良い環境を目指す生存戦略

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育児・子供観察

コロナウィルス禍で見直される住環境。
外出自粛で閉塞感を経験し、テレワークで仕事ができることも実証された業種もあります。
そうなると出てくる、都心脱出の選択肢。
熟慮の末の選択であれば良いですが、安易な行動は悪手です。

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庭付きマンション1階住民の憂鬱

身近にいるマンションの1階に住む、子育て世代のママさんのぼやきを聞きました。
「わが家は小さい庭が付いているマンションの1階で、コロナで子どもの気晴らしに意外と役に立っている。だけど、同じマンションに住む2階以上に住んでいる、子育てママ友には少しだけ後ろめたい。」

多分、集合住宅の1階を選ぶ子育てのご家庭の最大の理由は、子どもの騒音。暴れまわる足音だと思います。
下の階の住人になるべく迷惑をかけたくない思い、僕もこの意見に同意です。

この方とは別の人で「マンション住まいは自粛状況には向いていない、初めて戸建てに魅力を感じた」という話も耳にしました。
ネットでも、駅近マンションだと小さなベランダしかなく、子どもも大人も閉塞感が半端ない、のような文面を見ました。

この書き込みに対し、住所がどこかはわかりませんが、大きな庭付き一戸建て住まいの人(と思われる書き込み)は、大きなビニールプールや、バーベキューセットが1年中、庭に置きっぱなしと言っている。
大きな庭があれば、敷地内で子どもが遊んだり、家庭菜園ができる。

高額な家賃や住宅ローンを払って、この先も都心に住み続けるか。
コロナ影響で、物理的に大都市圏から離れる選択を考えるご家庭が増えるのは、容易に想像できます。

住む場所の条件

住む場所を考えるとき、会社との通勤時間を計算に入れる人が大半です。
これもよく考えるとコロナ以前でも、時代遅れの考えになりつつあり、転職が一般的になり、会社の寿命も短くなった現代。
何かある度に引っ越しをするのか、あるいは住んでいる場所から通勤時間を計算して、勤める会社を通勤圏内に絞るのか。

それがコロナ過で、半ば民意の強制だった外出自粛ですが、テレワークをやってみたら仕事が回り、住居と会社の距離を考える意味がなくなくなる。
転職先の条件として、リモートができる会社が、がぜん優位になったと思っています。

僕はいま、完全在宅になったので、それが理解できます。
在宅になると、他人の目がなくなるので、仕事をしなくなる自分が不安でしたが、実際は結果を求められるのでそんな状況にもならず。
いまでは、リモート対応できる職種は原則リモートにする法制化を、どこかの政党が掲げてくれないか、と考えています。

僕は東京在住で、首都圏の通勤ラッシュを体感しています。
ラッシュ混雑の過酷な状況を回避したい、と常日頃から感じている人は多いと思っており、僕もその一人です。
こう考える人は、東京近郊には相当数いるというか、ラッシュが好きな人はたぶん、痴漢くらいでしょう。

コロナでテレワークを経験し、自宅で仕事ができることが証明されたいま、都市回避希望が高まり、その中の一定数は実行に移す気もします。
ただ、それを安易に実行するのは、愚策です。

地方移住の成功例

知り合いの腕の良い美容師さんが、10数年前、子どもが生きていく環境を考え、東京からある地方に移住されました。
ビルに囲まれた場所で、男の子3兄弟を育てるのに疑問を感じ、海と山がそばにある場所で、自然の中で子どもが育ってほしい。

この方、10数年経ったいまでも、その移住先で美容院を続けておられ、SNSを見ると楽しそうに生きている画像が見られます。
SNS投稿内容が現実と近いかは、このお話とは無関係なので寄り道はしません。

この方の美容の技術は高く、いまでも東京でなじみだった、昔からお客様が訪れるている。
髪を切るために、数百キロ離れた場所までわざわざ来させる、なかなかの技術です。

これが、1つの地方移住の成功例だと、僕は考えています。
成功基準の最上位は「希望する所得が得られる環境」。

東日本大震災で、大きな影響を受けた場所に住んでいる別の友人は、震災以前から「地方は仕事がない、あっても限られる、給料は安い」と言っていました。
震災後はさらに厳しく、住宅の二重ローンや、会社を一から立て直すなど、安易な想像は失礼になるレベル。
この人以外でも、東京で仕事をしている人で、実家が地方の人に聞くと、たいてい「仕事が・・・」の発言をされます。

地方移住にあたって、当たり前すぎですが、最低限詰めておかないといけない点は、どうやって稼ぐか。

生き残り戦略

現実論として、地方の未来がどうなるかと言えば、僕は暗いと予想しています。

この先の日本経済が下がるのは不可避、言うなら泥船状態。
少子化も、社会保障問題も、場当たり感満載の問題先送り合戦。
年齢が高い人ほど逃げ切り戦略で目をそらしているのか、金額が大きすぎて自分事と考えられないのか。

毎年の社会保障費の伸びと、人口動態から考えれば、小学生でもわかる出費の増大です。
対して、人口減少や経済停滞で税収が増える要素は増税くらいで、使えるお金がありません。

