いつまで抱っこをするか問題と対象恒常性

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育児・子供観察

子どもが抱っこをせがんできた時、抱っこするかしないか。
子どもの月齢や発達状況、親側の体力や荷物など、子育てあるある問題です。
1つの考え方として乳幼児の親子関係が大きく影響する「対象恒常性(object consistency)」というものがあります。
親に一定の愛情を受けた子どもは、それがその後の人間関係を築く土台になるというお話です。

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対象恒常性という心理的安全基地

対象恒常性とは「母親などその人が目の前にいなくても、心の中でその存在を作り出し安定している状態」のこと。
乳児期の「いないいないばぁ」で喜ぶ子どもが、その典型的な状態です。

横道に逸れますが「対象恒常性」という漢字「対象がずっとそこにいる」という意味。
この言葉だけみると、とても広い意味として使える言葉だと感じます。

話を戻して、たいていの場合、小さな子どもにとって母親は、安心(世界)の中心。
母親が視界から消えると慌てて探すのは、不安解消のための補償行動。
小さい時に母親からたくさんの愛情を受け、母親が見えなくなっても、自分で行動できるようになる。
それは「世界に対する無条件の信頼の獲得」という言い方ができます。

乳幼児は自分自身では何もできない状況、母親は物理的にも精神的にも自分の生命(存在)維持のキーパーソン。
そんな時期にたくさん愛情を注がれた子どもは、自己肯定感をもって、世界に向き合っていく。
例外を除くと、納得感のあるストーリーです。

そんな中、愛情確認の意味も含まれる「抱っこ」。
この「抱っこ」を子どもがせがんだ時、親側はいつまでそれを受け入れるのか。

抱っこ問題は悩ましい

歩き始めた頃の抱っこは、たいていの人は普通と捉えると思います。
しかし、4歳や5歳になって抱っこするのか、と言われると意見は分かれそうです。

ただ、この抱っこという行為、子どもにとって対象恒常性を構築する意味もあります。
以下の心理学者の北村氏の論文に「抱っこが少ない子どもが愛情獲得のために攻撃行動などの問題行為を起こした」という記載があります。

換言すれば、これまでのマコには、安定した対象恒常性が育つ過程で必要な母親からの“抱っこ”の供給が欠けていたということである。すると、マコの反動形成的な自己愛や退行的自己愛、攻撃的自己愛といったかたちの様々の行動は、マコが偽りの自己(D.W.Winnicott)へと向かうことなく、本当の自己(D.W.Winnicott)を生きるために愛情対象である母親とのあいだに安定した対象恒常性を確立していくための抵抗としての戦いであったと考えられる。

出典:対象恒常性と“抱っこ 同胞を噛む3歳児事例を通して(神戸大学  北村 圭三)

では、子どもが抱っこを求めてきた時にいつまで応じるのか。
回答になっていませんが、僕は個別判断しかないと思っています。

実際は僕は周囲から甘いと言われましたが、意図的に我が家の子どもを抱っこしました。
過保護・過干渉を意識しつつ、自分の親バカを肯定する意味も含めです。
これがわが家の子どもが成人した後、どう影響するのか個人的な楽しみでもあります。

自己肯定感や世界を信頼するなどの言葉を見ていて、現代社会で見かける問題が思い浮かびます。

自分自身が信じられず不安になる

対象恒常性を持っている人は、自分を信頼でき孤独にも強い。
他人の視線や言葉に惑わされず、自分で考え動くことができる。
優越感ではなく、他人に分け与えるだけの心の余裕がある。
その結果、周りにもそういう人が集まり、良い人間関係が作られる。

逆に対象恒常性が低い人は、他者依存、自己否定、他者否定。
これは境界性パーソナリティ障害の分類に近く、『自己アイデンティティーの拡散』という表現が当てはまります。

こうした文をみていて、現代の心の問題の一端を表していると僕は感じます。

では、幼少期に母親から愛情を受けられなければ、良い人間関係がつくれないのか。
そんなことはなく、人間はその後の環境や行動で変われると僕は考えています。
そうでなければ、世の中もっと荒れているはず。
ただ、幼少期に愛情を受けた子どもは、有利という点はあると思っています。

個人的にはネット社会で、より強く意識するようになったのは「自分で考える」事。
調べたいことはすぐにGoogle先生が教えてくれ、SNSなどいつまでもネットで楽しむことができる時代。
そういう状況なので、ネットから離れて自分の頭で考える時間を意識的に持つ。
意図的な「孤独」とも考えており、そうしないと僕はネット社会とうまく折り合いがつけられなかったというお話です。

さいごに

わが家の子どもを見ていて、対象恒常性というか自己肯定感が高いと感じるときがありました。

僕がかなり厳しく叱って子どもがワンワン泣いた後、すぐに僕のところに来て「一緒に遊ぼう」と言う。
こちらとしては、さっき相当厳しく叱って、子ども側もヒックヒック泣いてゴメンナサイと言ったばかり。
しっかりはっきり厳しく言ったつもりで、僕がそんなこと言われたら1日くらいは凹むけど、君はケロっとしてるの?
そんなシチュエーションが時々ありました。

僕自身、子どもの親になり、対象恒常性という言葉を知り、わが家の子どもと自分を比較してみると。
自己肯定感では我が家の子どもが圧勝、それはこちらの狙い通りという複雑な気分です。