「新・頑固おやじ」になりたい

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育児・子供観察

子どもがいたずらを見つけられた時、注意した大人に対し反省したふりをして、大人がいなくなってまたイタズラを再開する。
「大人が求めるような正解っぽい反省」の言葉を使って、その場を乗り切る。
個人的には目くじらを立てるようなものでもなく、ごく一般的な行動だと思っています。
その場を穏便に乗り切るというアクションは、大人になっても重要です。

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反省したふりの言葉を発する子ども

ある児童館での出来事です。僕と僕の子どもが遊んでいた同じ部屋で、小学生中学年~高学年くらいの男の子2人が遊んでいました。

やがてその子たちは、児童館から借りたおもちゃを、箱に強い力で投げ入れ始めました。
多分、どちらかの子どもが、何らかのきっかけでスイッチが入り、その友達も続いたような印象でした。

少ししてから部屋の前の廊下を通りかかった児童館の副館長(30歳前後の男性)が、その光景を見つけました。
その副館長と子どものやり取りが以下です。

副館長:おーい、〇〇君と○○君、何やってるんだー(怒っていない)。
子ども:あっ、えーと片付けていまーす。
副館長:んーーー、片付けていたんだー。投げ入れていたように見えたけど。
子ども:(少し反省の色を出して)すいません。投げ入れていました。
副館長:投げ入れると、どうなるんだー。
子ども:オモチャが壊れまーす。
副館長:オモチャが壊れると、どうなるんだー。
子ども:他の子が遊べなくなります。
副館長:どうすれば良いんだー。
子ども:投げないように、静かに箱に入れた方が良いです。

その後、子ども達は副館長が見ている前で、静かにオモチャを箱にいれました。
しかし、副館長が立ち去った後、子ども達はまたオモチャを投げ入れ始めました。

副館長の言葉はコーチング的

まずは副館長のコーチング的な発言が、「さすが(プロ)だなぁ」と部外者ですが偉そうに思っていました。
いまは、こうした「しかりつける」のではなく「子どもに考えさせる」コーチングが一般的になりました。

また、ありがちな話ですが、その後、子ども達はまた、同様のいたずらをしだしました。
自分の子ども時代の経験からも、子どもの性質からも、友達への見栄というかカッコつけも考えるとよくある光景だと思っています。
先ほどの副館長との会話通り、「一般的に正しい回答」を子どもが発言している、それだけで及第点だと思っています。

僕は第三者で無関係なので、子ども達の後の行動もそのまま見ることができたということは、その立場ゆえです。
これが自分と自分の子どもとのやり取りだったとすると、子どものその後の行動は観察できません。
そういう意味で、児童館は子どもの行動など知ることができる場所です。

子ども達の行動を単純化するには情報が少ないですが、話を進めるためにここでは「口だけの反省でその場を乗り切る」とします。
この点から、自分の子どもを叱るときにどうしたらよいのか、と考えてみました。

基本はコーチングで叱るときははっきりすっきり

前提として、そもそも「子どもの叱り方」は、1つの回答がない、たぶん全親が悩む永遠のテーマです。
そのうえで僕の方針は、副館長と同様のコーチング+ティーチングが最初で、それが効果的ではないときに叱ります。

子どもの性格や状況にもよりますが、僕が指針として考えているのが「自分で考えてほしい」ということ。
上記の例で言う副館長さんのやりとりは、まさしくうまく子ども達から答えを引き出しています。
その先は簡単にコントロールできるものではなく、信頼とか愛情のレベルだと思っています。

また子どもが逃げ場がないくらいに追い込むことも避けたい。
一度、頑固になると、ゴメンナサイがなかなか言えないのが子ども。
大人側が正論を振りかざし追い込むのではなく、うまく子どもの言葉で状況を発言させる。
たとえそれが、その場限りだったとしても、少なくともそういう一般的な正しさを子どもが発言できていれば良しとする。
本当に危険なことや、やってはいけないことをやる場合はいよいよ次の手段。意識的に強めに「やめなさい!なぜそれをするんですか!」となるべく短時間、叱る。

僕は何でもコーチングが良いとも思っていません。
どこかで大人は怖いもの、特に父親はある程度そういうものだと子どもにイメージしてもらうことは、子どもの将来に影響すると考えています。

単純なウソではなく心理障害の可能性も一応はある

僕は子どもも含め、人間は嘘をつく生き物だと思っています。
それを全面否定するのではなく、「方便」という言葉通り、それによって全体が良くなるのであれば、肯定します。
ただ、心理学的には子どものウソが過度になると、以下の障害に当たる場合もあります。

▼演技性パーソナリティ障害
自分が注目されることを目指し、嘘(演技)をついて相手の注意を引き付ける

▼虚偽性障害
人の注意を引くために仮病をつかう

こうした心理障害の原因や真因として言われるのが愛情不足。
愛情が不足している子どもが、注目してもらうために親の嫌がることをあえてする、というのは納得できます。

その解決策として言われるのが、子どもをどれだけ抱きしめているか。
叱る側の親が子どもにとっての「安全基地」であれば、伝わることも多い、個人的な希望としてもそうあってほしい。
すこし逸れますがGoogle社のチームの生産性には「心理的安全性(サイコロジカル・セーフティー)」も近いかもとも思います。

解決策が愛情であるとして、その解答がありきたりかもしれませんが、世の中にはそうしたものも多いと思っています。
ダイエットするなら、適切な食事と運動、というのもその一例です。

さいごに

いまは死語かもしれませんが「頑固おやじ」と呼ばれる人が、以前はいました。
「頑固おやじ」の定義は不明ですが、昭和時代には近所に1人はそう呼ばれていたオッサンがいました。
そして、そのオッサンに僕はガツンと叱られた記憶も残っています。
多分、こちらが悪いことをしていたのでしょうが、当事者側の記憶からは都合の悪いことは消えています。

ちなみに「頑固おやじ」は、発達障害やアスペルガー気質に近い状態です。
以前はそんな分類も一般的にはなかったですし、当時の「頑固おやじ」に「あなたはアスペです」と言っても絶対に受け入れなかったでしょうが。
受け入れないと言えばもう1点、自分が気を付けているのが「子どもにもちゃんと謝罪する姿勢」。
自分が間違っていることを認めるだけの度量は、子どもに影響すると思っています。

それでも自分の父親を思い起こしてみると、「頑固おやじ」というほどほど頑固ではなかったですが、怖い存在でありガッツリ叱られた記憶があります。
それがいまの自分にどう影響したかと考えると、恐怖心という負の感情もあり、叱るというよりも怒るという面が強かった気もしますが、叱ってもらえてよかったと思てています。
そして、自分が子どもを持ってさらにその想いは増しています。

自分が自分の子どもにどう思われたいか。
昭和時代の「頑固おやじ」のようにいつもムスっとしてて、ろくに口も聞かないというのは、子どもの一緒に楽しめないのでイヤです。
ただ、怒っている大人が少ないという昨今の状況もあるので、僕はわが家の子どもには「普段は一緒に楽しむ親だが、悪さするとガッツリ叱られる」、現代の頑固おやじという意味で「新・頑固おやじ」になりたいと思っています。

あくまで、僕の勝手な考えなので、子どもがどう思うかはお任せです。