子どものテレビの視聴時間を制限したい。
親子喧嘩の定番ネタですが、一定のルール決めは幼児期には必要だと僕は考えています。
その先、ルールを知り守る習慣ができたえで、少し外に出てみる。
知らない景色を見る、自分の個性が出る経験にもなります。
テレビ視聴は20年で4割減少
子育てをしていると、強制的に人生を振り返る経験をします。
子ども向け番組を大人になってから見るのも、その1つ。
例えば、自分の子どもが好きな番組のドラえもんを一緒に見る。
「昔、よく見ていたな」の回想とともに、大人になって自分の視点が違っている点に気づきます。
横道にそれますが、ドラえもんの世代を超えた愛され方は、自分が好きだった記憶も含め凄いです。
子ども向け番組は、子どもに楽しんでもらうために、様々な工夫がされています。
言葉が平易だったり、複雑すぎないストーリー配慮、現実にはない説明セリフが出てきます。
製作者はこういう意図だろうとか、これは無理筋なこじつけだなぁなど、ストーリーが分かりやすいので、こちらは余計なことも考えられます。
本心で楽しめていないのかもしれませんが、作り手の考えを想像する大人ならではの視点。
たまに、自分の仕事にも置き換えられる、相手にうまく伝わっているかを自省するための教材として見ることもあります。
たいていの人はそうだと思いますが、大人だけの家庭だと子ども向け番組はほぼ見ません。
わが家は、子どもが生まれるまでは、子ども向け番組を見る機会はゼロ。
結婚当時はもっぱら、海外ドラマにはまっていました。
ドラマ『24』を何気なく見たが最後、足が抜けられず、不用意に近づくと寝不足確定なので注意していました。
その後、わが家に子どもを迎えてから、大半の子育て家庭同様、子ども向け番組ばかりがテレビに映し出されます。
Eテレと日曜の朝時間帯の民放放送の子ども向け番組に、助けられているご家庭が日本にどれほどいるか。
子育てあるあるの1つ、朝の準備時間の戦争時間のEテレ「おかあさんと一緒」ヘルプは、強い味方です。
テレビを見る子は一定数いる。
子どものテレビ視聴時間の推移を見てみました。
出典:幼児のテレビ視聴と録画番組・DVDの利用状況(NHK)
この文章にでてくるグラフは、すべて2歳~6歳の情報です。
1日のテレビ視聴時間は、右肩下がりでした。
2000年と2017年を比べると59.7%と、視聴時間が4割減少。
納得できるような、そうでないような。
習い事が増え、そうした子どもがより、平均値を引き下げているのか。
わが家の子どもは、年齢が上がるとともに、好きな番組が増え、視聴時間は増加傾向です。
わが家ではテレビ視聴と言っても、録画を活用しています。
子どもが好きな番組を外付けハードディスクに保存、見たいタイミングで見ています。
昔は録画機器がなかった
いまの録画保存場所は、ほぼハードディスク一択の時代。
DVDにコピーする人はいるかもしれませんが、一次保存先の基本はハードディスク。
いまはDVDメディアを触る機会も減っています。
自分がDVDをレンタルしたのは、いったい何年前か思い出せないレベル。
子どもが何度も繰り返し見る、好きな番組をネットでDVD購入することはあります。
しかしいまはそれ以外、DVDをほとんど触っていない。
僕が子どものころは、見たい番組があったら、録画ができないので、その時間を基準に生活していました。
ドラえもんが夕方7:00からなので、何時までに帰宅して、何時にお風呂に入って。
いまは、自分の好きな時間に好きな番組を見る時代です。
出典:幼児のテレビ視聴と録画番組・DVDの利用状況(NHK)
インターネット経由の動画視聴は伸びている
手軽な視聴方法の1つとして、ここ数年、ネット動画利用者が増えています。
出典:幼児のテレビ視聴と録画番組・DVDの利用状況(NHK)
とはいえ、子どもが自分で動画視聴環境を選択できるわけではなく、あくまで両親がどういう環境をつくるかです。
「YouTube」を見るために、タブレットがあるか、スマホを子どもに見せているか。
「Netflix」などの、月額固定金額(サブスクリプション)サービスに加入するか。
子どもは、自分がいる家庭の環境の中で、自分の好きな番組を選ぶだけです。
よって、上記の右上がりグラフを言い換えると、動画サービスを利用する家庭が増えたとなります。
わが家は、有料動画配信サービスを利用していますが、わずかな金額でこれだけ見られるのだと、満足度は高いです。
子どもも、その魅力的などっぷりはまっています。
自分が子どものころは、放送時間に合わせて待ち(受動的)。
いまの子どもは自分が見たい番組を、見たいタイミングで見る(能動的)。
いまの時代の能動的環境のメリットは、時間に縛られず、自分の都合に合わせられる。
反面、いくらでも見続けられるので、そこをどう制限・制御するのか。
ビジネス面で見ると、どの番組が見られたか一目瞭然なので、つまらない番組はすぐに打ち切りになるのは、時代の趨勢です。
僕の身の回りだけなので一般論とは言いませんが、社会人の未婚者でも、かなりの割合の人が有料動画サービス利用しています。
視聴ジャンルを聞くと海外ドラマが多く、僕はそのたびに「おもしろいからなぁ」と首肯しています。
大人であれば、自分の判断で視聴時間や、視聴番組を選択できます。
対して子どものテレビ視聴は、「刺激の強い番組はダメ」や「長時間視聴注意」論争があります。
映像視聴の是非
暴力的であったり性的なシーンは、子どもには向かないので大人がガードする。
理由は、まだ恐怖を処理しきれない年齢であったり、映像の暴力場面をまねする「モデリング」など。
その他、基本的にテレビは受動で考えない子どもを作る、もあります。
