東京湾で泳げるか

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育児・子供観察

東京湾が匂う。
最近、オリンピックのトライアスロン予行演習で、東京湾の汚水事情が話題となりました。
たしかに東京都の海そばに立つと、滑っとしたような悪臭が鼻を突きます。
その東京湾に子どもが入りたいと言ったら。

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東京湾に下水が直接流される

東京の下水は「雨が多いときは、雨水と一緒に処理しない汚水を海に流している」実情を、勉強不足の僕は初めて知りました。
もともと、東京湾が近年まで海水浴はできない海だと知っていましたが、その原因がクリアになりました。

東京都内湾で約50年ぶりに「海水浴」復活

東京都内湾の海水浴の復活に向けた行動を開始してから35年が経過した2012年の夏、ついに葛西海浜公園で海水浴を復活させ、「遊泳禁止」看板は「許可なき遊泳禁止」に変更となった。

出典:東京都内湾で約50年ぶりに「海水浴」復活(笹川平和財団)

昔は知らないので想像ですが、戦後の東京湾よりはいまの海の方がきれいになっていると思っています。
それでも、いまのお台場の海に入りたいと、僕は思いません。

実際、東京湾の海際に立つと、トイレの匂いか微妙ですが「ふわりと臭い」。
比較すると、沖縄や日本海で同じ匂いを嗅いだ記憶がありません。

そんな東京湾の東京側の砂浜に、ある時、わが家の子ども訪れた時、子どもが海に入りたいと言いました。

子どもが東京湾に入りたいと聞いてきた

子どもは上半身や顔まで水につけるような、本格的な遊泳をしたいと言ったわけではありません。
「足だけ(海に)入っていい?」と僕に聞いてきました。
僕は「イーよ、だけど上半身は入らないでねー」と返答しました。
それを聞いた子どもは、その時履いていた、ビーチサンダルを脱いで、ちゃぷちゃぷひざ下まで海につかって遊んでいました。

ちなみに横では、海水パンツを履いた家族連れの子どもが、豪快にクロールで泳いでいました。
一応ですが、そこは遊泳可能な場所で、沖には流され防止のブイが浮かべてある場所です。
また、そこでは春にはアサリも取れる場所です。

禁止を禁止

子どもに海に入って良いか聞かれたとき、正直、僕は躊躇しました。
冒頭の東京湾汚水流入を知っていたのも、大きな要素です。

僕が東京湾(の東京都近辺)で泳ぎたいかと聞かれたら、かなり強い理由がなければ「泳がない」と答えます。
かなり強い理由が何か、考えると難しいですが、それくらい心理ハードルは高いです。

それでも子どもへの回答は「足くらいは入っても良い」です。
意図は、子どもが何かに挑戦したいと姿勢は、よほどでない限り「やってみなはれ」精神

冒険心を妨げる判断を、親がするのは可能な限り避けたい。
Noばかりの未来に「Yesと言ってくれないから、もうやらない」と後ろ向きになってしまう危機感です。

社会一般ルールで照らしてNGであれば、理由とともに「僕はダメだと思う」と伝える。
それを、子どもの中で咀嚼して、考えてもらいたい。
親の意見も1つの意見、ルールが絶対ではなく、すべての場面で自分で考え、判断してほしい。

挑戦した時は成功失敗問わず、その過程で学ぶものも多く、本人には結果よりも重要な時もある。
その試行錯誤の芽を摘んでしまっては、この変化時代に適応できないとも思っています。

「親に入って良い?」と聞いてくるのも、できればある年齢までで、それ以降は突き放したい。
自分の頭で考え、自分で全責任を負う経験を積み、それがやがて覚悟に昇華する。

そんなことをぼんやり考えていました。

綺麗な環境ばかりでは汎用性が低い

実際、東京湾の魚や貝も、一般に流通しています。
江戸前アナゴのような有名なものがあったり、昔は養殖の海苔が盛んな海でもありました。
それがいまは、汚水交じりの海。

ただ、生き物がこれだけいるのも理由の1つですが、綺麗なところばかりで生きて、そこでしか生きられない人になってしまう不安があります。
冷暖房管理の場所でしか生きられない、ペットボトルの水しか飲めない温室育ちが、この先サバイブしていけるか。

世界では貧困が減少しており、本当の貧困地域に遭遇する確率は少なくなっています。
それでも、やや治安の悪い場所や、食事環境が衛生的ではない場所で食事する必要があったら。

僕はある時、イスラム圏の国で道に迷ったとき、親切に道案内してくれた大学生の青年に、屋台のジュースをごちそうになりました。
あまり衛生的とはいえない道端の、くすんだ移動販売車でのジュースで、お腹を壊す可能性を想像できる状況。
それでも「目の前の困っている人が、のどが渇いていそうなので」だと想像できる、青年のご厚意を断るのは、いまでもしないと思います。

この時は、僕側の情報収集能力や危機管理能力が招いたトラブルですが、こうしたトラブルはいまでもありありと思い出せます。
トラブル経験が人生にいろどりを与え、自分の受け口を広くしておくのは、人生を楽しむコツだと思っています。

さいごに

実社会に生きていると、朝令暮改ではないですが、変化が日常です。
その中には「上長が前回の話と内容と逆を要求してきて現場が混乱する」ような経験は、だれしもあると思います。

そんな時に、感情的になり後ろ向きになるか、そんなもんだと淡々と受入れ、先に進むのか。
世の中きれいごとだけでは回っていない、一定割合で汚水を飲むような状況があります。

「水清ければ魚棲まず(みずきよければうおすまず)」ということわざがあります。
綺麗なことばかりを人に求めると、だれも周りにいなくなってしまう、訓戒です。

綺麗なものを知らないのは、人生の厚みがなく、楽しさの深さも限られる。
綺麗な物だけでは、生きにくい。
両者をバランスよく持つ、清濁併せ飲む生き方はたくましい、と思っています。