この文章のトピックスは以下です。
・趣味がドライブの人は約30年で-16.5%減少で2割を切っている
・趣味がドライブの男女比は男性が女性の1.5倍~2倍
・趣味がドライブの人について若者が一番減っており、唯一60代が微増
・自分が車好きを考える人は54.7%
・運転は楽しいと思う人は66.4%
・家族で長距離ドライブをしたと思う人は77.6%
・ドライブ目的でクルマを利用する人は若い人の方が多い
趣味がドライブの人は約30年で-16.5%
出典:自動車・ドライブ(博報堂 生活定点調査)
上記は「良くする趣味がドライブか」、全年齢回答です。
1992年33.5%、2024年17.0%、前後比-16.5%です。
ゆるやかに下り坂で、約30年で約半数(50.7%)になっています。
出典:自動車・ドライブ(博報堂 生活定点調査)
上記は「良くする趣味がドライブか」、男女別回答です。
男性は1992年40.3%、2024年23.5%、前後比-16.8%です。
女性は1992年26.5%、2024年10.4%、前後比-16.1%です。
男性に比べ女性が全期間で低い値ですが、前後比(増減率)は男女ともほぼ同じです。
出典:自動車・ドライブ(博報堂 生活定点調査)
上記は良くする趣味がドライブかについて、年代別回答です。
20代は1992年50.7%、2024年14.5%、前後比-36.2%で約2/3になっています。
この中で唯一増えているのは60代で1992年17.9%、2024年19.6%、前後比+1.7%です。
この結果から若者含めドライブが趣味の人は減っており、唯一60代以上が微増です。
出典:レジャー白書2024(公益財団法人 日本生産性本部)
上記はレジャー白書情報のドライブ人口推移です。
2011年5,360万人、2023年3,180万人、前後比-40.7%です。
グラフはややでこぼこしていますが全体は下り坂で、13年で約4割減です。
自分が車好きを考える人は半数強
出典:ソニー損保、「2018年 全国カーライフ実態調査」(ソニー損害保険株式会社)
上記は「自分は車好きだと思うか」についての回答です。
2018年の結果なので少し古いのと、車の保険を取り扱っているソニー損保調査なので、車が身近にある人が回答者です。
全体では「非常にそう思う」と「ややそう思う」を足すと54.7%と半数強。
男女比では、やはり男性が高く「非常にそう思う」と「ややそう思う」を足すと64.2%、女性は45.2%です。
出典:ソニー損保、「2018年 全国カーライフ実態調査」(ソニー損害保険株式会社)
上記は「運転は楽しいか」についての回答です。
全体では「非常にそう思う」と「ややそう思う」を足すと66.4%と約2/3。
男性「非常にそう思う」と「ややそう思う」を足すと74.6%、女性は58.2%です。
昭和生まれより平成生まれの方が車をドライブ目的で利用している
出典:家族での長距離ドライブに関する調査 2024(ホンダアクセス調べ)
上記は家族で長距離ドライブをしたいか、2024年・夏のアンケート結果です。
こちらの集計元はホンダなので、車に近い方々が回答しているとみてよいと思います。
全体では「非常にしたい思う」と「まあしたい思う」を足すと77.6%。
年齢別では男女とも「20・30代」が高い結果です。
出典:家族での長距離ドライブに関する調査 2024(ホンダアクセス調べ)
上記はどのような目的でクルマを利用しているか、2024年のアンケート結果です。
グラフ内のZ世代は1996年~2005年生まれ、X世代は1960年~1979年生まれです。
回答の1つドライブについては、Z世代(平成生まれ)の方がX世代(昭和生まれ)より高い。
若者が車離れしているかどうかは別に、昭和時代から変わらず若い世代が中年以降世代よりドライブを楽しんでいるようです。
(物語)昔もいまも走り続けている
(これは架空の物語です。)
40代中盤になったいま、僕は一人で運転している車の中で、20代後半の自分を思い出していた。
週末になると、中古で手に入れた紺色のロードスターに乗って、どこへともなく走っていたあの頃の自分を。
当時、僕は東京の西側に位置する狭い賃貸ワンルームに住み、平日は朝9:00から終電近くまで会社にいた。
大きなプロジェクトに参加する機会があり、多分に漏れず仕事は忙しく、それなりに楽しくもあったがそれよりは最前線で戦っている高揚感を強く感じていた。
それでも内心、やっている内容は自分の得意分野ではあったけれど、それが「生きる術」になるほどの自信はなく。
忙しいことと仕事ができるヤツは無関係なのだが、当時は家族に「仕事が忙しくて」と言う時はどこか勘違いであっても誇らしげだった。
あの頃の僕は、その忙しさも相まって自分の未来を予測することがほとんどなかった。
自分が本当に何をしたいのか良く分からなかったし、きっと死ぬまでこの課題は僕の背中に乗っている気もしていた。
この荷物を下ろすにはドラスティックな転換が必要だろうと理性的には考えられるが、現実を生きる面でも、心理面でもその勇気はなく。
「好き嫌いではなく、やるべきことをやるのが仕事だ」の自分に言い聞かせる説教臭い割切りは、処世術のようでもあり逃避でもあり。
どこへ行っても、自分からは逃れられないのはうすうす分かってはいた。
