日本語は、ときに主語が省かれます。
英語は主語があり、その違いがよく比較対象になりますが、良し悪しではなく言語体系や文化の違い。
どんな言語を使ったとしても、基本ルールを踏まえつつ、相手が受け取りやすいボールを投げる。
子どもとたくさん会話するのは楽しみでもあり、言葉の土壌を耕せればと、あらぬ期待も持っています。
子どもの話は主語がない
子どもが話す最初の単語が何かは、夫婦げんかの鉄板ネタです。
夫が「僕を指して、ダーって言った」(ダーをパパと脳内変換)。
妻が「私を見て、まぁと言ったのが先」(まぁをママと脳内変換)。
後に振り返れば、子どもの「初めて」は無限にあり、単なるその1つですが、想像しやすい光景です。
第三者的に最初の一言を想像してみると、可能性が高そうなのが「あぁ」「ヴぅー」「おー」などの、言葉かどうかも分からない擬音が近い気がします。
本人は、のどがイガイガして咳払いのようなものを、大人が「いま、しゃべった!」と思い込みたいだけかもしれません。
それがやがて、1歳後半から~2歳過ぎて「ぶーぶ」とか、「オハナ」などの単語を使いだす。
子どもの性別や成長速度に寄りますが、早い子は3歳くらいから文章らしい発言になっていく。
「ママ、ごはん」
「あいぱっど、みる」
接続詞がないのもそうですが、子どもの話は「主語がない」時期があります。
上の2つの文章には「わたし」がありません。
子どもは、1歳半くらいで自分を自分と認識するらしいですが、「わたし」の単語を使うのはさらに先。
余談ですが、子ども以外で主語なし会話する属性として、老人もそれに当たります。
「あそこで、どーんといったんだよ」
すいません、どこで何が起こっているのでしょうか。
脳内で言葉を取捨選択して、文章を組み立ててから発言しているのではなく、その場の勢い発言です。
言っている本人は、ドーパミンが出ているのかもしれませんが、聞いている側は引いている。
子どもの場合は、まだ文章が組み立てを知らないだけですが、日本語はある程度、主語がなくても通じます。
日本語は主語がない文章もある
以下の日本語の会話ですが、日本語が母国語なら違和感を感じません。
「昨晩はよく眠れましたか?」
「はい、よく眠れました。」
英語にすると、主語がでてきます。
Did you sleep well?
Yes,I did.
日本語で過剰に主語を置くと、しつこくなります。
「先日(私が)送ったメールですが(あなたは)ご確認いただけましたでしょうか。」
「私は登山が趣味だ。(私は)登山用具店にも良く行く。(私は)道具を選んでいる時は至福の時間だ。」
日本語では「O+V」、英語では「S+V+O」。
英語では主語がないと文法的に成り立たないので、良し悪しではなく言語体系の違いです。
これを曲解して、日本語は主語なし言葉を使うので自分の意見を言わない、というのはおかしい。
原因はそこではなく、そうした経験が少ない、あるいはあうんの呼吸のような日本文化にあると感じます。
海外の方と話すと、雑談でも「議論」に近いような内容が、仕事でもプライベートでもあります。
自分の意見はこうで、根拠はコレで、君の考えとココが違う。
だけと君が嫌いというわけではなく、意見の違いを認め、自分の考えの妥当性を考える。
ビジネスであれば、どこに着地点を見いだすかのポイント探しです。
欧米諸国で小中学校を過ごした人に、当時の授業の話を聞いてみると、ディスカッションや発表の場が日本に比べたくさん存在している。
比較すると、最近の日本の授業がどうかは分かりませんが、僕の時代は発信型の経験が少なかった記憶があります。
他に、日本の精神面として、自分の純日本人の両親や周囲の高齢者を見ていると「言わなくても分かる」が標準OSに組み込まれていると感じます。
いま、仕事では、純日本組織でもフワッとした状況が少なくなっている。
だれが、いつまでに、どういうアウトプットするのか。
ビジネスで「まぁまぁ、うまくやっておいてよ」は、僕はリアルでは聞いたことがない世代です。
相手の立場に立つ
会話には、何でも討論が必要ではなく、雑談のように目的がないものもあります。
しかし、会話内容はもちろん、相手にコミュニケーションコストを強いないよう、最適な情報提供はあったほうがよい。
必要に応じて主語や何の説明をしているのかの前提情報提供も、相手に寄り添っている姿勢です。
会話自体が目的で、内容ではなく感情共有・共感が大切な場合もあります。
それとは逆に、ゴールがない話を苦手とする人もいる。
「相手の立場になって話しましょう」は小学校で何度も聞くお話です。
自分勝手に好きに話すのは、コミュニケーション能力が低いのですが、勘違いしている人もいます。
相手に「それって〇〇のこと?」と問いかけられたらイエローカードと考えた方が良い。
自分の想いが伝わらない前提に立つなら、何重に慎重さを求めても良いくらい。
耳の痛い話をしてくれる人は、大人になるほど少なくなります。
相手が自分の話をキャッチできているか、耳をそばだてないと聞き漏らします。
コミュニケーションを放棄し、自分の世界で閉じこもるのも生き方ですが、自分の枠を超えると楽しみの深度は深まります。
英語の必要性は評価しにくい時代ですが、英語を世界標準と考えるなら、ワールドワイドの会話ルールは主語アリになります。
それらの人と仕事をするときには、そのルールを知っていることがスタートライン。
言語や文化、考え方の違う人たちとの、友達でもビジネスでの会話は、自分を振り返るきっかけになります。
対面だと五感で情報を得られますが、いまはリモート会話も一般化されたので、適宜、その場にあった会話をする。
臨機応変さも会話の妙でもあり、自分の文章力・会話力のなさを他責にしては、井の中の蛙です。
子どもとの会話で気を付ける
子どもは主語がないどころか、文字通りゼロスタート。
それが、みるみる人間らしい会話になっていく。
間違っても良いので、失敗ウェルカムの幼少期に、言いまつがい(言い間違い)も含め、どんどん話してほしい。
親としては、聴く姿勢と適切なサポートを心がけたい。
親側の注意点は、会社などで上司が部下に接するときの心得と同じです。
・スマホやPCを見ながら話を聞かない(聴く姿勢)
・最後まで話させる
・適当な相槌をうつ
・相手の話に興味を持つ
・肯定的にオウム返しする
・単語が出てこなさそうな時はサポートする
・目の高さを合わせる
最後の2つは、大人同士では少ないかもしれませんが、子どもには有用です。
大人と子どもの身長差で、物理的に上からの視線では、心理的圧迫です。
そして、親自身の会話も、こどもに絶大な影響を与えます。
子どもが、自分の話を真剣に聴いている、そのときの子どもの目を見ると「まっすぐ」で、こちらの背筋をただすほど。
どれだけ気を付けても、研究結果にもあるとおり、子どもが最大の影響を受けるのは「友達」です。
小学校高学年あたりから中学校に入れば、それは顕著になります。
それを知っているが故、幼少期の子どもとの真剣勝負は得難いもの。
大人になって他人に「もっと聞かせてよ」とは言いにくいですが、自分の子ども相手なら平気です。
さいごに
「寝たねぇ」「うん、寝たようだ」
0歳児をあやしている夫婦のワンシーンです。
夫婦と赤ちゃんが、自宅のリビングで、わずかに余裕がある状況で成り立ちそうな脚本です。
この会話に主語は蛇足です。
現実は0歳児を抱えている時期は、心の余裕がゼロどころかマイナス期。
肉体的余裕もなく、1秒でも眠りたい、
その時期を超えると、こういう会話をほっこり聞けるようになります。