土づくりから夫婦で庭を作っていく。
地味で膨大な時間と労力が必要ですが、向いている人は楽しいものです。
もともとその土地が持っていた特性を生かしつつ、自分たちの意向を入れる。
思い通りにならない点も含め、それは子育てに似ています。
他人の子どもへの感情の揺れ幅
以前、職場の同僚から、子どもの写真をメール添付で送ってきてくれたことがありました。
出産を機に職場を離れた人で、僕は出産祝いの取りまとめ担当として出産祝いを送付し、その返信に赤ちゃんの写真が添えられていました。
メールをもらったとき、率直に言うと困りました。
その当時、僕には子どもがおらず、子どもの免疫が低く、どう反応して良いのか分からない。
子どもを持ったいまなら、自分の子育て経験や、身近にたくさんの子どもを見てきたので蓄積知識があります。
髪の毛の量が多いとか、ぽっちゃり系などの外見から、この子は慎重派だ、あの子は活発だが危なっかしいなど、判断基準を持っています。
それが、経験値ゼロだと、回答に窮する。
受け取った写真はベビーベットで乳児が寝ている写真でした。
写真に添えられた文章には「見てください、寝かせた方向とは逆になっています」と書かれていました。
たったそれだけの文章でも、子育て経験後のいまなら、その状況がありありと想像できます。
当時はそれができず、自分の中の共感力を全開にして出た文章が「大変そうですね」。
いまの自分が採点するなら50点くらいで、「まぁそうなんですけど、そこじゃないんですよ」と言えます。
ただ、乳児時期が親にとって死ぬほど大変なのは、当たっています。
子育ては苦労が多くうれしいは少し
子育て経験者は、子どもが一定の年齢になると、当時の記憶がなくなるのが一般的と思っていますが、乳児期に睡眠不足の中での生活維持は、人生の中でも最難関の出来事です。
他に大変な時期として思い当たるのは、受験や仕事にのめりこむなど。
と言っても、現代は徹夜は試験に逆効果が定説だったり、ずっと会社に泊まり込むような時代ではありません。
乳児期は、日常生活を最低限維持しながらの、時間との勝負。
赤ちゃんが泣き止まないとか、思い通りにいかない中で、たまに出てくる夫婦で思わず笑顔になる一コマ。
寝返りした、ハイハイできた、つかまり立ちした、歯が生えてきた、言葉が喃語でなくなってきた。
これが一番うれしいのは、ライブ体験している親で、子育て経験者もそうだったなと小さな笑顔になれます。
子育ての日常は苦労が多いが、子どもが成長していく過程に立ち会える特等席。
子育ては「夫婦で庭園を作っていく」ことと共通点が多い。
子育てを庭園づくりに見立てる
規模はどんなものでも良いのですが、自宅横に新たに土地を手に入れたとします。
手に入れた土地とは別に住む家はあり、更地の状態の土地で、がれきや石、雑草が生えている状況です。
まず夫婦で話し合って、どんな庭を目指すのか。
あんなのも良い、こんなのが最近の流行だ、すでにあるものを生かすとこんな方向になる。
暫定ですが大まかなシナリオをつくって、作業開始です。
まずはがれきをどかして、土を耕す。
その土地がどんな特徴があるのかも観察して、活かせるものは活かし、捨てる物は捨てる。
実際の土づくりは、小石を網で取り除くレベルまでやると、相当な時間がかかります。
しかし、そこまでやると、畑などにすぐに使える良い土になります。
生きている大きな木が残っていたそして、それをどうするか。
残すのか、活かすのか、移動させるのか。
いまは邪魔でも、ひとまず置いておいて、後で考える選択もあります。
土台作りの目途がついたら、当初立てたシナリオを見つつ、上物を植えていく。
この時点で、当初シナリオを大幅改変もあり得ます。
土壌にもともとあった良さや、時代の変化を取り入れたり。
より良い果実を得るための、終わりのないチューニングです。
数年経って無事、ある程度の状態になったとしても、トラブルはなくなりません。
雑草の除去、定期的な水やりを欠かせば枯れる草木も出てくる。
アリの大量発生、野良猫のフン、台風で壊滅的な打撃を受けることもあるかもしれない。
それを20年前後繰り返しても、完成ではありません。
夫婦の集大成
仮に夫婦のうち、奥様だけが、庭園造成を地道に積み上げていっていたご家庭があったとします。
ご主人は一切、庭園設計や手入れ(子育て)に感知しない。
そんなご主人が出来上がった庭園を見て、キレイだと言ったとしてもその言葉は、奥様には届きません。
「そうじゃないんです」の心の声が、奥様の中でこだましているだけ。
子育ては、夫婦共同作業の中で、最上位に調整が発生します。
お互いの想いがあり、子どもの考えや状況があり、落としどころを見つける。
家事であれば、それをやっている人に優先権があり、やり方を決めればぶれ幅も少なく、大きな方針転換もその気になれば、すぐにできます。
対し子育ては、うまくいかないのが前提。
人は思い通りに動きません。
夫婦でお互いの意見を調整しても、ときにぶつかりますが、その調整自体が夫婦の年輪になる。
長年連れ添うと顔が似てくる、という物言いがありますが、お互い調整していった結果、考え方が似てくるのはおかしくありません。
「妥協」は、負けや悪いことではなく、活きる知恵であり夫婦の未来への種まきです。
子どもが巣立っていくとき、パートナーとその後ろ姿を見て「100点にはほど遠いですが、なかなかのものがお互いの協力でできましたね」と言い合えたら。
その先、パートナーと死に別れる時、まぁ良かったな、と思えるのではないか。
さいごに
子どもの意思をなるべく尊重する子育て方法論について、100%受け入れは存在しないと思っていますが、80%だったとしてもそれが良い結果になるのは、一部の人だけだと思っています。
優先は子どもの興味ですが、そればかりでは偏る可能性が高い。
また、ゼロから何かを生み出せるは幻想で、自分の中にあるものを組み合わせて、新しいと思えるものを見つけ出す。
その組み合わせる素材を子どもの中に増やすため、押し付けている意識を持って、親の意向で動く。
押しつけなので、親の自分たちが間違っているかもしれない、と懐疑的に見る。
子ども本人がどう思っているのか、察しようと努力する。
子どもが言葉に出しても出さなくとも、その声を聴く姿勢でいたい。
わが家に子どもが生まれたとき、僕の住んでいる地区の行政機関から、出産祝いとして観葉植物が配られました。
僕はその時、幸福の木をいただき、いまのところ枯らさず成長しています。
いまその木に水をあげるのは、僕が決めたタイミングで人間側都合です。
葉っぱの状態や土などを観察して、必要な時に必要な量をあげるのが理想と思いつつ、そこまでできていません。