知の高速道路、親子で考える点

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育児・子供観察

知の高速道路を使って、短期間で一気に成長する。
昔は一般道でゆっくり成長したところを、セオリーや経験を短い時間で習得するために知の高速道路を使う。
先人の積み重ねた発見に基づいて何かを発見するたとえの「巨人の肩の上」にも通ずるものです。
子どもの成長環境の1つとして、親として考えたい点でもあり、自分の姿勢にも影響するものだと思っています。

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知の高速道路とは

インターネット普及以前は、物理的な制約で、最新の情報や幅広い情報へのアクセスは労力が必要でした。
何かの雑誌を見ていて興味を持った内容の引用論文が英語だったなら、入手するには限られた場所に行くなどの物理的な移動が必要でした。
それがIT普及で、いまはどこにいても最新の(開示された)情報が得られる時代になりました。

将棋の世界もこの波に組み込まれ、いままでは他人の棋譜(対戦の一部始終)は、ほぼリアルタイムで見られます。
これを棋士の羽生善治さんは「学習の高速道路論」と語っています。

将棋が強くなるための高速道路が一気に敷かれたということだと思います。でも、その高速道路を走り切ったところで大渋滞が起きています

だれでも容易にたくさんの情報やセオリーにアクセスでき、たくさんの対戦経験もできる。
その結果、従来より圧倒的早く、一定レベルまで向上できる環境ができました。
羽生さんはこの一定レベルを、「アマチュア最高峰の2段くらい」と話しています。

従来は近所の将棋好きのおじさんや、限られた将棋好きが集まるような場所で少しずつつ進歩していた。
それがいまは、インターネット経由でさまざまなレベルの相手と対戦できる。
人間対人間以外にも、人間対コンピューターも含みます。
コンピューターが人間を破ったニュースも、最近の話題の1つでした。

知の高速道路の先でなぜ大渋滞が起こっているのか

こうして、情報にアクセスできる人が多くなった結果、たくさんの人が一気に進歩する。
先ほどのアマチュア最高レベルの2段に、昔は一部の人しかたどり着けなかったのが、いまはたくさんの人が行けてしまう。

目標を「車を作る」の例えで考えると、いまはどんなエンジン、どんな燃料が良いのか、ある程度わかります。
それらをもとに、かなり性能の良い車ができてしまう。
実際テスラモーターズは、さまざまなパーツをうまく組み合わせて、一気にいまのポジションにたどり着きました。
それでも、ふと周囲を見渡すと、同じような車ばかりというイメージです。

そして、将棋2段にたどり着いても、そこから先はセオリーがない世界、壁が立ちはだかります。
これが大渋滞が発生している、といわれる内容です。

そうすると次に出てくる課題が、その渋滞を抜け出す方法。

たくさんの人が同じセオリーで着いたところからは独自性

先ほどの「車をつくる」例で考えてみます。
低燃費、高出力、低公害の、高品質のための設計図ひととおりそろっている。
しかし、その先には何が有用なのか、だれも分からない。

ここから必要になるのが、独自性であり、あきらめない力。
出回っている設計図にはない、新たな何かを見つけ出す能力です。

たいていの場合、それはゼロから何か生み出すのではなく、他からの転用。
すでに実用化されている水素自動車も、その一例です。

誰も回答がない問いに対して、現実的な答えを探す。
それは相応の(時間やお金などの)何かが必要であり、あきらめない力も必要になってきます。

渋滞している場所にたどり着けない場合は

将棋が短期間にうまくなりたい(知の高速道路を使う)、と思ったとします。
仮にインターネット環境がなく、東京四谷にある将棋会館の隣が自宅のような恵まれた特殊環境ではなかった場合。
その人が2段までたどり着ける可能性は低く、仮にたどり着けたとしても、かなりの時間を要することは想像できます。

いまでは将棋に限らず、アメリカの有名大学の授業なども、ある程度公開されています。
これは環境による情報格差が生まれないような配慮の一環だそうです。
学びたくても学べない人について、アカデミック世界では問題と捉えており、たとえば論文も無料で読めるようにしている。

インターネットを活用して、知の高速道路に乗れかどうか。
知の高速道路を使う人が増えているのに、それを使わなかった時に総合的に勝負になるのか。
この両者の差は大きいと、僕は考えています。

ただし、インターネットの世界は広い。
インターネット利用者はほぼ全員が認識している通り、いまは「情報が多すぎる」時代です。

情報が多ければ良いのか

国内の一般学習塾でも、自宅でのタブレットを使っての学習でもオンライン授業が一般化されています。
一流講師の授業が、安価に手軽に見られる。
一定のお金は必要ですが、従来の通学型の塾に比べれば、オンライン専門の塾は圧倒的に安価です。

そうすると次に求められるのは、情報選別能力、捨てる能力。
たとえば、英会話上達を目指した場合、書籍やネット、リアル塾から通学塾など百花繚乱。
あれもこれも手を出してみて、結果、身にならなかったお話は、ありふれています。

その人に合った(習慣的に続けられる)ものを、できるだけ絞り込む。
自分に合わないものを、見切りをつけるタイミングの練習にもなります。
もちろん、すぐにあきらめては失敗体験の蓄積にもならず、ある程度使ってみての判断が基本のような気もします。

再現性を自分の中にストックする

うまく、自分(や自分の子ども)にフィットした、オフライン教材に出会ったとします。
なぜ自分にフィットしたのか、分析することは後の財産にもなります。

何が成功の種だったのか分析し、再現性が高い抽象化をしておく。
なんとなくではなく、できる限り定型化数値化抽象化すると、その汎用性は高いものになります。

ただし、その成功はその時の環境だったから、たまたまうまくいったと言う視点は重要。
また、もっとうまくいく方法はないのかのチューニングも考える点。
この成功ががどんな状況になったら陳腐化するのか、を想像するのも面白いです。

