初めて自分の子どもを抱いたパパはどういう気持ちなのか。
僕はいまだに「その感情」を、うまく言葉にできていません。
出産直後で頭が混乱していて、時間が経てば適当な言葉が出るのかとも考えました。
しかし数年たった今でも、適当な言葉が見つかっていません。
平日の遅い時間の立ち合い出産
僕の場合、僕の奥様と事前の話し合いのもと、立ち合い出産をしました。
以前、別の記事にも少し書きましたが、出産する女性は手放しでスゴイ。
この立ち合い経験とその後の育児で、僕は世の中の母親の見方が大きく変わりました。
それまでは世のオバサンに対し「くだらない立ち話し」などと否定的な感情もありました。
しかし出産し、子どもを育てている、育て上げた母親は、それだけで偉業を成し遂げている。
自分の母親への見方も、僕が独身時代に比べ、数倍は偉大だと思うようになりました。
話がそれましたが、僕の奥様が出産した時間は平日の夜9時過ぎ。
産院の通常診療も終わって、入院中のママさん達も、自分の部屋にいる時間帯。
廊下の照明はある程度落とされ、人が少ない時間でした。
我々がお世話になった参院では、立ち合い出産のときのパパの動きは以下でした。
ママの陣痛が本格的になったら、ママは分娩台へ、パパは廊下で待つ。
出産直前に、医師が廊下にいるパパを呼びに来て、立ち合い出産。
パパは出産後すぐに、また廊下で待つ。
立ち合い出産後に初めての子どもを抱いたとき
上記の流れの元、僕は僕の奥様が出産後に、廊下で待っていました。
廊下は天井のメイン照明が落とされ、非常灯的な明かりのみの、だいぶ暗い環境。
夜10:00近かったので、自分以外誰もいない状況。
この時点ではまだ、僕は赤ちゃんと直に接していません。
立ち合い出産なので、生まれ出てきた赤ちゃんを、医師が抱いているのは見ています。
僕が立っていた場所は、僕の奥様の頭の横。
赤ちゃんから1メートルちょっと距離があったので「あれが我々の子」という認識。
そんな出産状況もなんとなく回想しつつ、ボンヤリと思ったのが「次の1歩を踏み出したのだなぁ」という言葉。
特に赤ちゃんに関しての、具体的とか感情的な言葉は思い浮かびませんでした。
しばらくして分娩室のドアが開き、看護師さんに抱かれた、赤ちゃんが僕のところに来ました。
産着にくるまれた、小さな生き物を看護師さんが、大事に僕の腕の中に。
この時、絶対、落とさないように!という軽い緊張感は覚えています。
それまでの人生、赤ちゃんを抱いたことは皆無で、抱き方も相当ぎこちなかったとと思います。
抱いた赤ちゃんは本当に小さく、軽かった。
頭には黒い髪の毛がたくさんあり、水にぬれていた。
表情はとくになく、目は少し開いてボンヤリ何かを見ている。
想像していたよりしわしわでもなく、意外とつるっとした肌。
肌の色も、大人の女性の白い肌の人くらいの色。
出産前には予備知識として「しわしわでかなりサルっぽい」という情報も持っていました。
しかし実際にはそんなこともなく、かなりつるっとした小さな赤ちゃん。
「気持ち悪い」的な感情は、抱きませんでした。
僕の腕の中にいる時間は、1分弱だったと思います。
赤ちゃんはまた看護師さんに抱かれ、分娩室へ戻っていきました。
赤ちゃんを抱いたあとの感情というか、頭の中での思いは霧の中。
「モヤっ」という言葉が、一番近いかもしれません。
自分が、すごく大切な存在をまだ認識できていないだけ?とも考えられます。
そんなうまく言い表せない想いを、以下の本の中で見つけました。
初めて自分の赤ちゃんを見た時、
「…これって、何だろう…」と感じる人、いると思います。
善とか悪とか得とか損とか、今までの人生の中でのどんな価値観にもあてはまらないからです。
「言葉や論理では表現できないし、おそらくする必要もないもの」です。
確かに、今まで経験がなく、分類不能で、どう捉えて良いかわからない。
だからじんわり何か感情が動いているのだが、言葉にできない。
僕の想いにとても近い文章だと思いました。
「哀」の感情が薄い自分が涙を流す
コレを書いている僕は、泣く事がたぶん人より少ない人間です。
事実、一番最後に泣いたのは、数年前の身内の不幸の時にホロリとしたくらい。
自分でも「哀」の感情装置が半分壊れているのでは、と疑っているくらいです。
そんな僕が、赤ちゃんを抱いたあと、1人で廊下に座ってボンヤリしていました。
すると、軽い嗚咽とともに、涙が出てきました。
泣いた時間はわずかですが、確かに泣いている自分がいる。
「どうしたんだ?自分?」と自分でも驚きました。
自分が泣くとは思っていなかったところの落涙。
表層意識ではなく、もっと人間の根源的なものを揺さぶられたのかも、と思っています。
自分にびっくりしつつも、周りに誰もいなかったので「思う存分泣こうかな」くらいに考えていましたが、すぐに涙は止まりました。
そして、またモヤっとした言葉にできない、ちょっとだけ暖かな想いに身をゆだねていました。
さいごに
たまにパパ達に「初めて子どもを抱いたときどう思った?」と聞くことがあります。
大半は「忘れた」という回答で、残りもうまく言葉にできている人に会ったことがありません。
「この子のためにもガンバらなくては」的な回答はありますが、多分それは後付けと予想。
本当はすごい感情が沸いたのだが、恥ずかしくて言えない、というのはあるかもしれません。
それでも大半の世の中のパパ達は、うまく想いをまとめられていないのでは、と考えています。
ママたちはどうなのだろう。
多分、言語化とか小賢しいレベルではない「何か」を持っているのでは、と予想しています。
出産で気力と体力を使い果たして、エネルギー補給したい、というのも納得の状況ですが。
ではでは。