自尊心不足も1つの要因とされる、他者軽視の姿勢である「仮想的有能感」という考え。
自信のなさや虚栄心などで、他人を低く見てしまう心理的状況です。
それでも時代はカメの歩みかもしれませんが、少しづつフェアになっているような気もしています。
自意識が暴走している大人は、格好悪い時代になったと感じています。
他者を軽視する「仮想的有能感」
「仮想的有能感」とは、名古屋大学大学院の教授・速水敏彦氏が提唱された言葉です。
「他者の能力を低く見て自己評価を上げ、無意識的に自尊感情を高める習慣的な感覚」のこと。
・自分の失敗を認められず他人へ責任転嫁
・他者の能力を自分の基準で判断し、実力を否定する
・世間の連中はつまらない奴らだという感覚
最近の若者がそうした行動傾向がある、と速水氏はお話されています。
少し前までは中高生が主な層でしたが、最近は小学校高学年も対象になっているようです。
原因の1つとして現代の社会環境。
核家族化やネット環境の発達で人間関係構築力・経験が不足し、他者軽視となりやすい状況。
その結果、自尊感情が低く、他者否定につながるいこと。
対象は子どもだけなく、最近は大人もそうした傾向の人が増えている。
現代の社会的問題を表しているともいえます。
すこし逸れますが、速水教授のお話で、僕が興味を持ったのは[ナンバーワン]や[オンリーワン]の危険性について。
[ナンバーワン]になれる人はわずか、[オンリーワン]ほど個性を突出させられるひとも一握り。
それにも関わらず、そうした言葉先行が危うい状況を作り出していないかという警鐘。
「突出させる必要がない」という意見もありますが、そもそも突出していなければ[オンリーワン]といえるかどうか。
個人的にはとても納得感があり、[ナンバーワン]や[オンリーワン]などの字面を追うのではなく、地に足を付けて考える癖は、生きる上で有用だと思っています。
「他者を軽んじる」ということについて、よく「こんなオトコはダメだ」という話題になる「レストランで横柄な対応をする男」のお話。
これも「仮想的有能感」と近いもと僕は考えており、自信のなさ・自尊感情の低さが前提で、見ていて気持ちの良いものではありません。
更に進めると、自分の子どもにそうなってほしいのか、自分がそうした態度をとっていないかと自省する部分でもあります。
現代はお客様優位の時代、しかしそれも徐々に売り手側へパワーシフトしているとも思います。
昔は売り手が優位でいまは買い手有利だが揺り戻しもある
僕自身は経験したことがないのですが、昭和時代の買い物風景の1つとして売り手優位のお話です。
1970年台の高度経済成長期のころ、まだものがあふれていなかった時代。
釣りが趣味の僕の父親が、ある「手作りの竿」を購入しようとしたそうです。
父親は釣り友達からその竿の良さを聞いてたため、お店に行って購入希望を伝えたところ拒否。
距離理由は「竿を売っていた側の考える魚と、父親が釣りたい魚が違っていた」ためという内容です。
詳細は不明ですが、結果、僕の父親はその竿を購入できませんでした。
21世紀も随分過ぎた現在、こうした経験をすることはまれでしょう。
翻って現代は手あかのついた言葉ですが「ものあふれ」の現代。
商品の大半がコモデティ化(同質化)して、代替品も手に入りやすい環境。
一品ものも存在しますが、そのシェアは狭くなっており、また一品ものだからといって極度にお客さんを選ぶような態度だと、ネット社会では淘汰されます。
「良いものを作っていれば売れる」という誤った考えも、あまりみかけなくなりました。
いまは以前に比べ、売り手よりも買い手に決定権・選択権のパワーが移っている時代です。
ネット普及はお店側の力にもなっています。
モンスタークレーマー含め、理不尽なお客様にはNoということも珍しくない時代。
SNS普及で、客側の理不尽な要求に対し「それはやりすぎ、お店側の対応が正しい」的な炎上も日常になりました。
自意識が肥大化してコントロールできず、他者攻撃する光景、それを格好悪いと考える人が多くなったと感じます。
「お客様は神様」からすこし離れ、振り子がすこし店側に揺り戻っているイメージです。
さいごに
売り手と買い手のどちらが偉い(優位)か。
僕は偉い(優位)という感覚をもつことが、いまはありません。
適切な商品やサービスに、妥当な金額を支払うことが、社会の一員として適当と考えているからです。
極端な値引き要求や過度のサービスを求めるというのも違うと思っています。
良いサービスを求めるのであれば、それなりの金額を支払えばよいだけ。
自分だけが得をするということが、長期的に見てマズイ、いまのデフレ環境をみていてそう感じます。
また、良く話題になりますが、お店で消費者側が「アリガトウ」と言うかどうか。
僕は不快な状況でないかぎり、軽く頭を下げる程度の対応をします。
「アリガトウ」というには気後れ感があり、でも普通に対応していただいたので軽い謝意くらいの感覚です。
子どもと一緒にいるときには、頭の片隅で子どもへの影響も考えます。
と言っても、子どもがいるから態度を変えることはありません。
いつも通りの普通の対応を、そのまま子どもに見てもらう。
自分の子どもに、どういう人間になってもらいたいか。
親がやっていることが、子ども1つの基準。
僕は自分の子どもに他者否定ではなく、お互いを尊重する人になってほしいと思っています。