だから逃げるのではなく、ただ「離れる」のを選んだ。
ドライブは当時の自分にとって、一時的な現実からの離脱だった今なら言える。
現実という名の国から、隣の国へ旅行するような。
令和時代では長時間残業は法令で禁止されているが、当時は残業規制もなく朝から晩まで仕事に明け暮れていた。
結果、残業代がかなりの金額になり、お金を使う時間もないので預金額は増え続ける。
そんな中、会社からの帰り道、道沿いに建っていた中古車屋でふと目に留まったロードスターに心奪われその週末に購入手続きをした。
以降、週末は車と過ごす時間が日課になった。
当時、ほとんどの毎週末、一人でドライブに行っていた。
飲み会の場などで「趣味は一人ドライブ」と言うとわずかにけげんな顔をされることもあった。
仮に理由を説明するにしても他人を納得させられるほどのうまい言葉は思いつけず、あるいは自分の内心を説明するのも面倒という思いもあり「運転が好きなので単なる趣味です」と答える程度だと考えていた。
実際には「一人ドライブが趣味の陰キャ」くらいに思われたのか、それ以上の突っ込みを受けたことはなかった。
自分に対して説明するなら、だれにも強制されず、だれにも気を使わず、ただ自分のペースで走る行為そのものが必要だったくらいの言葉は並べたかもしれない。
それでも平日の激務のふとした合間、今週末はどこにドライブに行こうかと考える時は楽しく、当時の自分には大切な時間だった。
週末になると車に乗り込み、アクセルを踏む。
雪や台風の時は別として、軽い雨程度なら車移動なので問題はなく出発する。
いろいろな道を走ったが、特に好きだったのは信号が少ない農道だ。
開けた田畑が左右に続く道の解放感は格別で、秋だと虫の鳴き声も聞こえる。
他には海沿いの道、車が少ない時間の高速道路も好きな道だった。
反対に嫌いなのは渋滞で、小回りが利く車だったこともあり、横道にそれてできるだけノロノロ運転時間を短くしたものだ。
あの時間は僕だけのもので、考えるための時間でもあり、何も考えないための時間でもあった。
いま思えば、あれは「自分を保つための儀式」だったようにも思える。
社会という大きな川に流されながらも、自分という小舟を見失わないための。
あの車はもう手元にない。
いまは結婚して子どもが生まれて、ミニバンに乗っている。
週末は家族と過ごすことが多くなり、一人で走る時間はほぼなくなった。
たまに家族を妻の実家に送った後くらいが、いま一人でのドライブ時間だ。
都会の片隅に現れるお地蔵さんと出会うようなエアーポケットの時間。
今日は妻の実家で夜ご飯をごちそうになった後、一人で自宅に帰ることになった。
21:00を過ぎると車も減ってきて、いつもより気持ちもゆったりと走ることができる。
今日はこの後、何もやることはない。
久しぶりに夜の首都高を気ままなルートで自宅に向かって帰ろうと決め、最寄りの首都高入り口に入る。
首都高は網目のように東西南北に広がっており、追い越し車線はかなり速い速度で走る車もいるが、走行車線であれば適度な速度で快適を保って走行できる。
環状部分もあり、まるで回転木馬のように回り続けることもできる。
乗り続ける自由、降りる自由。
首都高は1964年の東京オリンピックの開催に向け突貫工事的に整備された面もあり、川の上やビルをよけることを意識して作った結果、自動車専用道路としては世界でも類を見ないカーブが多い道だ。
そのカーブのコーナーに合わせて、自分の乗っている車はひらりひらりと蝶のように舞う。
季節は6月の梅雨入り前の晴れ。
合流車線から走行車線に移り、車の流れに乗ったあと窓を開けてみる。
今日の昼は30度を超える夏日だったが、いまの温度は落ち着き、心地よい風が入ってくる。
そうだ、窓を開けて走るこの感覚は独身の時にもよく味わっていた。
真冬は寒くて窓を開けられなかったが、夏でも夜であれば窓を開けて走れば心地よかったあの感覚だ。
当時の自分は生き急いでいた。
自分が作り出した幻想に追い立てられ、まるで泳ぐのをやめると死んでしまうマグロのように少しでも前へ前へ。
いまも焦燥感はあるが、自分との距離感は以前よりうまく取れるようになった。
今日は首都高を大周りして自宅に帰ろう。
急ぐことはない。
急ぐ理由もない。
いまでも自分の未来はよくわからない。
AIが台頭してきた2025年現在、より先の予測は難しくなっている。
そうしたフワッとした内容や、日常の雑事を思い浮かべたり、何も考えなかったりしてドライブは続く。
僕は夜の高層ビル群の合間を、1台のミニバンに乗って泳ぎ渡る。
若い頃も大変だったがいまもそれは変わらず、ただその質は変わってきている。
まだまだ立ち止まるような状況ではなく、立ち止まりたいとも思っていない。
あの頃もいまも、僕は変わらず走り続けている。
さいごに
ドライブのメリットとして以下が上げられます。
・リフレッシュ効果、ストレス解消
・自由な移動(移動開始時間やルート、寄り道)
・公共交通機関ではアクセスしにくい場所にも行きやすい
・荷物が積載できる
・家族や友人との時間を楽しめる(プライベート空間)
個人的には上記の最後のプライベート空間が、現代的な大きなポイントだと思っています。
運転中は運転に集中することとなり、一人でモノを考えるには良い環境の1つです。
さまざまなノイズから隔離されるドライブは、現代では貴重な時間と空間です。