失敗時は、成功時より多く反省する気もしますが、考えることはどちらも同じ。
別の言葉にすると「うまくいく種を自分の中にストック」でもあります。

こうした振り返りは、オフラインに限った話ではなく、オンラインでも有用です。
一人での振り返りも良いですが、第三者視点での検証も、使えれば効果は高い。

オンライン教育と、オフライン教育について、自分の頭を整理するために、比較表を作ってみました。

オンライン教育
(知の高速道路)
オフライン教育
(昭和的教育)
情報の広さ・深さ
インターネットではほぼ無限
×
教科書や選択肢がない指定の教師から習う制約
情報の鮮度
リアルタイム性
〇△×
最新の情報から昔の情報まで
△×
最新ではない
情報の精度 〇△×
未確定情報からゴミ情報まで
〇△
一般的に精査が入る
情報自体が陳腐化している可能性あり
教育進度
各自の速度に会っているか

自分の好きな時に好きな速度で進められる
△×
個別教育でない限り、一定は集団
平均値より下くらいの速度になる
周りのレベル
自分で選択が可能
同上
科目選択選択の自由
自分で選択可能
△×
決まったカリキュラム、教科書
場所
インターネット接続できれば場所は選ばない
×
学校や塾などの場所に縛られる
集中力や求められる環境は良い
同じゴールに向かう仲間が
目の前にいることはメリット
社会性
物理的な接触がない
一定レベル以上であれば、
オンラインに引けを取ることはない
〇△×
強制的にさまざまな人と接する機会が多い
自分が興味がなかったものに触れる機会
いじめなどの問題もある
我慢耐性 ×
逃げるための真理ハードルは低い

日本の同調圧力は典型的

子どもの成長に際し親が気を付ける点

自分の子どもが、知の高速道路を使って、一気に成長したいと動き出したとき、親側は何を気を付けたほうが良いか。

最大のポイントは、あくまでサポート約に徹することかもしれません。
親子で数十年の違いがあり、そもそも昭和時代の教育が、現代にそのまま当てはめてすべてうまくいくとは思えません。
良いところは取り入れ、悪いところは別の方法を使うだけ。

昭和時代はコツコツが、重要と考える時代でした。
ただ、いま振り返ってみると、当時は「無反省のコツコツ」が主流だったと思っています。
それを子どもの押し付けるのは悪手。

現代に必要なのは、最短距離でレベルを上げるためのコツコツです。
どんな世界にも、一定の積み重ねは必要で、量は質に転化していきます。
その中で、意味のないコツコツ量をどれだけ減らせるか。

親側にも求められるものとして、新たなルールに適応する能力もあります。
古い成功体験を捨てる覚悟、変わり続ける姿勢。
そもそもルールが変わっていることに、気付けないのは致命傷です。

親側も勉強し続けるのは、いまは当たり前の時代。
それができていない親が、子どもに「勉強しなさい」と言っても、「まずはお前がやれよ」と言われてなんと言い返すのか。

しかし最終的に、知の高速道路のような競争環境に乗るか乗らないかは、子どもが決めること。
走り続ける環境に身を置く場合は、それなりの覚悟が必要だと僕は考えています。

親ができるの事の中で1つで僕が思っているのは、そういう世界(環境)の存在を、子どもと話す。
そして、子どもが走り続けて疲れた時に、ちょっと休める(気持ちの)場所を作る。
何にせよ、子どもの人生は子どものものです。

オンライン教育に向いている子どもとその家族

  • 子どもが自分で自分を律することができる
  • 子どもが自分で取捨選択ができる、親がアドバイザーになれる
  • 情報の質を見極められる
  • なるべく客観的・定量的に情報を分析
  • 振り返り(反省)して次につなげるための試行錯誤の習慣がある
  • 切り捨てができる(サンクコストに縛られない)
  • 一定以上の社会性を持っている
    当たり前ですが、オフラインはオンライン以上にコミュニケーションスキルが必要
  • 親が学び続けている(オンライン教育のメリットデメリットも勉強することができる)
  • 周囲がオンライン教育の良い点悪い点を理解している
  • 子どもの友達もオンライン教育を受けている
  • 子どもがいじめにあった場合の別の教育方法の1つ

さいごに

先ほど、量は質に転化すると書きました。
これは一定のレベルまでは、たいていの事にあてはまると僕は考えています。

ある程度のレベルにならないと、その世界での一流が何なのか、自分のスタイルは分かりません。
ピカソやゴッホの絵が、どうして評価されているのか、幼稚園児には難易度が高いもの。

守破離の守であり、守までは短期間で詰め込んで駆け抜ける。
勝負はその先です。

話はまったく違うところに飛びますが、僕は歩いていて、よくひらめきます。
仕事やプライベートの事で、頭の隅でぼんやり課題として考えを残している。
するとある時、「この案は行ける!」、と歩いていて思いつきます。
僕にとっては、歩きながら考えることは、自分に合ったスタイルです。

それ以外に、アイデアをひらめく場所で、よく聞くのが「お風呂」や「便所」。
これも僕も同意で、共通点はある程度「ゆるみ・余白」がある状況です。

最近、東京都内で駅で電車待ちをしている人を眺めると、たいていの人がスマホを見ています。
歩きスマホも、若い人になればなるほど、たくさん見受けられます。

情報シャワーを浴びる(詰め込む)のも、一定までは意味があるかもしれません。
それでも、少し目線を上げると、違う世界がみえますよ、とオッサンの僕は感じています。