近年の通知表と受け取った親の姿勢

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育児・子供観察

子どもが持って帰ってくる通知表。
現代はその呼び名は多様化しており、通知表を出さない学校もあります。
評価自体は2020年前後の指導要領改訂で、相対評価から絶対評価に変わりました。
どんな状況になっても、通知表も1つの大切な他者評価として、次のアクションの参考にしていくだけです。

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通知表の歴史

現代の通知表の呼び名は各学校で決められるのが日本のルールで、結果、下記一例として多様化しています。
・通知表
・通信表
・通信簿
・あゆみ
・かがやき
・のびゆくこ
・のびゆくすがた
・わかたけ
・まなびのたより

以下、この文章では「通知表」として取り扱っていきます。
評価について、文部科学省発行の「学習評価に関する資料」には、以下の一文があります。

▼学習評価に関する基本的な考え方
・学習評価は、学校における教育活動に関し、子どもたちの学習状況を評価するものである。
・各教科については、学習状況を分析的にとらえる観点別学習状況の評価と総括的にとらえる評定とを、学習指導要領に定める目標に準拠した評価として実施することが明確にされている。
・学習評価を行うに当たっては、子どもたち一人一人に学習指導要領の内容が確実に定着するよう、学習指導の改善につなげていくことが重要である。

出典:学習評価に関する資料(文部科学省)

この評価の手段の1つとして、通知表が存在することになります。
一応ですが、通知表自体の発行義務は学校にはなく、通知表がない学校も存在します。
そんな通知表の歴史について、wikiから抜粋したものが以下です。

明治初期(明治10~20年代:1880年代)
小学校の通知表は「定期試験採点正失表」「(定期)試験成績表」と呼ばれていた

明治33年(1900年)
文部省令「小学校令施行規則」で初めて学籍簿に生徒の成績を記入

昭和13年(1938年)
学業成績中、教科目の成績は10点法により、操行は優良可の区別により記入

第二次世界大戦後(1945年以降)
アメリカ式の教育制度が持ち込まれた
成績は「五段階相対評価でつけるのが科学的で客観的な方法」という考えが支配的になった

昭和30年(1955年)
子どもの成績を比較しランク付けして評価する「相対評価」が持ち込まれた。
割合は「5」が7%、「4」が24%、「3」が38%、「2」が24%、「1」が7%
40人学級では「5」は最大3人だった

出典:通知表(wiki)

2020年度から新学習指導要領のまとめ

直近、最新の指導要領の変化は以下の年に施行されました。
・幼稚園 2019年度
・小学校 2020年度
・中学校 2021年度
・高校 2022年度

最新指導要領の骨子は以下です。

新しい学習指導要領で育む資質・能力の3つの柱
・知識及び技能
・思考力、判断力、表現力
・学びに向かう力、人間性

新しい学習指導要領の下で学ぶ内容
・言語能力の育成
・外国語教育
・プログラミング教育
・理数教育の充実
・道徳教育
・伝統や文化に関する教育
・主権者教育
・消費者教育

どのように学ぶか
・「主体的な学び」の視点
・「対話的な学び」の視点
・「深い学び」の視点

出典:2020年度、子供の学びが進化します!新しい学習指導要領、スタート!(内閣府大臣官房政府広報室)

時流に沿った内容ですが、現場が受け取れるのか心配になるボリュームです。
この指導要領を読んでいると、以下の最近の言葉が思い浮かびます。
・STEM教育/STEAM教育
・EdTech
・マネーリテラシー
・アクティブラーニング
・リベラルアーツ

今時点では、上記を備えていると、一般社会で戦闘力が高く評価されるのは間違いなく。
気になるのは追加した分、何を削減するのか上記の内閣府の情報には明示されていません。
また、できる子は上記の内容を軽々とこなす姿が目に浮かびます。
しかし、要領が悪い子や流行りの発達障害もどきの子(とその親)にとって、これらはプレッシャーにならないか。

2020年度新学習指導要領の詳細

2020年度の学習指導要領改訂の狙いは、「知識の詰め込みではなく、現実社会で生きていく力を身に着ける」こと。
指導要領を作成している大人たちが「現実社会」を経験しているのか、資本主義社会で成果を出した経験があるのかいつもどおり心配になりますが、それは置いておきます。

ロシアのウクライナ侵攻で、グローバル化に警鐘が鳴りましたが、それでも世界で闘える人材が求められているのは確かです。
そこで必要になる素養・技能などを教育で底上げする発想として、2020年度の学習指導要領は世界標準側に寄せています。

他に個人の主観による評価をなるべく減らすべく、客観的な評価基準を提示する点もいまどきです。
学習指導要領の中で、評価についてのポイントを、ネット上にあるいくつかの元教師や教育関係者の話をピックアップしたものが以下です。

・相対評価ではなく絶対評価
・とは言え、全員が上位成績ではない
・3段階評価なら最上位成績者はごく少数(1割~2割)
・低位評価はつけにくい
・担任や専門教科の先生評価のあと校長先生や管理職の確認(調整)
・管理職確認の前に同学年の先生間で調整することもある

絶対評価と言いつつ周囲と調整する点は実社会と同じで、理想論ばかりでは物事は動かない。
良くも悪くも担任の先生による主観評価も残っており、テストで高得点を獲得しても最上位評価はもらえないケースもあるのも同様です。