ダラダラ見せるとルールが守れず、その後の社会生活に悪影響を及ぼす。
こうした昔から言われている主張に対し、影響は限定的などの反論研究も多数存在します。
2歳から5歳の子どもに1日1時間~2時間の動画視聴制限しても関連性はない
出典:Digital Screen Time Limits and Young Children’s Psychological Well‐Being: Evidence From a Population‐Based Studyスマホやタブレットを使用する若者が幸福ではないとの関連性はまったくない
出典:Studies Shoot Down Tech’s Harmful Effects on Kids? So Now What? – Facts So Romantic – Nautilus暴力的なゲームをすると現実で暴力的行動を起こす関連付け説明に警告
出典:APA warns against linking violent video games to real-world violence | Ars Technica
個人的には、未成熟の子どもは一定のルールがないとマズイ、まずは枠組みを体感する必要があると思っています。
もちろんこの一般論が前提にあったうえで、個人の性質や状況で、臨機応変にルール改定をする。
理由説明のない「ダメなものはダメ」では、自分が子ども時分に言われて、納得感がなかった記憶を思い出します。
一定のルールを守るのは、人間が社会性動物として基準となるもの。
社会の中で自立して生き残るために、他者を尊重し、適度の協調状態をつくるためのベース。
自分勝手なごり押しばかりのジャイアニズムでは、他者から見限られる可能性は高いです。
ルールを守る、ルールを作る
ルールを守ることが最終ゴールでもなく。
学生時代はルールを守る人が偉い、社会ではルールを作る人が偉い。
もっというと、学生時代にも枠にはまりきらない人が、社会でも頭角を現すケースを現実に良く見ます。
中でも幼児期はルールを守る自制能力が低く、楽しいことに夢中になって周りが見なくなる。
「テレビをもっと見たい」を許容するかと言えば、僕はNoと言います。
子どもを含め家族会議(夕食後の団らん)で、1日の視聴時間を決めて、みんなで約束する。
わが家では、その時間を超えるのはダメだよ、それはルール違反だよと子どもに伝えています。
子どもが大好きな番組を、無制限に見たがる気持ちも分かります。
アメリカドラマを見始めて、いつの間にか深夜遅く寝不足、これを僕は大人になってもやっていた過去もあります。
時には少しルールを緩めるのもアリ。
それが致命的な状態になると、僕はそれほど心配していません。
僕は子どものころ、親が寝静まったあとに、徹夜でゲームをしたりしていました。
時に親から叱られましたが、やっている本人も自分が「ちょっと、やりすぎかな」の自覚もあります。
大半の人は、こうして大人になり、仮に親の言いつけ通りに生きてきた人がいたとしたら、温室育の心配が出てきます。
自分が、わが家の子どもの事はほぼ理解している、とは思っていません。
それでも、日ごろの言葉や雰囲気などを見ていれば、異常事態になる前に気づけるのでは。
「まさかうちの子が」と放棄と放任主義を混同するのでもなく、少しルールを踏み外し戻るを繰り返す子どもを見守るくらいが、良い距離感だと思っています。
既定路線を外す
stay at home。
こういわれる時代、家に引きこもって、幼児と過ごして煮詰まる。
子どももそうですし、親の閉塞感も当たり前にあります。
そういう時に、テレビやタブレットで動画視聴する。
コロナウィルス禍以前より、視聴時間が増える。
僕は節度を持っていれば、バランスの取れた対応だと思っています。
多少の視聴時間が増えるのをマイナスに考えるよりも、一時期ルール改編も生きる知恵。
そして、テレビを見るときも、受動的になりすぎない一工夫を入れる。
テレビを子どもと一緒に見て、内容を話し合うなど。
非認知能力の強化ほど大それたものではなく、その雑談はイロイロな効用が見込めます。
子どもは、親が真剣に雑談に乗ってくれていると、目がキラキラ輝きます。
自分が興味があることを、一生懸命、自分の少ない語彙の中から説明しようとする。
「あの番組の、あのキャラクターは、〇〇というヤツなんだよ」
子どもとお風呂に一緒に入っているときに、暇つぶしに始めた「一緒に物語作成」。
僕「むかーしむかし、あるところにおじいさんと、おばあさんが住んでいました、ハイ」
子「おじーさんとおばーさんは、山でこどもを見つけました、ハイ」
僕「子どもはやがて大きくなり、筋肉ムキムキになりました、ハイ」
子「筋肉ムキムキさんは、村人をみんなやっつけちゃいました」
昔話に出てくる(道徳的な)既定路線を外すほど、子どもは食いつきます。
子どもから「もう1回やろ」判定が出れば、僕は心の中でガッツポーズです。
さいごに
「じゃぁ今日の勉強は、社会と英語」と、僕は子どもに言います。
社会は地図を見ながら「じいちゃんばあちゃんが住んでいる場所はどこですか?」
「われわれが住んでいる場所はココだけど、どれくらい遠いですか?」と地図を指し示す。
英語は「黒は英語でなんて言うの?あの番組に出てくる悪いヤツの名前は?」
「(答えのブラック〇〇)」「そう、黒はブラックだねぇ」
子どもが興味のある内容だと、身を乗り出して「次の勉強はなに?」と要求してきます。
僕は便宜上「勉強」という言葉を使いますが、「学び」の原点というか、このくらい前のめりに学ぶ姿勢を持ち続けられたら無敵だな、とほほ笑んでいます。
「好きこそ物の上手なれ」をリアルに体感できる経験です。