自分の成功を測る「ものさし」

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育児・子供観察

自分の誕生日を忘れる。
子どもならあり得ませんが、大人は意識的に思い出したくない人もいます。
誕生日に自我全開でアピールしてくる子どもと、日ごろから裏方役の親。
裏方は悲観することではなく、子育ての大半は裏方が正解です。

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自分の誕生日を忘れる

世の中には自分の誕生日に興味がない(薄い)人がいます。
一般論では男性にその傾向が強く、僕もその一人で若いころから自分の誕生日にあまり関心はありませんでした。

誕生日は「親が生んでくれたことを感謝する日で当人を祝う日ではない」というお話がありますが、これには納得感はあります。
特に自分が子どもを持って、その意味するところはハラオチしていますが、それを子どもに求めてもそれは強要です。

誕生日に興味がない理由を、上げてみます。

お祝いされるのが苦手(恥ずかしい)
だれも祝ってくれない寂しさ(怖さ)
自分に自信がない
子どもっぽく感じる
歳をとるのが嫌
誕生日に意味があると思っていない

歳を重ねるほど、誕生日への関心は薄くなるのが一般的。
「自分の年齢、忘れた」と、意識から消したい人もいます。

対し、子どもは誕生日が待ち遠しくてしかたがない動物。
考えてみると、子どもの「誕生日が早く来ないかな」は、歳をとることの怖さがない裏返しです。
子どもは早く大人になりたい、子どもっぽく見られたくない、気持ちもあります。

こう考えると、子どもと大人で、誕生日への想いは違います。

子どもは全力で誕生日をアピールしてくる

子どもが、自分の誕生日が待ち遠しい理由。
自分が主人公(と勘違いできる状況)になる、何かを買ってもらえる、ケーキを食べられる。
ケーキ以外にも、好きな食べ物(ごちそう)が用意されたり、外食や旅行もあります。

中でも、モノを欲しがるのは、最右翼。
誕生日はオモチャが買ってもらえる、1年のうちで数少ない最重要イベントの日です。
誕生日以外にはクリスマスがその日で、Xデーを指折り数えている姿を見ているとほほえましい。

対し、大人は歳をとるとモノへの執着が薄くなります。
いまは言葉として「断捨離」が定着しましたが、この感覚は大小あれど、たいていの大人が考えるようになります。

成人してからモノを大きく整理するタイミングがあります。
一人暮らしをするタイミング、結婚するタイミング、引っ越しをするタイミング、子どもが生まれて一息ついたときなど。

大人は減らす方向ですが、子どもはモノを増やす方向。
すでに自分には薄れてしまった逆の感覚なので、自分も子どもの頃はそうだったと、ノスタルジーになりますが、心の中では「飽きるまでどれくらいかな」くらいの感覚ではいます。

また、子どもは親の誕生日にも介入してきます。
ケーキはあそこのケーキで、夜ご飯はアレが良い。
君の誕生日ではないのですよ、と言っても無視されます。

わが家の子どもが小さい時、母親の誕生日に「何をあげたららよいと思う」と僕が聞いたら、即答で「〇〇のオモチャ」。
子どもがその時、はまっていたオモチャを提案してきました。

こんな自我全開の姿を、僕は肯定しています。
自分の欲しいものを、小さなころから言えない姿を想像すると、それはそれで心配。

子どもの頃は自己肯定感を高める重要な時期という、いまの子育て一般論は賛成です。
人間は大人になれば、否応なく社会の中で自分を合わせる割合が増えます。

大人になってもうまく人と折り合いをつける、欲しいものを欲しいと手を上げあれるかどうかは、人生をうまく乗り切られるかどうかの1つの重要な条件です。
友人に自分がやりたいことをうまく伝えられているか。
会社で自分のキャリアパスや、いまの不満点を上長にアピールしているか。

