「男らしい」や「女性らしい」の価値観に縛られる。
いまはジェンダーレスが世界標準なので、声高に叫ぶのははばかられます。
それでも子ども達を見ていると、そこかしこにジェンダー的な部分はいまも残っている。
全体ではジェンダーレスが基本ですが、個人では自分の考えで動けば良いお話です。
日本は相変わらずの男尊女卑社会
ある時、知り合いの小さな男の子がお父さんと「男の約束!」と指切りげんまんをしていました。
別のママさんは自分の子に向かって「男は泣いていけないと言う時代ではなく、男女問わず泣きたければ泣けばいいのよ」と言っている。
どちらも、ジェンダーのお話ですが、時代的に見ると前者は昔、後者はいまと分類できます。
いまや周知ですが、日本はジェンダー世界ランキングの2021年の結果は相変わらずひどい状況です。
・総合ランキングで156か国中120位(2006年は80位)
・先進国中最下位
・東アジアと太平洋20か国中18位(日本より下はパプアニューギニアとバヌアツ)
・経済参加と機会は117位(2006年は83位)
・学歴は92位(2006年は60位)
・政治関与度は147位(2006年は83位)出典:Global Gender Gap Report 2021(世界経済フォーラム)
2006年と2021年の比較が上の情報にはありますが、総じてランクダウン。
現実を見てみると、たとえば女性の政治参加割合は昔より増えている。
しかし、日本以外の国の参加度が高まったためランクダウン。
「昔に比べれば良くなった」というのは、井の中の蛙理論です。
日本のジェンダーレスは壊滅的だったとしても、たくさんの研究結果の通り、ジェンダーレスの方が仕事の成果や社会幸福度は高いため、世界ではジェンダーレスが標準の時代です。
子ども番組でも一極集中ではない
いまのスーパー戦隊シリーズや、仮面ライダーは女性も必ず登場します。
昔から女性もいましたが、いまは脇役的な役割ではなく、キャラが立っています。
女性のみではなく、主人公以外の男性も、しっかりとした存在感を放っている。
他に、いまの子ども向け番組は(大人向け番組も)画一的にならない配慮が随所に見られます。
たとえば、昔は正義のグループのリーダーが圧倒的に露出が多かったが、いまはリーダーが頼りないキャラもいます。
悪役の中でも、途中で正義に変わったり、悪役だが悪役なりの正義を貫いたり。
もちろん、分かりやすい悪役もいて、倫理と言って良いか微妙ですが、悪は滅ぼされる内容はあります。
しかし、実際の世の中、分かりやすい悪は減っており、人間はそもそも善悪両面を持っているのも当たり前。
声高にだれかを否定する人は、ネット上ですぐに見つかりますが、あくまでノイジーマイノリティ。
大半の大人は違いがあっても沈黙し、少なくとも建前では多様性を認めるのがスタンダードです。
対し、子ども達を見ていると、半数以上の男の子は正義が好き。
女の子も、園児時代からすでに可愛さに目が行っている子が多い。
考えてみると、大人側が番組を作っており、その大人がジェンダーに毒されているので、結果子どももそれに倣う。
この面は否定できませんが、番組は選べるので、子どもは自分の見たい番組を選んでいる。
何が強い影響を与えているのか考えるなら、大人の影響より、周囲の友達のそれの方が強い気がします。
子どもは、自分の好きなモノは好き、と素直に言える。
人間の根っこの部分で、男の子は正義として悪を倒したい、女の子は美しさのようなものを求める。
大人は社会規範に沿うため、思ったことでも全体幸福のため仮面をかぶる(発言を控える)。
年齢や環境によって、考えが変わるのは当たり前ですが、大人になったら否が応でも、仮面をかぶって生きていきます。
好きなことはルール内でもできる
仮面をかぶると、本当の自分が分からなくなる。
人に合わせすぎて、自分のやりたいことが見えなくなる。
妥当な物言いにも聞こえますが、僕は論点のすり替えだと思っています。
社会を構成するとき、一般ルール(法律)がなければ、生命の存続すら危うい。
一定の社会ルールは良し悪しではなく、水や空気と同じく、絶対的に必要なモノです。
