弱毒に触れる必要性

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育児・子供観察

子どもの医療費は無料。
子育て経験者には当たり前ですが、僕は独身時代、それを知りませんでした。
いざ、子どもを持ってそのありがたみを感じるとともに、それは必要と感じる。
健康という財産は、楽しむための最重要ポイントです。

 

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子どもの医療費が無料なのは正しい

僕は、子どもを授かる前、子どもの医療費が無料という事を、認識していませんでした。
制度自体は頭の片隅にはあった気もしますが、自分に関係がないとアンテナが向いていなかった。

それがわが家に子どもを迎え、熱が高い、腫物ができたなど、「もし何かあったら」と不安になり、医者の「大丈夫ですよー」の一言をもらうために病院に行く。
この程度では「死にはしない」と思っても、「もしかしたら」の不安に負け病院に行く。

一般診療内であれば、医療費は無料で、かつ薬代も発生しない。
一部の予防接種は自費ですが、それもわずかな金額。

僕はこの子どもの医療費無料の制度自体に賛成です。
僕は当事者で受益者なのでフェアではないかもしれませんが、子どもは自分の力でどうすることもできない立場。
それゆえ、周囲の環境が守るもの。
少子化で日本人口が減るのは良いと僕は考えていますが、子どもの健康・安全は第一に確保するものです。

無料の弊害として「タダだから」と考え、病院に行くハードルが下がる面はあります。
実際、身の回りのママさんからも、悪意なくこの言葉を聞くことはあります。
病気の重さはまちまちですが、医療費が無料だから病院に行く心理ハードルがないのは、制度として正しい。
今月は家計が苦しいので子どもが病院に行くのを控えるシナリオは、社会制度として間違っています。

子どもが実際、どの程度医者に罹っているかの情報が以下です。

子どもが医療にかかわる機会は増加

過去33年の15歳未満の子どもの受診率が以下です。


出典:平成29年(2017)患者調査の概況(厚生労働省)

[外来]は左軸で数字が大きく、[入院]は右軸で数字が小さい。
また、人口10万人あたりの情報です。

総論、入院が減って、外来が増えている。
入院は33年で66.9%と657人増加、外来は116.9%と87人減少。
両方を足した合計では、113.8%と増加しています。

上のグラフの補足情報ですが、東京消防庁に近年の子どもの搬送人数がありました。

出典:救急搬送データからみる日常生活事故の実態(東京消防庁)

こちらは年齢が小学1年(6歳)~高校3年(18歳)の救急搬送された人数。
この期間も子どもの人数は、(東京のみ)微増していますが、搬送人数も微増です。

人数ではなく「医療費」の推移が以下です。

出典:子ども医療費助成制度の推移と患者の受診動向の分析(全国保険医団体連合会)

子どもの医科+歯科+調剤の合計医療はこの期間、0.43兆円増えて121.0%。
一番増えているのが調剤で、2002年と2016年を比べると188%と、2倍弱になっています。
医科は2002年と2016年で110%と、1割増加。

子どもが減っているのに医療費が増加している要因として、医療技術の進歩があります。
以前なら救えなかった命も、いまの医療技術で救われるが、費用は発生する。

ここまでのデータをまとめると、少子化でも子どもが医療にお世話になる機会・費用は、少しずつ増加しています。

なぜ医者にかかる機会が増えているのか

増加理由が僕は思いつきません。
冒頭に記載した、医療費が無料は増加理由ですが、それは以前から変わっていない。

凶悪犯罪件数や、交通事故件数は減っています。
食べ物のパッケージにも過度なくらい注意喚起がなされていて、電池が乳児に危ないなどの一般認知も高まっている。
インフルエンザなどの公衆衛生情報もほぼ誰でも入手でき、不衛生なモノ、安全が確認されていないモノへの警戒心も高い。

社会全体が安全に清潔になっていて、子どもや親の認識も高くなっているにもかかわらず、医者にかかる件数は増えている。

根拠はない想像ですが、1つに個体としての能力が下がってきていないか。

クリーンが当たり前の時代

いま、東京の道を歩いていて、たばこの吸い殻を見ることは、ほとんどなくなりました。
煙草に限らず、食べ物の袋や空き缶が転がっているのを目についてもわずかで、逆に見つけると「まだ、ゴミを捨てる人がいるのだ」と思うレベル。
子ども達にはこれが当たり前の風景ですが、昔は道端のゴミは日常風景でした。