担任の先生や接触頻度が高い先生が、通知表で子どもを評価する。
穿った視点ですが、評価者の力量や好き嫌いが入る余地があるのは、前提です。
一般的な心情を考えると、通知表内に記述式で記される所見欄も、厳しい事より長所が増えるのも理解できます。

ここまでをまとめると、子どもを見ていただいている先生たちの主観もあるが、総論いまの通知表は子ども達が生きる力を獲得する手段の1つ(の評価)として存在します。

将来の礎

早い段階から「受験戦争」に参加するかどうか別として、わが子が社会に出るとき、なるべく高い位置にいてほしいと思う親なら、子どもの通知表(現在の位置)は気になります。
それが純粋に「勉強の評価」なのか、所見欄に記載される「日ごろの行動」確認などもありますが、通知表から読み取れるものはたくさんある。

とはいえ通知表評価を、分かりやすい情報と取ることは難しい。
3段階評価の場合、親側は3つの分布割合を知ることはできず、真ん中評価が多かったとしても、真ん中のどのあたりなのかは分からない。
たまたま、ものすごくできる子が集まったクラスだった場合、一般的なクラスなら上位層だった子が中位にもなり得る。
他にも、その学校自体のレベルが全体の中のどこに位置しているのかもあり、たとえば名門私立学校の「普通」が、一般公立学校では「高い評価」になるようなことも想像できます。
このあたりは、身近なママさん達、たとえば幼稚園で一緒だった友達が別々の学校に行ったとき、わずかに情報は得られますが、精緻なものは難しい。
住んでいる場所(環境)が成長要素に大きく寄与する物言いがありますが、教育レベルが高いと言われる東京都文京区などはその後の進路を見ても、この言葉の裏付けになります。

何にせよ、世知辛いとも受け取るられる成績評価を、親はどの温度感で受け取るのか。
僕は担任の先生の主観評価の1つとして、甘めに見てもらった評価として大切に受け止めています。

得意科目と不得意科目はもちろん気になりますが、年齢が低いうちは、特に先生の所見欄が気になります。
学校でかなりの時間、見ていただいている担任の先生評価が、日ごろ自分が観ているものとどう違うか。
自分の子だと甘い評価になり勝ちなのであれば、他者評価を基準にするのも一案です。

各科目の評価も、上位と下位評価が少ないことを前提に考えると、上位か下位の評価自体がその子の現時点の特徴です。
そこから、得意科目に注力するか、苦手科目をどのレベルまでケアしていくのか、戦略を考える材料です。

良い点も改善点もあって普通。
小学校卒業までは、苦手科目を平均レベルなどに持っていこうとするのは一般的。
昔の言葉の「読み書きそろばん」のような基礎的なものは、ないよりあった方が良いではなく、ないとハイレベルの何かは実現できない。

一定の年齢を超えれば、改善点はそもそも改善する必要があるのかどうかにはなります。
大人になっても苦手を克服しようとする人がいますが、それが戦略的に妥当なのか、僕は捨てる点だと感じます。
現実社会では、例えば英語が苦手だったのなら、英語を使わない職種についたり、自動翻訳機でカバーができます。

僕は通知表内に良い評価項目があったら、子どもに「何で良い評価だと思う」のか聞きます。
子どもが照れるつつ、まんざらではない顔でその評価になった自分の見解を話してくれる。
その回答を聞いた後、僕は自分の思いを「なるほどその点は君の良い点だよね」のように伝えます。

通知表や会社での評価で、プラスでもマイナスでも、しっかり言葉として聞くのも話すのも現実には少ないもの。
しかし、自分の記憶を辿ってみると、だれかの何かの言葉や小説の一節が自分の支えになることがある。
子どもをまっすぐ見ている親や先生から紡ぎ出された言葉が、子どもの将来の礎として働くことは、親の願望だったとしてもあり得ます。

逆に通知表を見て、親が慌てる姿をみせるのは、子どもにとって悪手でしかなく。
組織内で、成績の悪い部下に叱責しても何も変わりません。
現状がどうなっていて、どこをいつまでにどうやって改善していくか。

横並びの時代は終わり、力点は組織から個人側に傾いています。
定期的に自己評価する棚卸も大事ですが、他人からの評価は1つの視点として謙虚に受け止めるのは、大人になっても意味はあります。

悪い結果の通知表を受け取った時、まずは内容を正面から受け止め改善案を立てて実行する。
そのうえで、評価自体を一過性のものとして受け流し、飄々としていられる胆力があればなお良し。
どこででも強く生きていける子が理想です。

さいごに

通知表は「組織内で全員が満足する評価は存在しない」と同じ匂いを感じます。
全員が高評価になることはなく、そこには主観による相対評価が入っている。

自分が選んだ職種のメイン業務で成果を出し、人間力も高く周りをサポートし、やや腹黒いかもしれませんが上長を使うなどの戦略も練られる。
これらを兼ね備えた人は、なかなかにオールマイティ人材なので少数とします。
僕の身の回りでのお話ですが、過去も含め見渡してみると、人間力が高い人は高い結果が出せなくとも本人の幸福度が高そう。

ただ、人と人とのハブ役(たくさんの人たちをつないでいる人)になるような人の特徴は、仮に通知表に何か書いてあってもザックリ表現になります。
この点を子ども自身が、自分の言葉で自信を持って語れるようなれたら、1つの武器です。

そのために、日ごろからたくさんの問いかけを親が子どもにしておくのは、子どもにとって良いサポートになります。