臭いものにふたをしない

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育児・子供観察

知り合いの遺産相続について、その家族がやや険悪な状態になっているというありふれた話題に遭遇しました。
話を聞くと、総論OKだが細かな点で全員言い分があり、それを当人同士では話さず、第三者の僕に愚痴っている状態。
近年増加している「遺産放棄」もあるのでは、と部外者ならではの余計な考えも浮かびます。
このような「大人の話題」を子どもの前でするかどうか、親の悩みの1つです。

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ありふれた遺産相続の内輪もめ

「俺が自分の力でココまでやってきたんだから、俺の好きにさせてくれ」
そのご家庭は祖父が自営業者として、1代で会社を作ってきた状況。
一緒に歩んできた祖母は、すでに他界しています。

その遺産相続(配分)を存命の祖父が決め、受け取る側の子ども達に説明しました。
受け取り側はおおむね了承したようですが、部分的に納得がいかなかったというお話です。
受け取り側の意思を直接的な表現をするなら「自分の意図とは違って、自分の取り分が少ない」と言う事です。

僕は第三者なので「大変だなぁー」と、傍観というか単なる聞き役というポジションです。
個人的にはこういう話に首を突っ込んで良いことはないと思っています。
当人同士が落としどころを探って、ダメなら裁判すればよいと僕は考えています。


出典:遺産相続(分割)事件数(総務省統計局)

世の中の相続裁判件数推移は上記です。
増えていますが、僕が思っていたより、圧倒的に少なかったです。
やはりニュースなどで取り上げられるのは、刺激的でインパクトが大きいバイアスがかかっているようです。
日本の年間死亡数が約134万人なので、単純計算1%くらいが裁判になっているとも取れます。
裁判沙汰になっているのが1%と考えると、意外に多いのかもしれません。

また、自分が当事者ではなく、第三者であれば思いつくであろう「相続放棄」という選択。

出典:遺産相続(分割)事件数(総務省統計局)

この数字も年々、上昇しています。
裁判件数より1桁多いことがポイントで、この先は「負動産(不動産)」増加から、もっと増えるのでしょう。

テレビドラマなどで鉄板ストーリーである「遺産を巡って殺人事件」。
現実には殺人事件は起こっていませんが、遺産相続の取り分をめぐる大人の泥仕合はあるようです。
こうした遺産相続もそうですが「大人の事情」を子どもに話すのか、そんな話を僕は僕の奥様としていました。

子どもを信じているかどうか

子どもに何を話すかについて、僕の考えは「できるだけオープン」でありたいと思っています。
すべての話題を子どもに話すわけではなく、たとえば小学校低学年に性教育の話をするかといえばNoです。
ただ、その子の成長や考え方をみつつ、中学生などで話しておくことは重要だと思っています。

というのも、僕は微妙な話題は子どもに聞かせないという教育方針の両親のもとで育ちました。
大人になって思うのですが、コレは逆効果のケースの方が多い。
実際、コソコソする両親の態度を見ていて「なんだかなぁ」と思っていました。

大人が思うほど子どもはバカでも無知でも、無思考でもないと僕は考えています。
大人がそう思い込みたいだけ、リスク回避として微妙な話題はふたをする。

子どもはその敏感なセンサーでそういう大人の態度を見抜いています。
たとえセンシティブな内容であっても、子どもは受け取った情報をうまく処理すると思っています。

トラウマになるような話題は避けるべきだという正論もありますが、何がトラウマになるのか判断できるのか。
子ども自身も、子どもの能力も信用できていれば、なるべくオープンの方が自立という面でも良いと思っています。

子どもは社会のルールや、人がどう感じるかなど、大人より経験がなく知らないことがあるのが当たり前。
そういうことを、子どもと一緒に考えることは重要ですし、頭ごなしに教え込んでも長期的には悪手です。
綺麗ごとかつ自分が毎回できているわけではありませんが、僕は子どもを一人の人間として接したいと思っています。

そのうえで、以前も書きましたが、僕は家族はチームと考えています。
できるだけ情報は共有した方が、特に状況が悪くなった時に納得感が高い。

これは、僕が組織の中で経験、考えたということがベースにあります。
「不用意な情報」は混乱するだけなので出さない、噂話などもコレです。
逆に確度の高い情報や、未確定でも知っておかないと後で影響しそうな情報は積極的に共有する。
そうすることで、情報を受けた側が考える力にもなり、当事者として動くと考えています。

もう1つ、気をつけていることは「ぶれない」こと。
時代のスピードが速いので、前提が変わって、軌道修正する機会は増えたように思います。
その場合は、いち早くその理由と共に変更方針を共有しつつ、根本部分はなるべくブレないこと。
ブレている人は、あまり信用できないという自分の感覚からの個人的方針です。

さいごに

1代で会社を作ってきて、自分に自信を持っている祖父母世代は多い気がします。
そのプライドもあってか、冒頭の「俺の勝手にさせろ」という発言があるのかもと思います。

僕はこの発言を直接聞いたとき、個人的に同意でした。
法律上は、子ども達には遺産を受け取る権利があるのは現代社会のルールです。
しかし、このケースでは受け取り側の強欲感を僕は感じてしまったというのが正直なところです。

「俺の勝手にさせろ」発言を聞いて、僕は以下の返答をしました。
「資産を全部現金して、隠れ愛人に全額相続させたら、僕はさすがだなぁと思います」
その方は大笑いされていました。

お金は一定は必要だと僕は考えています。
そしてお金以上に、稼ぐ能力が必要だとも考えています。
さまざまな調整の上、遺産を受け取れるのであれば受け取って、それをベースに自分の人生を加速させる、というのは受け継いだ側の役割なのかもとも思います。

「魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えよ」という慣用句、僕は子どもを持って強く意識するようになりました。
現代は更に進んで、釣りが必要なのか、自分で釣るならどこで何を釣るのかを考える時代です。