子どもの言い分をまず聞く

スポンサーリンク
育児・子供観察

子どもが悪いことをしたとき、子どもの言い分をまず聞き入れるか。
子どもに限った話ではなく、夫婦間や会社・組織でも同じようなケースは日常的です。
大人同士なら、一定まで相手の話を聞くが、子どもの話は聞けていない。
そんな実際のケースを見ていて、自分ができているかと考えてしまいました。

スポンサーリンク

父親が子どもに言い訳を許さない

東京の晴海で行われている、あるイベントにわが家の家族で行った時のことです。
いきなり横道ですが、いまの晴海は、オリンピック選手村のマンション建設ラッシュ。
建設途中の高層ビルがずらりと並んでおり、いましか見られない特殊な景色です。

その晴海で、われわれ家族が徒歩移動中の信号待ちで止まっていたところ、自転車に乗った親子連れが横に止まりました。
その1台の自転車に、親子3人が乗っていました。

前と後ろの子ども専用座席に、男の子兄弟が2人座っていて、父親が運転。
持ち物に野球のバットが見え、服装もそれらしいので、たぶん休日の野球の帰りの雰囲気です。
父親もユニホーム姿なので、子ども達に教えている役割と予想しました。
そのご家族の父親の言葉が、今回われわれ夫婦が気になった「話を聞かない親」のお話です。

後ろの子ども用座席の背もたれに、リュックサックがかけられていました。
そのリュックサックの片側がズレ落ちたことが、問題の事象。

父親は信号待ちで後ろを見た時、リュックサックが半分ズレ落ちているのに気づきました。
そして後ろの年長の子どもに「何でリュックを外すんだ」と、少し強めの言葉で言いました。
それに対し、年長の子どもは「僕じゃない、ズレ落ちただけだよ」と返答。
ここまでは、特に気にならなかったのですが、その後の父親の、子どもに反論を許さない言葉がひっかかりました。

父親「何でリュックを外すんだ、と聞いているんだ」
子ども「僕がやったんじゃないよ、勝手にこうなったんだよ」
父親「何でリュックを外すんだ」
子ども「だから、僕じゃないって」
父親「何でリュックを外すんだ」
子ども「だから・・・だから・・・、えーーーん」

子どもの言葉を受け入れない

われわれはたまたま、信号待ちで横に並んだだけです。
部外者なので、今回のリュック問題が発生しているご家族の状況や環境、前後のやり取りはわかりません。
それでも、父親側がまったく受け入れていない姿勢、少なくとも僕にはそう感じました。

しばらくして信号が青に変わって、件の自転車が遠ざかった後に、僕の奥様の発言が以下。
「細かいことはわからないけど、あれは子どもにとって、どうかと思う」
僕も、ほぼ同様の想いだったので、同意しました。

ポイントは「子どもの意見を受け入れない、頭ごなしの否定」です。

言論封殺は意欲減衰にならないのか

子どもが怒られるようなことをして、「言い訳」か「状況説明」をしたとします。

「言い訳」は、本人が悪いと認識したうえで、取り繕うことも含め立場の回復を狙う行為。
しかし、自分が悪いとわかっていて、それをうまく隠し通せるほど人生経験もないのが子ども。
結果、ゴメンナサイ、という着地点にたどり着く。

「状況説明」は、自分が悪いのではなく、正しいと思っての行動や言動。
よって「言い訳」よりも、個人差はあれど堂々と意見を言います。
それが合っているかどうかは別。

どちらにしても、そういう時の僕が気を付けているのは「まずは子どもの意見を遮らずに、質問しながら聞く(聴く)」。
その上で、大人の社会ルールに照らして悪いのであれば、何が悪いのか一緒に考えるか、こちらから説明する。
本当に悪い場合は、短く叱って、その後、努めて冷静に原因と対策を話し合う。

僕は子どもは「言い訳」をする生き物と考えています。
自分の経験からも、子どものころたくさんイタズラをして、たくさん言い訳をしてきました。
「言い訳」の理由を考えるのも1つの処世術くらいに考えており、どんな「言い訳」をするか楽しみですらあります。

