子どもの七五三写真を撮るか。
現代は写真を残す外部圧力は減っており、写真自体への関心も低くなっています。
とはいえ、一人の子どもにかけるお金は増えており、スタジオアリスも近年までは増収を続けていましたが最近は減少に転じています。
この先、写真自体を印刷する機会は減っていくと思っていますが、静止画には余白の良さがあります。
国内最大手のスタジオアリスでも近年は業績低下
七五三の写真を撮るか、国内市場の情報を探してみたのですが、まとまったものが見つからず。
そこで代表例として、国内最大手のスタジオアリスの業績を見てみました。
出典:スタジオアリス IR情報(スタジオアリス)
売上高と利益率の情報ですが、売上高は2018年がピークで減少傾向。
利益率は2011年からやや下がっています。
スタジオアリスの分野別の情報も探してみましたが見つかりませんでした。
過去のニュースなどで、スタジオアリスの売り上げの中で、七五三は4割程度を占めている稼ぎ頭。
スタジオアリスの業績にも一番影響するイベントです。
七五三写真撮影が減少しているのか、そのほかが減少しているのかは不明でした。
しかし、2019年~売り上げが下がってきている流れは、「写真撮影市場が縮小」に切り替わったシグナルとも取れます。
スタジオアリスの業績を見るため、IR情報を見ていたのですが、次の一手として「シニア世代向けのポートレート」を押し出していました。
増加する高齢者をターゲットにしているようですが、個人的には「そんなものを撮影する人がどれくらいいるのだろう」と疑問。
少なくとも、僕は自分のポートレート写真はいりません。
また、いまの若い人たちは写真印刷に昔ほど思い入れがなく、これらの市場がこの先も減少していくと僕は予想しています。
それでも僕は、子どもがいると印刷物も良いと思う点もあります。
写真の存在意義
わが家の子どもが、近くの子ども達と集まるグループに所属していた時、そのグループのある人がフォトブックを企画しました。
それぞれのママが自分の子どもをメインに、想い入れのある写真を何枚か提出し、それを1冊の本にまとめる。
原っぱでかけまわったり、泥にまみれたり、幼児が集まって楽しんでいる、子ども達のいきいきとしたスナップ写真の集合本が出来上がりました。
僕はその会合には1度も参加したことはないので、わが家の子ども以外面識はなく、想い入れはありません。
その状況で出来上がったアルバムを見ましたが、あふれんばかりの「楽しさ」が詰まっていました。
乳幼児期ならではの、計算したりカッコつけたりではない、イノセントな姿。
笑顔なら満開笑顔、必死な動作にはこちらも力が入る、何かを眺めている視線の先は何をみているのやら。
大人になってからの写真に意味がないというお話ではありません。
乳幼児期には、その時にしかないシーンがあります。
僕は社会人になる前からカメラを少し触っていて、いまでもスマホ以外のカメラ機材を持っています。
動画は組立図などを説明したりするには向いていますが、個人的にはいまでも静止画撮影がメインです。
静止画には、受け取る側に考える余白がある。
前提知識のない写真であればフラットな目線で、自分の子どもの写真であればこんな時期もあったなぁなど。
情報量が少ないほど、想像が膨らみます。
額に飾っておくような、正装して決まったポーズの写真は感情が動きませんが、日常の一コマには多くの想いを喚起します。
七五三写真を残すか
結論、子どもの親の想いが大半で、たまに祖父母意向がかかわる程度が、現代の判断条件だと思います。
主役の子ども本人は、堅苦しい衣装を着せられ、ポーズを取らされ、メリットは低いと予想。
女の子は、奇麗な着物を着られるので、嬉しいと感じる子もいるとは想像できます。
ただ、男の子は「何で、コレ着ないといけないの」と自分が男なので、そう思います。
僕は自分の小さなころの写真を、僕の親がある程度、残してくれていて、いま手元にアルバムとして残っています。
ただ、このアルバムを見ることはなく、最後の引っ越しの時に段ボールに詰めた状態で眠っています。
