この文章のトピックスは以下です。
・国内のイチゴ出荷量は52年で14.8%減
・作付面積は52年で65.4%減
・1ha当たりのイチゴ修学量は52年で約2.5倍
・都道府県別イチゴ収穫量ずっと1位は栃木県
・世界的にイチゴ生産量は22年で2倍に増加
・イチゴ生産量1位は中国で伸び続けている
国内のイチゴ出荷量は半世紀で約1.5割減

出典:作況調査(野菜)(農林水産省)
上記は日本国内のイチゴの出荷量と作付面積です。
出荷量は1973年170600トン、2024年145400トン、前後比-25200トン(85.2%)。
作付面積は1973年13600ha、2024年4700ha、前後比-8900ha(34.6%)。
出荷量のピークは1990年の196200トンで、その後緩やかに下がり続けています。
作付面積の減少幅は大きく、半世紀で約1/3まで減っています。

出典:作況調査(野菜)(農林水産省)
上記は日本国内の1ha当たりのイチゴ収穫量です。
1ha当たりの出荷量は1973年12.5トン、2024年30.9トン、前後比+18.4トン(246.6%)。
1つ上のグラフで作付面積が大きく減少しており収穫量は少しの減少であり、その結果1ha当たりの収穫量は伸び続けています。
都道府県別イチゴ収穫量が多い県

出典:作況調査(野菜)(農林水産省)
上記は都道府県別のイチゴ出荷量Top7です。
2024年の順位で1位は頭1つ抜けている栃木で2024年出荷量は24100トン。
次いで2位福岡、3位熊本、4位愛知です。
この52年間の伸び率では、長崎867.4%と熊本835.3%が大きく伸長しています。
世界的にイチゴ生産量は右肩上がり

出典:世界の果実生産の動向と消費国の動向(農林水産省)
上記は世界のイチゴ総生産量です。
グラフを見ると右肩上がりでイチゴ生産量は伸びています。
コロナウィルス禍直前期に山が1つできているのも特徴です。