公園の公衆便所も、昔は臭く汚なかった。
よほど切羽詰まっていない限り入りたくなかったですが、いまのトイレは躊躇なく使えます。
社会全体がクリーンになっています。

本当かどうか知りませんが、東南アジアの国に各国のツアー客が訪れて、その中で日本人だけがおなかを下したというお話。
その理由が、日本がキレイすぎて、清潔度の高くない食事への耐性が低い。

いまはコロナウィルス禍で、除菌がより身近になりました。
僕もリスクは取れないので、スーパーの入り口などでアルコール消毒液があれば、必ず利用します。
ですが、内心「いまは非常時だからコレで良いが、なんだかなぁ」の気持ちもある。

わが家の子どもも除菌液を見つけると、当たり前にそれを利用している。
この子がキレイな環境に慣れすぎて、この先、うまくやっていけるか。

キレイな環境の場所を選んで生きていけばよい。
これも、実現度は上がっています。

世界から絶対的貧困が激減し、全体の生活レベルが上昇。
清潔さでいえば、日本は上位クラスですが、先進国はもとより以前は発展途上国と呼ばれた国々もきれいな場所が増えている。

いまの時代、過酷な場所、例えばジャングルやサバンナに行くとするなら、意識的にそれを選ばないとそうした状況にならない。
わざわざ、そこに行かなくでも、十分、生活できます。

反面、一定の不純物に接して打ち勝つことによって、自分の中に耐性を得る。
不純物排除ばかりだと、耐性強化の機会がなくなる心配です。

健康・体力以上に重要なモノはない

予防接種が最たる例ですが、人間は弱毒を受けいれて、強毒耐性をつけます。
社会がクリーンになりすぎて、弱毒に接する機会が減る。
人間の個体としての強さの底上げ機会の損失の心配です。

生物として強い体をもつ、あるいは自己免疫力強化が必要か。
僕は絶対に強いほうが良い、と考えています。

その理由は、大人こそ生きるうえで一番重要なモノが健康(体力)だと考えているからです。
精神面の強さも同列に最重要ですが、この文章ではそこは触れません。

子育て経験者は、ほぼ全員頷くと思っていますが、乳児期の子育ては体力勝負。
お金で睡眠を買う手段はありますが、乳児といる時は、ヘトヘトになる。
ここでも体力はモノを言います。

子育てに限らず、会社などの組織で結果を出すケースを考えても分かります。
病んだ状態や、エネルギーが少ない状態で、良い結果が残せないのは大人なら誰しも知っています。
激しい頭痛や、意味の薄い会議に忙殺されると、本来アウトプットするものもできない。

僕は一般的な仕事で100%の力を発揮する機会はほぼなく、それが続くような状況は間違っていると考えています。
個人が70%前後のパフォーマンスを、継続的に出し続けることが基本。
その70%の質を上げていくのが、生き残り戦略です。
もしくは、いままで70%で出していた結果を、他の方法で35%で出す。

自分以外の要因、閑散期や繁忙期に、一時アウトプットが上下するのは、流され力としてもよい。
しかし、70%のパフォーマンスを、外部からの期待としても自分でもそこが着地点と予想したとき、体調不良だったり、体力・エネルギーがなくて、結果が出せないのはいただけない。

人間は歳をとる毎に、免疫力や体力が低下するのは誰でも知っています。
楽しく生きるためには、異物耐性を得ることも含め、健康マネージメントはキーポイントです。

さいごに

「清濁併せ呑む」は、心が広く善でも悪でも分け隔てなく受け入れる、良いことわざです。
ただ、いまの時代、濁ったものを、受け入れない方が良いケースも増えている。
例えば、理不尽なモンスタークレーマーは「拒否」が正しいと思っています。

求められるのは、判断力と覚悟。
受け入れるときは余裕と覚悟を持って受け入れ、戦略的に拒否も時にはある。

弱毒も強毒も受け入れられる器を持ったうえで、受け入れない選択は大切です。