子どもの無知を叱る失敗

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育児・子供観察

子どもが過去に未経験のことをやって、大人がそれはダメでしょ、と言ってしまう。
子どもにとっては「何で?」と思って当然ですが、大人は自分の経験などで当然と判断して、それを言葉にしてしまう。
これが子どもの冒険心を奪ってしまっていないか。
僕は「ダメでしょ」と言ってしまった後に、「ゴメン、知らなかったよね」と言っていました。

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なんでもボタンを押すのが子ども

ある年齢になると、子どもは「ボタン押し怪獣」になります。
自分の幼少期も含め、たいていの子どもがそうなると思っていますが、例外はどれくらいいるのでしょうか。
それくらい「ボタン」の魅力は絶大です。

中でもエレベーターのボタンは、押す回数が多い筆頭。
まだ数字もわからないときから、とにかくボタンを押したがります。
数字を理解していない時期は、僕は「1階のこのボタン、押してねー」と誘導していました。
これは数字を覚える1つのトレーニングになるかも、とたいていの親は考えていると思います。

わが家の子どもも赤ちゃんから無事「ボタン押し怪獣」に成長し、ボタンを押す機会あると走ってボタンに近づいて行っていました。

トイレのウォシュレットボタンを押してビックリ

わが家のボタン押し怪獣が、ビックリした姿がおもしろかったのが、トイレのウォシュレット。
座面に座って用を足した後、座った横に見慣れないボタンを発見したわが家の子ども。

押します、もれなく押します。
ボタンがいくつか並んでいるので、少し迷いましたが、無事おしり向けのボタンをプッシュ。
機能通り発射された水流が、子ども自身のおしりに直撃。
ビックリしておしりを浮かして逃れようとしたシュールな姿は、思い出しても笑みがこぼれます。

見ていておもしろかったのですが「ダメでしょ、このボタン押したら」とつい言葉にしてしまいました。
子どもは「ゴメンナサイ」と謝罪したのですが『間違えた。これ知らなかったのを好奇心で押しただけだ』気づきました。
初見なので、やって良いかどうかまだ判断できない段階、ただボタン押し怪獣が降臨しただけ。

僕も「ゴメン、知らなかったよね。これ初めて見たヤツだよね」と謝罪。
「おしりに水がかかったでしょ、これはそういうボタンなんだよ、必要な時に使おうね」と話しました。
無知を叱るのは適当ではなく、やってはいけないと分かってやる場合は叱ります。

失敗の機会を奪いたくない

僕は失敗が予想できる場合でも、できるだけ手を出さないようにしたいと考えています。
つい先回りしてしまうようなとこもあり、実際はまだまだ修行中の身です。

子どもの「これ、なんだろう?」好奇心と、実行体験。
「ダメ」の連発は、子どもの好奇心を削いで、成長に影響すると思っています。
いろいろな実体験が、納得度高く理解でき、たくさんの成功体験も失敗体験も作ります。

成功体験を積み重ねるのは重要。
どうしたら成功するのか、言語化しておくのは、1つのカードを持つのよ同じ意味かもしれません。
同じ状況はないのですが、似たような状況の時に、1つの指針にはなります。

それよりももっと学んでほしいのが、豊富な失敗体験。
僕が失敗の効用として考えているのが「失敗しても考えて再挑戦する」訓練。

定型業務を正確に遂行する人は、現代はその地位が下落、もしくは限定されてきています。
早い変化と不確定だらけの世の中で、何かを組み合わせて新しい何かを作り出す。

最初から失敗して良いと姿勢は違いますが、いくら考えても失敗するときははします。
考えすぎては時機を失してしまいます。
成功には絶対的なメソッドはなく、数打ったところ、たまたま1つ当たる感覚が近い気もします。
そんな社会の中、たとえそれが好奇心旺盛からくるものであったとしても、挑戦しなくてはゼロのままです。

大人が整備した歩きやすい道を子どもを歩かせるのも危険。
自分で歩きにくい道かどうか判断し、歩きにくければどう歩くのか、自分の頭で考える。
転んで痛い思いをする機会も、奪ってはいけないと思っています。

さいごに

だれかに迷惑がかかる、人を傷付けるのはNGであり、これは社会の一員として基本です。
しかしそのルールも、法律に明文化されたものなどを除けば、モラルなどは時代とともに変わってもいきます。
僕はグレーゾーンであれば、幼少期はやらせたいと思っています。

子どもを信頼して、できるだけやらせる。
周囲の大人や社会も、それをあたたかく受け入れる。
閉そく感が強まっている日本社会ですが、こういう姿勢は将来、日本(人)が世界で活躍するための土台になるのではないか。

子どもに伝えてしまってよいか悩ましいですが、子どもが失敗しても、現実は親が責任をとります。
失敗しても責任を負わなくてよいのは、子ども時代の特権でもあります。
そして少しレールを外れた経験は、大人になっても記憶に残りやすい、自分の経験からもそう思っています。

僕は幼少期に、自分の父親に言われた言葉が、いまでも鮮明に頭に残っています。
「お前が人の道に外れたときは、お前を殺して俺も死ぬ」

いまの時代にはそぐわない、昭和の匂いのする言葉です。
ですが、その想いは子どもを持ったいま、より深く理解できたと思っています。