ルール自体は時代とともに変わりますが、ルールのない世界で人は生きていけません。
ルールを守って生きるか、ルールを作って自分の都合の良いようにするか、ルールの決まっていないグレーゾーンを責めるか、バリエーションはあります。
そのうえで、自分のやりたいことやオリジナリティを見つけ出す。
何かに合わせすぎて自分がなくなるのではなく、自分が何かを掴まなかった結果、自分が分からなくなる。
普通の会社員で、趣味がプラモデル作りの人がいたとします。
「大人になってまだプラモデル作っているの」と否定する人は、いまの規範ではアウト。
プラモデルを作って、人を不幸にするわけでもなく、自分の許容範囲内で好きなことをやっている。
いまは、趣味つながりもネットで自由自在。
海外からのアクセスも含め、同好の士がどこかにいます。
ここはこうしたほうが良いのでは、あそこのサイトにこんな魅力的な作品がある。
好きなもの同士が熱中する空間が、身近に存在します。
本人の幸福度は高く、いまはごく一般的なお話です。
犯罪に抵触せず、人に迷惑をかけなければ、他人がとやかく言う事ではありません。
子どもとジェンダーレスを一緒に考える
一定のルールの上で、自分の好きな状況を見つけて、できるだけその環境になるように努める。
会社に人生を依存する時代でもなく、自分のプライベートにウェイトを置く。
仕事が好きな人も、いまもで一定数いるので、そういう人を否定するのも違う。
自分の好きなことをだれかに押し付けるのではなく、人が別のことを好きなら「あなたはそれに熱中しているのですね、楽しそうですね」と尊重する。
子どもは基準がなかったり、周りを見る余裕がない生き物です。
自分が好きなことや自分の正義が、正解と考えてしまう。
そこをうまく誘導するのも親の役割です。
あなたは〇〇が好きだね、あの子は△△が好きだね。
あの子が〇〇を大嫌いと言ったら、君はどう思う。
同じようにあなたがあの子に△△はダメだね、というのは良いと思う。
ジェンダー闘争の終わりは見えませんが、「妥協点が見つけられなさそうなら近づかない」が現実は適しています。
「子育てはママがしっかりするもので、ママが働いているなんておかしい」と考える人を翻意させるのは難しく、僕は距離を取る方を選びます。
感情論ではなく議論が成り立つ相手であれば、話す価値はあるかもしれませんが、上記の子育て論にもある通り、人間は自分が許容できる範囲内のものしか認めない生き物。
新興宗教に嫌悪感を抱いている人が、新興宗教にはまっている人に「あなたは騙されている」と話して、意味があるとは思えません。
子どもと話すとき、理想論と現実論をどこまで織り交ぜるか、画一的な回答はありませんが、考えた方が良い点です。
ジェンダー問題も同様に答えはなく、男だから、女だからをどう考えるかは個人の自由。
男の子が「女性に比べ男は力が強いので荷物を持つ」は、女性側に拒否感がなく、能動的であれば否定されるいわれはありません。
女の子が、細かいことが好きな性格で、いろいろな点に配慮ができるので、だれかといても自然に手が動く。
これを「女性だからって動かなくて良い」と言う人はいますが、それは自分の考えを押し付けている。
「男らしさ持つべきではない」と主張する人は、「男らしさを持ってはいけない」と、自分の規範を相手に押し付けています。
さいごに
女性は男性の強さに魅力を感じる。
男性は女性のやさしさに魅力を感じる。
ジェンダー最右翼発言ですが、声に出せなくても「まぁ、全員ではないがそうなんじゃない」と思う人が多いと思っています。
いまは声を出して発言するのは不適切な世の中ですが、社会のルールと個人の考えの違いの典型例のような気もします。
人間が類人猿時代に生き残るために培った名残からきているものでもあり、それをこの数十年でできたルールが簡単に駆逐するとは思えません。
それを魅力と感じる人がいて、パートナーを射止めるためにそうした行動を戦略的に取るのも、おかしいとは思えません。
ジェンダーレスで上がる話題の1つ、レディーファースト。
レディーファーストは余裕がある人ができる行為であり、スマートにできる人はカッコ良い人です。