子どもの運動会は最上級エンターテイメント

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育児・子供観察

幼少期の子ども達の運動会で心が揺れる。
自分ではまったく想像していなかったのですが、予想外の感動の連続でした。
黒子役の先生方や父兄の動きや、運営の見事さも、こちらが大人になったから分かります。
自分の子どもが参加している運動会という相乗効果もありますが、園児の運動会は極上エンターテイメントでした。

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現代らしいと感じるもの

時代の流れで、ルールが変わる。
運動会もその1つだと感じます。

僕が比べているのは、自分が子ども時代に参加していた運動会なので数十年前。
しかも、僕の遠い記憶との比較なので、怪しい点が前提です。
それでも当時を思い起こして、自分が当事者だったころといまの運動会を比べると。

現代の運動会はスマート。

たとえば、運動会が開始される直前、会場全体向けアナウンスがありました。
「これから運動会を開始します」のような開始案内だと身構えていましたが、最初は近隣住民へのあいさつでした。
「本日は○○の運動会で、うるさくなってスイマセン」

続いても、運動会開始合図ではなく「飲酒、喫煙禁止」アナウンス。
実際のところは不明ですが、昔はどちらも許されていたんだ、と常識の変化を感じました。
いまは公園も禁煙の時代、昔のルールで生きている人は息苦しいのかとも思います。

序章で「あれ、昔はこんな感じだったっけ」とフワッと考えてつつ、運動会開始後もそれは続きました。

大人のあいさつはいつの時代も不人気

最初はお決まりのいつもの退屈な時間帯、開会のあいさつや来賓照会。
多分、その場にいる90%以上の人が「早く終わらないのか」の不人気時間です。

ただ、ここでも発話者側が、時代を察しているのか観客の不要雰囲気をくみ取っているのか。
極力手短に話、かつ話す人数も少ない、運営側の配慮も透けて見えます。

配慮といえば、運動会の終了時間が「昼の12時過ぎ」。
昼ご飯を挟まない、タイムスケジュールです。

僕は経験したことはないですが、昼ご飯時の「隣の家より豪華弁当紛争」。
ダラダラやって、争いになるくらいなら、スパッと切るお昼終了は合理的だと同意です。

一般的にイベントは、往々にして予定時間より後ろ倒しで終わります。
しかし、僕が観戦した運動会は、予定時間の10分前に終了。
しかも、途中に小さなトラブルがあっても、うまく収める現場力。
見事な戦略、采配だと感じました。

采配と言えば、父兄の父親の力も組み込んでいる点もありました。

準備と後片付けを父親が手伝う

僕が参加した運動会では、「会場設営」と「撤収」が父兄(父親)の参加型でした。
運動会開始の1時間前に、集まれる父親を、あらかじめプリントを配って任意募集。
本部テントや机といす、周りの養生や、入場門の設営などを、園側のスタッフとともに父親が手伝う。

撤収も同様。
使った器具を、雑巾で拭いて元の場所に戻す。
周囲のごみ拾いから、運動場のトンボ掛けなどを行いました。
トンボ掛け、その器具自体を見たのが何十年ぶりのなつかしさでした。

ちなみに、準備設営参加した父親は「優先的に場所取り権利が得られる」システムでした。
こうした現実的メリットもありますが、父親が当事者として参加するのも、良い点だと僕は感じました。

僕は、準備と撤収の両方に参加したのですが、そこでの父親通しの人間模様も1つの見世物です。
世の中の常の1つ「パパ同士はなかなか打ち解けない」。
表面上は「コレお願いします」のやり取りはありますが、文字通りの「表面的」な事務連絡。

命令する間柄でもなく、友達でもなく、かといって通りすがりの知らない人でもない。
中には一部のもともと知り合いだったパパ同士は「どうもどうも」ですが、大半は初対面。
微妙な距離感を保ちながら、設営撤収のゴールを目指すのは、運動会ならではです。

準備に参加したパパ達は、会社では社長かもしれないし一般社員かもしれない、自営業者かもしれない。
しかし、この場では全員フラット、上下関係はありません。
「この人はこんな仕事しているのかな」と想像しながらの、お父さん同士のぎこちない、レア風景です。

そんな舞台裏がありつつ、僕が意表を突かれた、意外だったのが年長組の組体操です。

組体操の是非

事前に配られていた「運動会プログラム」を見ると、年長による組体操の記載がありました。
組体操に関しては、いまは世間の風が厳しい現代。
僕は高さのある垂直型のものではなく、平面のものと予想していました。

ところが、実際には3段のピラミッドをやっている。
正確に3段ではなく、2段目が1段目に覆いかぶさる形なので、2.5段くらいのピラミッド。
それでも、一定の高さがでる組体操です。

僕自身、小学校時代、組体操で横の子どもが落下して、目の前で腕を骨折するシーンを目撃しました。
あり得ない方向に腕が曲がっているのを間近に見て「人間の腕って、折れるとああなるんだ」と思った記憶があります。

今回は小学校入学前の園児が、小さいながらの2.5段ピラミッドをやっている。
僕は「アリ」だと思いました。
理由は、全ピラミッドに、補助の大人がついている。

僕は危険をすべて遠ざけては、生きる力が減衰すると思っています。
と言っても、事故率が一定以上のモノを、子どもに進めるのも微妙だと思っています。
その微妙なラインをうまくついた運営(ピラミッド)。