これらができるできないが、自己肯定感の高低だけではないと思っていますが、要素の一部だと僕は考えています。

削られて丸くなる

自己肯定感とは無関係に、子育てすると自分への関心が減ります。
乳幼児期の子ども中心の時期には、自分のことに時間をかけられなく、それどころではない。

子育て中も、しっかり自分の楽しみや時間を確保して、うまく回せる人もいるようなので、全員がそうとは言えませんが、大半は全生命エネルギーの大半を育児に使って、抜け殻になる時期があります。
子どもが小学校に入った前後、あわただしい育児が一段落して、自分への関心が戻る人もいれば、そのまま自分が後回しになる人もいる。

どこかのネットで「子どもと旦那の写真はあるが、自分が映っている写真がない」というママ発言がありました。
これも自分が後回しになった、典型的な内容。
ママさんが自分より子どもを優先させて、いつも黒子(くろこ)になっている。

黒子が性に合っている人もいますし、フロントに立ちたい人もいます。
どちらであっても、たいていの場合、子育てで親は黒子にならざるを得ないケースがほとんど。
子どもの自立を助けることを目指すなら、黒子以外に立ち位置はありません。

とは言え、ずっと影の役回りを担っていると、どこかで報われないと思うような時も出てくる。
忘れるとか、そう思わないようにするなどで、その考えに蓋をしておく。
そういう自分との対話を、積み重ねて、自分への関心が減っていく理由にはなっている気もします。

黒子は悪いポジションではなく、1つスタイル。
黒子であることを好み、偉大な足跡を残した人がいました。

自分と関わった人がどれだけ良くなったか

『1兆ドルコーチ』という本があります。
2020年上期、oricon出版部数ランキングで7位に入っているので、売れている本です。
ビジネス書を読む人は、好きなジャンルの1冊。

この本は2016年に他界された「ビル・キャンベル」さんについて、別の人が書いた本です。
本人は表に出ることを望まず、常に裏方で人を支えてきた人。
この人がコーチした人がとてつもない人が多く、その価値は1兆ドル以上という敬意を込めた意味の本のタイトルです。

具体的にコーチした人は、スティーブ・ジョブズ、エリック・シュミット、ラリー・ペイジ、ビル・ゲイツ、ジェフ・ペゾス他。
つぶれかけのアップルや、創業時のGoogleのメインメンバーと深いつながりを持った人で、この2つの企業価値だけでも1兆ドルでは足らない。
スティーブ・ジョブズと毎週、散歩をしながら話をし、ジョブズの追悼式に最初に登壇した親友というのも彼を現すエピソードです。
ビルは自分の成功について、以下の考えを持っていました。

自分の成功を測る「ものさし」
ビル・キャンベルはコーチとしての仕事に対して、たいてい報酬を受け取らなかった。ダン・ローゼンスワイグのオフィスに初めて来たとき、ビルはこう言った。
「現金はいらん、株式はいらん、クソはいらん!」。
(中略)
なぜいつも報酬を断るのかと聞かれて、ビルは自分の影響力を測る別の「ものさし」があるからだと答えた。自分のために働いてくれた人や、自分が何らかのかたちで助けた人のうち、すぐれたリーダーになった人は何人いるだろうと考える。それが自分の成功を測るものさしなのだと。

彼の考え方は、子育てに通じており、子育ても報酬は求めません。
また、自分がかかわった人(子ども)にどれだけ好影響(その一例として上記ではすぐれたリーダー)を与えたのかが成功と考える点も、共通項です。

子どもに何か良い影響を与えられたら。
親が、最も望むことかもしれません。

さいごに

誕生日プレゼントに何が欲しいと問われて、いま僕は少し悩みます。
趣味関連で欲しいものはあるので、買うならそれを買いますが、本当に必要かと検証している自分がいる。

よく、乳児のママさんたちが一番欲しいものは「一人になれる時間」が出ます。
これは切なる願いで、1日、自由にしていい時間ができたら大きなリフレッシュになることも、子育てを経験して分かります。
ただ子どもが一定の年齢になると、時間に関しては余裕が出てくるので、誕生日1日フリー券も微妙。

子どもにとって誕生日は365日中の「特別な1日」。
中年を過ぎると365日の「他の日と同じ単なる1日」。

利己から利他は大人への階段ですが、大人になっても利己も大事にし、うまくバランスをとる。
子どもを持ったら、自分の誕生日を「自分のやりたいことを思い返してみる日」にするのも良い気がします。