出典:世界の果実生産の動向と消費国の動向(農林水産省)
上記はイチゴ生産量Top5と11位の日本の情報です。
1位は圧倒的に中国で、近年の伸び率もすさまじい。
2位はアメリカで横ばい。
日本は11位でアメリカ同様、横ばいです。
(物語)変化を重ね実る
香織(かおり)が幼い頃に食べたイチゴは酸っぱかった。
香織はたいていの子どもと同じく酸っぱさは苦手で、おやつにイチゴが出てきても興奮する食べものではなく。
苦みや酸っぱさを、味の深みとしてとらえられるようになるのはまだまだ先。
それを知ってか母はイチゴを出してくれる時、砂糖かけてその味をやわらげていた。
小粒で不揃い、赤い果肉ではない白い部分面積も大きい果実の上にかかる砂糖。
香織にとってイチゴは単体で食べものではなく、砂糖のサポートを受けて食指が動くレベルであった。
母が砂糖をかけてくれたのは、香織の心がまだ世界の硬さに耐えられない隠喩のようでもあった。
ある時、香りのイチゴを食べる姿を見ていた母は、ぽつりと独り言のようにつぶやいた。
「大人になれば、イチゴの味も変わるのよ。」
それを聞いた時には「そんなことあるわけがない」と思ったが「ふーん」と受け流した。
香織は成長し大学生になった頃、同じサークルのひとりの男性と出会った。
彼は年齢の割に考え方が大人びており、いつも一人で行動している、いまならボッチに分類されるであろう人。
実際、彼が他人と積極的に会話する姿を見かけたことはなく、寡黙でいつもどこか遠くを見ているような。
自分に自信がない香織にとって、彼は吹きすさぶ草原に単独で立っているような木のようにも見え、ひそかにあこがれる存在になっていた。
二人は同じサークルなので、それなりに接点があり一緒にいる時間が積み重なる。
香織も彼も積極的に飲み会に参加するタイプではないが、あるときの年末サークル忘年会に参加すると、そこに彼の姿を見つけた。
親しい友人からは奥手と嬉しくない評価を受ける香織だが、その時は勇気を振り絞って何気ない振りをして彼の隣に席を確保した。
だれにも聞かれることはないが、香織の胸の鼓動はいつもより早くなっていた。
この時、二人は普通に話せる距離感にはなっており、たわいない会話で時間が過ぎる。
雑談の流れで「人間としての味」に二人の会話は移行したとき、彼はぽつりと香織に言った。
「君は、まだ自分の味を知らないんじゃないかな。」
どんな意図でどんな意味があるのか掴み切れない言葉だったが、気になる人からの暗喩とも取れるその言葉は、実になる前の果実のように香織の胸に残った。
その後、大学卒業まで香織の秘めた想いは実ることなく、二人は就職し接点がなくなった。
例えばサークルで部長になってリーダーとして先頭に立つのは無理、そのリーダーをサポートする役割が自分には向いていると考えている香織は、堅実に積み上げるのが苦にならない性格。
就職して数年間はこの自分の特性を活かし、着実に仕事をこなしていく。
それは果実が根を張って大きな実をつけるための、大切な準備段階のようでもあり。
結果、同期の中でも仕事ができる側の評価を受けるようになり、小さな自信くらは持てるようにはなった。
それでも大学時代に出会った彼のように、自分が一人で立っているような感覚には至っておらず、いずれは自分の核たる自信を持った自立した人になりたいと考えていた。
ある冬の日の、大き目のプレゼンを成功させ、いつもはあり得ない定時前に退社し帰路についた香織。
駅からワンルームの自宅への通り道沿いにある、いつもは自分の帰りの時間が遅いので閉店している果物屋がまだやっていたのが目に留まった。
物価の高騰もあり普段フルーツを買うことはない香織だが、その日は仕事がひと段落した高揚感もあり、その果物屋をのぞいてみた。
たくさんの果物が並んでいる中、お店に入ってすぐの場所におおきなイチゴ「あまおう」が光っていた。
その姿は子どもの頃、自分が食べていた小粒のイチゴではなく、片手で握りこめないくらいの大粒の濃い赤色。
じっとあまおうに見入っている香織を見た果物屋さんのおじさんは、香織に声をかける。
「良かったら1つ食べてみないかい。」
果物を凝視する変な女と思われたのかと香織は想像し、恥ずかしさもあり「あ、えっと、その」と口ごもる。
おじさんは店先に並んでいるあまおうパックの中で、試食用に用意していたパックを香織の前に差し出す。
断わる流れでもなく「すいません、では1ついただきます」と香織は答える。
試食用のあまおうは、1粒そのままだと大きいので半分に切ったものがパックに入っている。
それでもかなりの大きさで、一口で食べるには恥ずかしいのでさらに半分くらいの1/4くらいを口に入れてみる。
「甘い」
あまりに陳腐な一言だが、とにかく甘い。
ただその甘さは砂糖の強制的な甘さではなく、浅い甘さが最初に来て、果汁が口に広がると一気に濃くなる虹色のような自然な甘さ。
さらにその奥にイチゴの酸味も感じられ、幾重にも織り込まれた複層的な味がする。
自分が子どもの頃食べていたイチゴと同じ食べ物とは思えな味だった。
真剣な顔をしてイチゴを食べている香織をみて、果物屋のおじさんは世間話のように話し出す。
「昔のイチゴは酸っぱくて形が不ぞろいなものも多かったけど、いまの商品はどれも美味しい。
それは品種改良や生産者さんたちの努力の結果で、いま日本のイチゴは世界的に評価されているんだよ。
ただ、そんな美味しいイチゴでも、うまく熟さないものもあるんだよ。」
その言葉を聞いて、香りの中で昔の母の言葉が浮上してくる。
「大人になれば、イチゴの味も変わるのよ。」
自分の味覚が変わったのか、イチゴ自体がおいしくなったのか、あるいは別の何かなのか。
品種改良や味覚の変化はもちろんあるが、いまの自分に対して漠然と感じていること。
「円熟」という言葉に照らして、自分が人として成熟できているのか。
そのとき、スマートフォンが震えた。
手をハンカチでふいた後、スマホを取り出し画面をみると、そこに見覚えのある名前があった。
大学時代同じサークルに属して香織が想いを寄せていた、あの彼からのメッセージ。
「久しぶり。君はもう自分の味が分かったかい?」
香織はイチゴの甘さを舌に残したまま、ゆっくりと息を吸い込んだ。
さいごに
いまのイチゴはどれを食べても美味しい。
競争を勝ち抜いたがごとく、選別された商品価値の高いものがスーパーには並んでおり、わが家の子どもは喜んでイチゴを食べています。
そんなわが家の子どもはイチゴに砂糖をかける行為は未経験。
コンデンスミルク(練乳)もかけたことはないので、イチゴは甘味を足して食べるものとは認識していないはずです。
僕の子どもの頃は、イチゴに砂糖をかけていました。
時代の流れとともにいろいろなものが進化していますが、イチゴもその1つです。
