子どもの遊び場環境は、いまと昔では随分変わったと感じます。
昔、自分がやった遊びを、自分の子どもとできるかというと、できるものもあれば時代的に難しいものもあります。
子どもが父親と一緒になって遊ぶ、そのこと自体は僕は積極的に行っています。
ですが、それが父親尊敬につながるかどうかは気にしていません。
子どもの遊び環境が変わった
最初にすこし古いデータですが、子どもの頃の遊びを子どもとしたことがあるか、というデータがあります。
出典:お父さんの思い出の“遊び”の伝承は3割、“宝物”の伝承は2割。父から子へ受け継がれるものはモノより経験(株式会社 円谷プロダクション)
このデータを見ていて最初に思ったことは、このデータの趣旨と外れますが「時代の変化」です。
そもそも今の大人世代が遊んだ頃の環境と、いまの環境が大分変わっていると僕は感じています。
言い換えると、いまに比べ昔は「外で遊ぶ」ハードルが低かった気がします。
いまの子育て世代が昭和50年くらいから平成初期くらいと考えます。
当時の男の子の外遊びの定番は、鬼ごっこ(ケイドロ)や、缶蹴り、ボール遊びなどがありました。
僕は男の子として、これらの遊びを日が暮れるまでやっていました。
大きな声では言えませんが、自転車を使ってケイドロをやっていたこともあります。
いま、そうした子どもを見かけることはありません。
女の子の外遊びも同様、昔はゴムとびやかくれんぼなど一昔前は日常風景でした。
そうした女の子(集団)を、現代で見ることは皆無です。
遊びが変化した大きな要因として、「子どもの遊ぶ環境変化」があると思っています。
子どもへの安全配慮思想が高くなった、都会なのか田舎なのか、インターネット環境の普及、子ども数なども挙げられます。
僕の子ども時分は、他人の家の庭を平気で横切る、それがヒドクなければ許容される時代でした。
いま、他人の敷地に入るのは、たとえ山みたいな明らかな自然であっても、相当勇気がいります。
子どもを一人で遊ばせると言う事も、いまは幼少であれば「ありえない」という感覚です。
こうした前提の上で、先ほどのグラフを見てみます。
「子どもの頃遊んでいた遊びをお子様と一緒にするか?」という問い。
場所を公園などに限定すれば、いまも昔と変わらず、子どもと一緒に遊ぶ事はできます。
しかし、家の前の道や近所の空き地などで遊ぶのは、東京では難しい時代だと思っています。
このデータの「ない、今後もやらない」という中には、そうした背景もあるのでは、ということを個人的には感じました。
僕の経験として、男の子の遊び相手としては父親のキャッチボールが思い浮かびます。
僕は父親と自宅の隣の空き地で、キャッチボールした経験があります。
隣が空き地でそこに勝手に入ってキャッチボールしても誰も文句を言わない牧歌的な時代です。
父親の投げる球は、小学生の僕には「すごい速いな」と思った記憶があります。
この辺の記憶が鮮明に残っているのは、多分、僕にとってはうれしかった記憶だと考えます。
偉大というほと大げさではありませんが、大人と子どもの差、大人の力を感じる1つの例でした。
では、現代の父親は子どもに「すごい(尊敬する人)」と、見られているのでしょうか。
父親の尊敬・父親の力はおちている
子どもから見て、父親を尊敬しているか、父親の力が落ちたかという結果が以下です。
出典:昔に比べて子供に対する父親の力は落ちたと思う(博報堂 生活定点調査)
出典:【家族の関係】尊敬度合いでお母さんがお父さんを逆転(博報堂 生活定点調査)
2つのデータでやや推移が違いますが、直近の状況は同じです。
「父親は子どもの尊敬を勝ち得ていない」という結果です。
理由を考えてみます。
いまは「亭主関白」の時代ではなく、夫婦で協力して家事を乗り切る現代。
子どもが父親に対して身近になる、怖い人ではなくなり力が落ちたと思う可能性、というのはこじつけでしょうか。
男性の「草食化」という言葉の方が、妥当かもとも思います。
雑でもグイグイひっぱっていく父親というのは、昔は多かったように思います。
いまから考えると「雑過ぎ」というのも、大人になったからわかることですが。
では、どうしたら子どもの尊敬を父親が勝ち得るのか。
子どもが小さい時期であれば、やはり子どもと一緒に遊ぶというのも1つだと、自分の経験からも感じます。
あとは、家庭内でのふるまい、どっしり構えているような父親であれば尊敬されそうとも考えます。
ただ、これだけ時代が多様化、変化スピードが速いという状況です。
何か1つのことができるというより、考え方など根本的な部分を固めることの方が重要だと思います。
そのうえで、子どもと一緒に何かに挑戦する。
子どもがやりたいようにやらせる度量と、先回りをせず失敗を経験させる。
僕はできるだけ言葉は少なく、コーチングとティーチングを使い分けていきたいと思っています。
余談ですが、上のグラフのうち「お母さんは尊敬する人」という数字は右肩上がりです。
現代の子どもにとって、お母さんはお父さん以上に尊敬する人のようです。
一人の父親として、叱咤される結果です。
さいごに
だれかに「子どもに尊敬されたいですか?」と聞かれたときの僕の答えは以下です。
「尊敬されていた方がよいですが、どちらでもよいです。」
答えの意図は2つあります。
1つ目は「子どもに尊敬されることを目指す(人生の主目的にする)のは違う」と考えているためです。
子どもは別人格で、子どもがどう思うかは自分のコントロール外。
当たり前ですが、尊敬を強要するのも違っていますし、暴力で抑圧するのも言わずもがな。
2つ目は「それでも子どもが父親を尊敬している状況は、多分尊敬していないより良い」と考えるためです。
ただこれも「尊敬」というより、所属する家庭などが安定していることが、子どもにとって良い環境という言葉が近いです。
子どもが安心できる(家庭などの)環境で、自己肯定感を高めるというのは、子育ての一つの目指す先です。
あとは、父親が楽しんでいる姿を見せるのも、子どもに好影響だと僕は考えています。
社会的に許されない内容はマズイですが、スポーツ観戦、家庭菜園、読書、ゲームなどなんでも良いと思っています。
そこに子どもが興味を示したら、しめたもの。
こっちの世界に引きずり込んで一緒に楽しみたい、と僕はいつも撒き餌をばらまいています。