少年犯罪件数は10年で1/4に減少だが少年再犯率は上昇

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育児・子供観察

日本の凶悪犯罪を含む犯罪件数が減少していることは、比較的一般常識となりました。
少年犯罪件数も同様で、ここ10年絞っても約1/4に減少しています。
ですがその中でも、上昇しているのが[知能犯]と[風俗犯]。
さらに暗い話題として、[少年再犯率]は上昇傾向です。

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10年前に比べ少年犯罪総数は74%減少

今回は「少年犯罪」に絞った情報です。
まず言葉の定義として「少年犯罪」は、年齢で言うと14歳~19歳。また1点、2018年の14歳~19歳の数字が未確定なので、この記事では2017年の数字を2018年も同数として使っています。


出典:犯罪統計(警察庁)

グラフは2つ、見やすくするために単位が違うものでまとめています。
一番目を引くのは1つ目のグラフの[刑法犯総数][窃盗犯][凶悪犯]が大きく下がっていること。
ここ10年で[刑法犯総数]は74%減少、[窃盗犯]は76%減少しています。
2つ目のグラフの[凶悪犯]も51%減少と、こちらも約1/2になっています。

対して、増えているのが[知能犯]の1%増加と、[風俗犯]の35%増加。
全体(総数)が減少している中での増加です。

今回僕が、少年犯罪数値の推移をみようと思った理由が「全体が減少の中で何か増えているものがないか」という点です。
結果、一番増加しているのが[風俗犯]というのは意外でしたし、正直理由が思いつきません。
そして[知能犯]が1%増加ですが、これが個人的には「やはりそうなのか」と思っていたという内容です。

というのも、僕が実社会(会社など)で、新卒年代の若い人を見ていて感じることがその発端です。

若い人の共通イメージとしての「スマートさ」

僕が所属している会社や、取引先の若い人を見ていて、全体イメージとして第1に思い浮かぶのが「スマート」さです。
僕の身の回り観測なので、それほどサンプルは多くなく、それが全体とは言いません。
それでも、彼らを見ていると、男女関係なく身ぎれいで逸脱せず、そつなくこなす人が多いです。
「失敗恐怖症」とも言われますが、たしかに言葉のイメージとしては近いと思っています。

また、これも良く言われますが「打たれ弱い」というのも実体験として感じています。
以前も書きましたが、上司に叱責され、うつ病になる実例も数例見ています。
本当のところは分かりませんが、伝えくところによるとパワハラ的な粘着質なもではなく、僕にとってはそれほど強いとは思えない言葉でも、受け取り側にとっては厳しかった、という事例です。

こうした実体験も踏まえ「若い人の犯罪」をぼんやり考えていた時、大きく2つ思いつくことがありました。
1つ目は「そもそもリスクの高い犯罪を犯さない」。
冷静に考えれば、犯罪を犯して捕まった時の社会的制裁は大きいものです。
SNS炎上や検索結果に残ることまで考えると、その後の人生に深刻な影響を残す時代です。
そこまで考えることができれば、実行に移す人は少ないという仮説です。

2つ目は「知能が高い人による犯罪増加」。
この記事の動機でもある[知能犯]が増えているのでは、という点です。
結果は思ったほど増えていないという結果ですが、もしかすると知能が高すぎて捕まっていない可能性もありそうとも思います。

一応、若者人口が減少しているので、犯罪数に減少率をかけたものも出してみました。
この10年で少子化率(減少率)は2.1%と大差はなかったので、グラフだけ乗せておきます。

 
出典:犯罪統計(警察庁)
出典:人口推計の結果の概要(総務省統計局)

若者犯罪は減少だが再非行少年率は増加

若者の犯罪は減っている点はグッドニュースですが、1つ暗い情報があります。
1度犯罪を犯した少年が再度犯罪に手を染める「再非行少年率」は増加しています。


出典:犯罪白書(法務省)

理由を考えてみると「再スタートが以前より難しい時代なのか」と考えました。
上でも書いたインターネット社会というのも、その原因になりえます。
犯罪歴がネットに残り、人生の再スタートがうまくきれず、再度犯罪に手を染める。

また「格差社会」ということも、遠因として関連付けできそう、と考えました。
経済的困窮なので一定の学力が得られなかったり、広い世界に目を向ければ自分の居場所は他にある可能性があるにも拘わらず、そうした発想が持てない状況。
そしてあげく、行き場を失い再犯。

本当の理由は分かりませんが、日本の暗部の1つです。

さいごに

昭和時代には明らかに、パッと見てわかる「ガラの悪い人」がいました。
暴走族やヤンキーはその典型的です。

僕はいま、東京に住んでいると言う事もあると思いますが、夜にバイクの爆音を聞くことはほぼありません。
まれにバイクの爆音がするときは、集団バイクではなく、単体のレーシングバイクの音です。
別の土地で何らかのタイミングで暴走族を見ると「まだいるんだ」と思うレベルです。

当たり前かもしれませんが犯罪が少ない社会に僕は賛成です。
子どもを持って、よりその想いは強くなりました。

それとともに、綺麗すぎる社会の不安ということも、東京を歩いていて思う事でもあります。
道端の「犬の〇〇」は昭和の田舎では当たり前の風景でしたが、現代の東京ではツチノコ遭遇レベルです。