組体操のピラミッドが成功体験に当たるかは微妙ですが、少しリスクがあるものにはできるだけ挑戦してほしい。
とかく(知らない人が)文句を声高に叫ぶ時代なので、経験機会が減っていると思っています。
配慮で危険(リスク)をある程度回避できるのであれば、トライできるのは1つの理想だと思いました。

組体操演技は、幼児の組体操なので、シルクドソレイユのような芸術的なものではありません。
しかし、なぜはグッと心を掴まれる。

芸術ではなく情熱

組体操の演技の中で、全員が輪になってのドミノ倒しがありました。
膝立ちした園児が輪になって、順番に倒れていく演技です。

言葉にすると、大人数の園児が単に順番に倒れていくだけです。
なのに、じんわり「いいなぁー」と心が温かくなる自分がいます。

整然とした美しさや、極限の動きがではありません。
幼少期の年齢なので、心の余裕はないと想像します。
それを一心不乱というならそうですし、その子どもたちが集まって1つの演技を行う。
うまく言葉にできませんが、「いいぞ」と応援するような。

個人的には大人になって一生懸命は悪いシチュエーションだと思っています。
想定外のトラブルも含め、そんな状況になるのであれば、それは準備不足に尽きます。
先読みして余裕を持って準備しつつ、現場でのイレギュラーも、そつなくこなす。

大人としてのふるまいですが、運動会内でもサポート役の父兄の行動は、考えられていると思いました。

園児へのホスピタリティ

僕が見ていた運動会では、かけっこのゴールや、競技が終わる場所で、大人が子どもを抱きしめるシーンをよく見ました。
自分が子どもの頃の記憶をだどってみたのですが、当時、こんな扱いがあったのか。

運営上、かけっこのゴール後に、園児が終わった人列に、スムーズに並ばせる運営進行の意味もあります。
ただ、大人がゴールのテープの向こうで、「しゃがんで」まず子どもをギュッと抱きしめる。
その後、大人が子どもの手を引いて、待機列に連れていく。

しゃがんでギュッと抱きしめる行為が、どのくらい意味があるかわかりませんが、僕には大事だと見ていて思いました。
1位になった子は、多分誇らしい気持ちだと思います。
残念ながら2位以下、特に最下位だった子どもも「大丈夫だよ」と体感できる。

かけっこは短距離なので、1位と最下位の時間差はそれほどありません。
これがリレーになると、参加人数にもよりますが、周回遅れも発生する。
実際、僕が見ていた運動会では、年長のクラス対抗リレーで、アンカーが1周遅れとなりました。

父兄の「がんばれー」声援は、古今東西変わらずです。
ただ、この運動会では、体育の先生が最下位チームの走者の横を、一緒に走っている。

なるほど、これなら最下位走者は心強いのでは、と思いました。
実際の、周回遅れの子どもの気持ちは分かりませんが、見ているだけですがこれが心強い。

再挑戦させる

冒頭、この運動会は終了予定時間の10分前に終わったと書きました。
これには1つ余談があります。

最後の競技が終わって、閉会のあいさつ前に、先ほどのリレーで周回遅れの子と一緒に走っていた体育の先生がマイクを握りました。
「みなさん、先ほどうまくいかなかった〇〇の競技、もう一度やらせてもらってもよいでしょうか」

これに対する会場の父兄は、大きな拍手。
自分の参加した過去の運動会で、こんなシーンは見た記憶がありません。

うまくいかなかった競技を再挑戦する。
リトライ1回目は失敗、2回目に大成功でした。
ここでも会場から大きな拍手。

失敗した競技をわざわざリトライし、成功するまでやる。
これが現代の標準なのかわかりませんが、「天晴」と叫びたくなるような配慮でした。

さいごに

運動会は大きなトラブルもなく、無事終了。
自分が大人で、観客席側にずっといるので分かるのですが、裏化の先生方、サポート役の父兄の方の黒子の動きがすばらしい。
最後の撤収まで気を抜かず、「私、周辺のごみ拾いをしてきます」と走っていく後ろ姿。
いつものことですが、保育士さんには感謝どころの言葉では足りないと思っています。

人に親になったから分かるようになったのか、若いころなら見過ごしていたが、心に残るシーンもありました。
かけっこで少し身体に麻痺がある子が走る姿。

周囲の子に比べ圧倒的に遅く、最下位で時間はかかるが、その姿を見ていろいろな想いが頭を駆け巡る。
「大丈夫だ!最後までもうちょっとだ!」と、心の中で前のめりに応援している自分がいる。

中でも、僕の中で一番グッと来たのが、子ども達によるパパママへの感謝の言葉。
ある演技の最後に、子ども達が声を合わせ、話し出しました。

「お父さん、いつもお仕事頑張ってくれてアリガトウ」
「お母さん、いつもおいしいご飯をつくってくれてアリガトウ」

前回に記事に続き、ベタベタの使い古された言葉ですが、これが文字通り「胸にザックリ刺さる」。
自分が親なのだなぁ、と思う一コマでした。