子どもを叱る引き出し増加作戦

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育児・子供観察

子どものしつけは「いま」ではなく「未来」を見ている。
変化が激しい中、何が未来に通用するのかの答えは、だれも持っていません。
それでも、人に対する態度など、普遍的なものもあります。
とは言え、現実のアンケート結果は、「いま」を生きる人が多いようです。

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「叱る」は胆力がいる

「叱る」と「怒る」が違うのは、いまの子育て世代で、認識していない人はほとんどいなくなりました。
感情的に怒って、「やってしまった」と思う人が多いのが、その証拠です。

「怒る」行為が、子どもに悪影響を与える研究結果も分かっているので、子どもに素直に謝る。
昭和時代の家父長制で胡坐をかいていた父親達からは、「何を軟弱な」の頓珍漢な指摘もされそうなお話です。

ただ、友達親子という言葉が出てきたように、「叱る」のを避けてしまっている人も増えているのでは、と僕は考えています。
根底には、僕の身の回りにいる、若い社会人の方と話していて、嫌なことを言えない人が多くなったと感じるためです。
営業職ですら「嫌な役回りですね」と僕が言うと、「うまく立ち回れていません」の解答がちらほら。

会議で、役職が上の人が行った意見が、自分と意見の違うときに、発言できるか。
心理的安全性は本当に重要で、言わなかったことで、あとで大事になった事例を僕は何度か経験しています。

だれに対しても忌憚ない意見を言ったり「叱る」は、言う側は躊躇します。
上司が部下を叱るのも、いまは望めない時代です。
とは言え実際、他人を「叱る」のは、親子くらいしかシチュエーションとしてはありません。

僕は子どもを「叱る」は、子どもの未来への種まきだと思っており、意識してやっています。

昭和時代は「未来」が重視されていた

少し横道に逸れますが、内閣府のデータで「将来に備えるか、毎日の生活を充実させて楽しむか」がありました。


出典:将来に備えるか、毎日の生活を充実させて楽しむか(内閣府)

フワッとした質問なので、明確に何かを現しているとは思っていません。
それでも、このグラフでの特徴は、「昔に比べ、「いま」を大事にする人が増えている」。

一番古いデータは1971年で、約半数(50.9%)の人が「将来」に備えていました。
それが2000年に向けて下がっていき、2019年まで約1/3(32.9%)の人が「将来」を大事と考えている。
「毎日の生活を充実させて楽しむ」が4つの解答の中で1位になったのが1990年。
2010年以降毎年、60%前後をいったりきたりで、「いま」を選択しています。

時代として納得感はあります。
1971年は、これから未来に向けて生活を向上させる希望があったと聞きます。
GDPも人も所得も増え、モノが徐々に増えていった。
僕の両親の言葉からも「あの時代は、全体的に追い風の時代だった」と聞きました。
銀行の預金利子も5%を超える時代。
当然、借金利子も高かったため、この世代が借金を嫌うことも理解できます。

1990年以降は「いま」が主流

預金利子は1990年代後半に一気に下がり、1%を切っています。
それ以降はゼロ金利やマイナス金利。

この時期、モノはすでにいきわたった感はあり、飽和感が僕にもありました。
そもそも「いま」を大事に生きると考えるのは、余裕がなければ生まれない発想です。
長期的に未来に希望があるかというと、そうでもなさそうと考える人が増えた時期でもあります。

1点、僕の予想と上述グラフが違っていたのは、近年の数値に変化がない点です。
2010年以降、全回答とも、ほとんど変化していません。
最近の社会情勢不安から、未来を重視する人が増えているのかと思っていたのですが、違いました。

未来予測がどんどん難しくなっているのが、理由にあると思っています。
10年後の「未来」を思い描いている人が、どのくらいいるのか。
予測できないので「いま」を楽しく生きたい、その気持ちは納得です。

