心理的ソーシャルディスタンスのたしなみ

スポンサーリンク
育児・子供観察

子どもが、友達の家に上がる機会が減っている。
それにつられ、家族間のつながりもドライなのが現代の流れだと感じます。
他の家に入らなくても生きていけますが、機会の減少でそれにまつわる経験を積むことが少なくなる。
人との距離感をうまく保てると、楽しいことも増えます。

スポンサーリンク

ファミコンがやりたい

昭和時代に発売された、初代ファミリーコンピュータ(以下ファミコン)。
子ども達に圧倒的な人気を獲得し、それを持っている子どもは仲間内でもヒーロー。
その子の家に友達が集まる、誘蛾灯のような存在でした。

当時、僕の家にはファミコンはなく、ゲームをしたかった僕は、友達の家に隙を見ては上がりこんでいました。
人気商品でしたがそれほど流通しておらず、クラス内でも1割~2割くらいが保有していたと記憶しています。

本体のお値段はお年玉1回~2回くらい分。
ファミコン人気絶頂のある年、お年玉で買うと心に決めて、その年の年始を待ちました。

年が明け、気乗りしない「お年玉回収のためのお年賀親戚巡り」を、ファミコンのためと自分に言い聞かせ、わずかな笑顔で乗り越えお年玉を獲得。
集めたお年玉を握りしめて、いよいよアレが僕のものになると、興奮状態で近くのおもちゃ屋さんに乗り込む。
しかし「在庫なし」で、すごすごと撤退した苦い記憶があります。

当時はネットがなく、僕は地方暮らしだったので、おもちゃを買うのは近所のおもちゃ屋さん。
僕は、大人に話しかけるのが苦手な子どもでした。
それでも勇気を出して「いつなら買えますか?」とおもちゃ屋さんのオジサンに聞いても、うそか誠か「分からない」の時代でした。
いまなら「予約」を思いつくのですが、当時はその思いに至らず。
いろいろな意味で、狭い世界で生きていました。

ファミコン入手に失敗しても、ファミコンはやりたい。
自分の交友範囲の中で、ファミコンを持っている友達の家に行ってやるしかない。

当時はまだ、ゲームに対しての一般許容度がいまより低く、ゲームをする行為自体、大人は眉を顰めていました。
ファミコンがある家のゲームルール、たとえばゲームは1日1時間などで終了があり、タイムアップとともにテレビがあるリビングから友人の部屋へ移動です。
当時、テレビは一家に1台、だいたいリビングに置かれており、自分の部屋にスマホも含めたディスプレーはありませんでした。

ファミコンは一例ですが、僕が子どものころは、こうして他人の家に入る機会がありましたが、いまはその機会が減った気がします。

町内会に入る人は少ない

現代風と言えば、僕のご近所さんは、わが家を含めほとんどの人が「町内会」に入っていません。

僕はいまの住所に引っ越してきたときに、町内会のお誘いを人づてに受けました。
僕に話を持ってきた人は、この近所の情報集約点的な人。

僕はまず、その人に「あなたは、町内会に入っていますか?」と聞きました。
その回答が「昔は入っていたが、あるとき抜けました。入るメリットはないと思います」。
もともと町内会不参加希望だったわが家の考えを補強、以降、わが家は一度も町内会に属していません。

いま、町内会に加入している人は、昔から住んでいるご高齢者のみ、新たに引っ越してきた人は100%未加入と聞いています。
町内会参加者の一部から、現状に不満を持っている人がいる話も、うわさレベルで耳にしています。
それでも、ご近所間で大きな世代間闘争もなく、わが家では自分の親より年齢が高い方とも、仲良く世間話しています。

ご高齢者との連絡方法は、昔ながらの電話番号交換ですが、現役世代となるとLINEが標準。
わが家は、隣の家に、年齢の近い子どもがいます。
顔を合わせれば、あいさつはしますし、LINEでお互いの連絡先を交換しています。
ただ、わが家の子どもも含めて、お互いの玄関先以上の、家の中には入ったことがありません。

何かあれば、協力も惜しまないし、現実的な有用情報を共有することはそれなりにあります。
あそこのお肉屋さんは安くておいしいとか、あそこの幼稚園・保育園はああだこうだ。