僕は、自分の写真を見返すモチベーションはありません。
そもそも七五三は、子どもが大人になる可能性が低かった時代に、男の子なら5歳まで生きれば、死亡率が下がる(生き残った)ことを祝った行事です。
いまは、子どもの死亡率は圧倒的に低く、本来の意味からは離れた行事です。
現代人が効率性を標準装備するようになったいま、行事を行わない人が増えるのは当たり前。
わが家は、それとなく行事は行っていますが、そこに理由を求めるとギャップが生まれるので、深くは考えないようにしています。
そうした、時代の残り香の行事も、少し姿を変えているものもあります。
大きな公園でスナップ写真をプロに撮影してもらう
最近の傾向だと僕は考えているのですが、プロのカメラマンに頼んで、大きな公園で撮影されているご家族を見かけるようになりました。
それがどの程度増えているのかは分かりませんが、僕が子ども時代にはそんなサービスは見たことはありません。
自分が親になり、子どもや家族に目が行く、そんなアンテナを張っているだけの可能性はありますが。
そういうサービスを実際に公園などで目にして、ネットでサービス内容や料金を見てみました。
2万円から3万円程度の料金で、数時間、屋外等で撮影してデータを納品していただける。
サンプル写真をサイトで見ると、出来の良いものばかり掲載されているのは当たり前ですが、自然な良い写真ばかり。
正装写真よりスナップ写真が好きな僕には、納得の金額でした。
僕はプロの仕事は、無形であればあるほど、腕によりますが、価値があるものだと思っています。
実際は、当日の数時間だけですべてが終わるのではなく、準備から当日のさまざまな配慮まで考えると、2万円から3万円は適正価格です。
写真だけなら、いまや誰もが持っているスマホで、いつでも何枚でも撮影できます。
それゆえ、写真の一般的な価値は下がりました。
ただ、新しいiPhoneが出るたびに、プロがそれを使って撮影するサイトが必ず現れます。
それを見ればわかる通り、自分がそれと同等の撮影は難しく、プロの技術が光ります。
自分の技術を磨いている人に、適正価格をお支払いして、こちらが求めるものを得る。
社会で生きていく上でも、自分の仕事に対する姿勢としても、基本です。
プロによる撮影かどうかは別として、僕は子どもの写真を撮影して印刷することに賛成です。
ただ、それは親側の自己満足であって、子どもが望んだものではないと思っています。
七五三のような定型行事写真は想いも薄く見返すこともないので必要に応じて良い。
それよりも、日常の写真が後々見ても感情が動きやすく、そちらに重きを置きたい。
僕は我が家の子どもの年齢1年毎に1冊、フォトブックを作っています。
写真を選んでいる段ですべての写真を見返し、その中から選んで文章を添える。
子どもはまだ理解できないし記憶があいまいなので、当事者にはなっていません。
僕の奥様と僕にしか分からない、まさしく親バカの象徴ですが、それで良いと思っています。
あとは、わが家の子どもが大きくなった時、フォトブックを見せて「昔はこんなにかわいかったのにな」くらは言おうと思っています。
さいごに
僕は若い時、人を正面から、カメラで撮影するのが苦手でした。
相手を受け入れる器が、自分に足りない点がおもな原因だと考えています。
いまでも、得意ではないですが、単に撮影するくらいならできますが、普通の写真の域を出ていない。
たまに、わが家の子どもの写真で「コレは良い」と思えるものがあるのは、子どもに寄り添っているからなのか親バカなのか。
世界報道写真コンテストという、オランダの世界報道写真財団が毎年、開催しているものがあります。
世界報道写真展
僕は何度か、東京で開催された巡回展を見ましたが、鳥肌が出る写真がありました。
人物を正面から捉え、こちらを突き刺すように見ている写真など、いまでも脳裏に焼き付いています。
インパクトのある写真が、優れているのではありません。
何気ない日常を切り取った平凡な写真にも、インパクトとは違う意味がある。
自分の写真を見返すことはありませんが、子どもの日常写真を見返すのは、親の楽しみです。