式のなぜなぜ分析(5回のWHY)を答えられるくらいは、あったほうが良い。
「世の中一般に必要と言われているので」が始める動機であれば、実になりにくい。
いまの親世代で、6年以上、学校教育で英語を習ったはずなのに、日常会話すらできないのと同じです。

僕は仕事でプログラミング経験があり、自分なりの物差しがあります。
僕の答えは「世の中のニーズは高く、プログラミング技術を持っていれば大きな武器になるが、できなくても問題ない」です。

社会に出て、たくさんの人を見て思うのは、自分の足でどれだけ立っているか(自立とか自走とか)。
そういう人は、流行に触れることはあっても、自分で判断します。