使えるお金を未来の借金から賄ったとして、そのお金をどこに回すのか。
コロナで各家庭へマスク配布の悪例のように、安易なお金の使い方は、いまやネットの普及でたたかれやすいので減ったように思いますが、この先、いままで以上の取捨選択が、求められます。

そこでよくある論争の「東京と地方のどちらにお金を回すのか」地方切り捨て論です。
二者択一の選択ではないのは当たり前ですが、どこにどれだけ配分するか。
全体最適が望める経済環境ではなく、全体幸福の最大化を目指すなら。

護送船団方式が通用したのは、バブル期までの過去物語です。
2000年以降の、世界株式時価総額で一気にランクインした、インターネット系の新興勢力。
同業が複数顔をそろえるのではなく、ユニークなビジネスモデル企業が1社、台頭しました。
GAFAMもそうですし、テスラモータースや、Uberなど、1強他弱の時代です。
おいしそうな狩場は、大資本が参集して、一網打尽にごっそり収穫。

この現代の会社の流れを、東京と地方の論争に当てはめるのは無理筋ですが、都道府県別平均所得額や税収をみて、東京近郊がトップの現実をどう受け止めるか。

栄枯盛衰は真理で、そのサイクルが短くなっているのも、だれしも分かっていることです。
「栄」の状況、伸びる環境にいるだけで、収入が多く、未来につながるスキルも身に就く可能性がある。
実例として、2000年より前にコンピュータやインターネット界隈にいた人は、それがインフラとなったいま、市場価値が高いです。
逆にいま、紙の新聞配達員を仕事として薦める進路相談員がいるなら、よほどの何かあるのか疑います。

生存戦略として、どこででもやっていける一部の人になるのか、よりよい環境を探すのか。
僕は大半の人は、後者が生き残り戦略として良いと考えています。

隣の芝は青い

僕は地方で育ち、社会人になって東京に移住しました。
たまたま、僕が会話をする子持ちのご近所さんも、地方育ちの人が数組います。

彼らは子どもにとって、一般的な競争環境として、東京は地方とは比べられない良い場所と口をそろえます。
上から目線ではなく「大きな声では言えませんが」の姿勢で話すのも、地方出身の東京人らしい。
いまの子育て世代といまの子ども達では、20年以上、時代が違いますが、地方と東京の両方を知っている人たちの言葉であり、東京にうまく順応できれば、スタート地点がだいぶ優位になると評します。

東京は学生にとって選択肢が多く、社会に出てもお金を稼いだり、能力を磨く場所に事欠かない。
すべてではないですが、そもそも選抜された家庭が残っているのが東京で、総論、子どもの環境が整う可能性も高くなる。
整った環境で磨かれた人が身近にいて、お互いに教えあう効用を知り、それを実際に発揮し、自分にはない圧倒的な力に触れ、自分見つめる視点を持つ。

対し、地方の良く言われる「自然豊か」や「生活費が安い」のメリットは、単純にその言葉としては僕は同意です。
わが家はいま、わざわざキャンプ道具を車に積んで自然の中に行きます。
僕は、こんな行為をしている自分を見て、根っこは田舎者だと感じています。

少子化が進む中、より統廃合が進む学校環境の中で、子どもが上位学校に所属し続けられれば良いですが、そうではなかったときのリカバリーは、地方は東京より厳しい。
勉強がすべてではないのは当たり前ですが、自分の視野を広げる意味でも、学ぶ楽しさを学生時代に知っておくのは、のちの人生が変わります。
子どもが育つ環境として、東京か地方かに投票するなら、僕は迷わず東京に1票を投じます。

とは言え、こうしたよくある論争を並べても、最終的に決めるのはたいていは夫婦の総意です。
責任が取れる単位も家族が基本とするなら、できれば家族全員の意見を中庸点が理想ですが、現実は子どもの意見は重きを置かれない。

今回、コロナウィルス禍で地方移住機運が高まっているニュースを見て、安易に考えない方がよいと思ったのがこの文章を書こうと思ったきっかけです。
収入確保は最低限としても、移住先の未来の状況や、家族の順応力を見据え、成功イメージが描けるのか。
子どもがいるなら、どういう教育環境になるのか。

隣の芝は青く見えるもの。
行き当たりばったりで、どこででも生きられる強さ、それを子どもにも経験させる戦略ならそれも良いですが、家族が路頭に迷う可能性が高いのもこのやり方です。

さいごに

僕は東京に住みたいと目指してきたのではなく、流されて東京に住んでいます。
ある意味、お気楽組です。

江戸っ子の定義が3代続くのを指すであれば、江戸っ子は東京に強い思い入れがある人が多いのかもしれません。
対し、僕は東京在住にたいした意味は感じておらず、自分一人ならどこに行っても良いと思っています。

東京は故郷ではなく、極端な言い方をするとヤドカリ。
自分が育った場所に対しても、すでに故郷を捨てている感覚でいます。

どこにも故郷を感じる場所がないことについて、悲観しているかというとそうでもなく。
いまは身軽になれて、自分にはこれがあっていると思っています。