他にも、近所のだれかが亡くなった時、どういう対応をするか話し合う。
ご遺族のご意向や、お互いの距離感によって、あえて何もしない選択肢もあります。
仏花をお金を出し合ってお渡しするとき、だいたいの値段をあらかじめ相談して、だれかが用意して割り勘する。
なるべく、個人の意見を取り入れ、妥当な落としどころをさがす。
日本の国会で大の大人が発言者にヤジを飛ばすのとは対極の、合議制がうまくいっているように感じます。

距離感は、近づきすぎず離れすぎず。
昭和時代とは違う、現代の都市型近所づきあいの典型的かもしれません。

友達の家での経験

僕が子どものころは、一緒に遊んでいた友達の家で、夕ご飯をお呼ばれすることがありました。
これはお互い様で、僕の友人がわが家でご飯を食べることもある。
子どもにとっては、仲の良い友達と一緒に食事ができてはしゃいでいるが、親としては面倒くさかったと想像します。

夕ご飯が近い時間になると、まずは自分の母親が来訪の子どもに「今日、家でご飯食べてく?」と聞く。
子どもはたいてい「Yes」、ホスト側の母親がゲスト側の母親に電話連絡。
「今日、〇〇くん、こちらでご飯を食べさせても良いですか?」
勝手知ったるお話なので、ゲスト側の母親も「すいません、よろしくお願いします」のやりとり。

こうした大人のやり取りを、こどもが間近に見聞きする。
他人との調整の仕方、押すところと引くところの調和点を、子どもは経験できます。

時にそれはお泊り会になり、その家のいくつかの部屋に入ることになります。

リビングでテレビゲーム。
ダイニングで食事。
子どもの部屋で遊ぶ。
トイレやお風呂。

そのお家のかなりの部屋に出入りしている。
慣れからくることもあり、昔は友達の家へ入る境界線がぼんやり、いまはその線が少し明確になったような。

核家族化の意味が変わってきている

昭和時代で進んだ核家族化は、「祖父母」と「両親+子ども」が離れて暮らす状況でした。
現代は一歩進んで、子どもを通じたお互いの家族のやり取りが減っている気がします。

親側のリスク回避思考が根底に流れていると、自分を見て感じます。
相手にメリットがある内容を、なるべく押し付けないよう手渡したつもりでも、逆鱗に触れるニュースを見聞きする。

たいていの人は、意にそぐわない内容でも受け流す術、処世術を身に着けていますが、モンスター遭遇時の対応工数が大きすぎる。
現代が、ノイジーマイノリティに支配されている所以を感じます。

この親の考え方が、子どもにも影響を及ぼす。
だれかと深く接する、あるいは接する意味があまりないものに近づかない。
子どもが友達の家に上がる、心理ハードルが高くなる。

僕は、他人の家に上がる回数が減ること自体、問題とは思っていません。
あるとするなら、日常的に話す必要がない間柄の人、たとえば友達の母親や父親などの、いつもの自分のテリトリー外の人との接触が減る点です。

僕は大人になって、さまざまな年代の人と接する機会が増え、知らないお話を自分事として聞くと、とてもおもしろいことに気づきました。
とは言え、僕はいま町内会を避けている最大の理由が、老害とよばれる事象からの逃げなので、自分の都合でえり好みしている矛盾も認識しています。

さいごに

いまは小中学生が公園に集まって、スマホや携帯ゲーム機でゲームをやっている姿を見かけます。
マンションの1階の共有スペースもその1つで、屋根があるので雨や夏の日差しを避けての、場所選びだと見ています。

これはゲームが日常に一コマとして、また本体が持ち出し可能になったために実現した光景。
これも、他人の家に上がり込まない要因になると、ある時気づきました。

他人が握ったおにぎりを食べられない子どもが増えていると、ニュースで見ました。
これも、「なぜ食べられないの?」と僕は思わず、決めるのは個人の考えを尊重で良いのでは、と受け取っています。
ただ、自分のテリトリーの死守、防壁を高くしすぎると、楽しいことに出会う回数が減るとは思っています。

コロナウィルス禍で、物理的ソーシャルディスタンスが求められました。
ある時には勇気を振り絞って相手の懐に踏み込むことも含め、うまい距離感を保つ心理的ソーシャルディスタンスは、現代人のたしなみです。