「言い訳」であれ「状況説明」であれ、ここで一番気を付けているのは、子どもの発言機会を奪わない姿勢。
頭ごなしに否定・否認をされる、お前はダメなんだと言われ続けた子どもがどうなるか。
「自分には価値がない」という無価値観の木を自分の中で育て、やがて内にこもっていく。

子どもが親に自分の意見を言えない環境は、親が作ったものだと僕は思っています。
それは子ども発言機会を奪う、言論封殺。
この状況は、外からは見えにくい、危険な環境と考えています。

もう1つ危険要素として、子どもが自分の親に対して持ってしまった、対処のしようのない不平不満をどうするのか。
両親のどちらかの不満を、もう片方の両親が受け止めてくれれば、まだ救いや改善の余地があるかもしれません。
それがない四面楚歌だった子どもは、時限爆弾を抱えるような環境にならないか。

良かれと思っているのは自分だけ

僕は自分の子どもへの言葉を間違えた反省体験を、鮮明に覚えています。

以前、書きましたが、わが家ではホームベーカリーでパンを習慣的に焼いています。
そのパン作りの、材料をホームベーカリーに投入する作業を、いっとき、わが家の子どもが手伝ってくれていました。
子どもは波はあれどお手伝いしたい生き物、僕も子どもがやりたいと手をだしてきたものは積極的にやらせていました。

子どもが無言で平らげる食パンのレシピ
自宅でパンを焼くことができるホームベーカリー。 わが家の食生活を豊かにしてくれたものの1つです。 そして子どもができて気を使いだしたのが、原材料と食品添加物。 わが家ではいまのところ「キタノカオリを使ったミルクパン」に落ち着いています...

最初はうまく、材料をホームベーカリーの器に入れられないので、親側が手を添えて、一緒に作業を行う。
やがて「自分一人でやる」と言い出すので、失敗を覚悟でやらせる。
あるとき、予定通り失敗をし、その時に僕は子どもに間違った言葉を言ってしまいました。

その失敗は、牛乳をホームベーカリーの器に入れる作業を、子ども一人に任せていて、誤って少しこぼしました。
僕は、「叱る」気持ちではなく、「状況を認識してほしい」意図で次の発言をしました。
「あれれー、これどうなっている?これで良いのだっけ?」

この言葉が子どもを委縮させました。
次にパンを焼くタイミングで、またわが家の子どもは手伝ってくれていましたが、牛乳を入れる段になって、その作業を拒否。
それは親の僕にやってくれ、と言いました。
前回の僕の言葉で、子どもは自分が失敗し叱られ、失敗回避のために、行動停止。

僕の良かれと思った言葉、深く考えていない言葉が、違って受け取られた典型的な悪例です。
まだ、失敗の原因追求をし、再発防止策を考えるのには早い時期でした。
牛乳をこぼしても「大丈夫、またお願いね、助かったよ」と言わなければいけない段階。

それを僕が思い至らなく、不用意な発言で子どもが委縮する最低の親の言動。
僕は子どもに謝罪するとともに、牛乳を入れるのを一緒にやろう、と誘いました。
幸い子どもは一緒ならOK、そして次のパンを焼くときには、また一人でやるようになってくれました。

さいごに

「子どものため」や「幸せを願って」という、親の押し付け(呪い)が子どもを苦しめる。
赤ちゃんの時から接しているので、「自分の子どものことは何でも分かっている」錯覚もあるのかもしれません。
自分すらわからないのに、他人の考えは分からないのが当たり前、と僕は考えています。
「毒親」という言葉が、昔からあったか分かりませんが、漢字が指し示す意味は、僕にも少しわかるようになりました。

子どもは親を選べない。
親が子どもにできることは、そんなに多くはない。

子どもが巣立つまで、あと何年残っているのだろう。
子どもも含め、わが家の全員がこの家庭(チーム)の一員で良かった、と思える関係を、みんなで作りたいと僕は考えています。