ただ、保守的な人は未来予測ができないが故、貯蓄などディフェンシブな対応を取るシナリオも考え付きます。
グラフ上では、割合に変化はありませんが、内実、その思いは強まっているのかもしれません。

最近、身近な知り合い数人から35年住宅ローンを組んだ話とともに、一気に家計の引き締めが進んだと苦笑いで聞きました。
身近なわずかな例ですし、ローン開始時の家計心理として当たり前かもしれませんが、これもそう思った一因です。

一応、ファクトチェックではありませんが、Google Trendsで「いまを生きる」の検索人気度を見てみました。


出典:Google Trends 検索人気度「いまを生きる」(Google)

グラフの見方として、100になると良く検索されている、数値が小さいほど検索数は少ないものです。
2004年以降のデータですが、「いまを生きる」の検索人気度が高まっているわけではありません。

2008年に少し山がありますが、ここはリーマンショックの余波だと予測します。
このグラフからは「いま」を重視とは違う結果でした。
やはり、この「いま」と「未来」の問いが、質問者・回答者両方にとって、難しい問いだと思いました。

余談ついでに、数値情報として、意外だった点を1つだけ以下に上げます。


出典:将来に備えるか、毎日の生活を充実させて楽しむか(内閣府)

このグラフは2019年の都市規模別での、「いま」か「未来」かのデータです。
都市部よりそれ以外の方が、「いま」を重視する人の割合が多い。
地方の方が固定化されやすい現実から考えれば、この結果は導き出せるのですが、それを僕は地方の方が安定志向が強く「未来」を重視していると勘違いしていました。

子どもは叱るもの

冒頭に記載した通り、僕はわが家の子どもを「叱る」行為を、子どもの「未来」を意識してやっています。

すべての子どもに適当な「叱る」レベルはなく、身の回り観測にすぎませんが、親にしっかり叱られた人が、社会で活躍できている割合が高いことはあります。
付け加えるなら、親も厳しいがそれに歯向かっていた人たちが多く、そもそも精神力が高い(生存者バイアス)とは思っています。
一応ですが、社会で活躍することが人生のすべてではありませんが、社会で活躍している人はプライベートも充実している人が多いです。

「叱る」と「社会人で活躍する」の因果関係は出せませんが、叱られるメリットを上げてみます。

叱られて何がダメか知る
自分で考える癖ができる
どう対応すればよいか経験できる
自分を律する鍛錬になる
自分の感情と向き合える
自分の思考パターンを知る
人にどうモノを伝えるか試行錯誤する

自立と自律がいままで以上に、生き残るうえで必要な時代に、ほとんど叱られずそこにたどり着けるかというと、僕はNoだと思っています。
親などからの、なぜ叱られたかのフィードバックは、子どもの引き出しを増やします。

僕は、親からも教師からも、しっかり叱られた記憶があります。
その経験は、いまでも記憶に鮮明に残っており、真剣に叱ってくれたのはほろ苦いですが、大人になった今では財産だったと思っています。

もちろん、叱るには前提として子どもとの「信頼関係」と「親側の日ごろの行動」があります。
子どもと対話をしつつ、何でも叱っていては子どもが無気力になる。
叱る側がいい加減では、子ども側からは「あんたに言われたくはない」になる。

褒めることで人は伸びるのは重要です。
ただ、褒めるばかりではなく、きちんと叱られる経験は、子どもへの未来の種まきになります。

さいごに

自転車に乗る時、視点をどこに置くか。

まずは、直近の危機回避のために、足元を見るのを無視はできません。
それでも、普通走行時は背筋を伸ばして遠くを見るのは、安全性の面でも周りの景色を楽しむ点でも基本です。

本質的ではありませんが、時代が近視眼的に傾いているのであれば、そこ以外に目を向けるのは差別化になるのかもしれません。
余裕だらけもいただけませんが、遠くの景色を見られるのは、心の余裕があるからできること。

人生を楽しむための心持として、余裕は大事です。