子どもの門限を設定していないご家庭は約半数です。子どもの外遊びが減っている時代ですが、少子化を含め子どもの置かれた環境は変わってはいる。昔は子ども達だけで、冒険と呼べるレベルの場所に行くことはあっても、いまはその環境自体が少なく、子どもも近づかない意識が根付いている。リアルな身体知が創造の源泉とするなら、子ども時代の外遊びは有用です。
子どもの門限時間は17時前後が一般的
子どもの門限についてのアンケート結果が以下です。対象は5歳以上の子どもを持つ男女345名、2015年12月に実施した結果です。
出典:『子どもの門限』に関するアンケート調査(株式会社オウチーノ)
子どもの年齢が5歳以上の結果なので、小学生なのか10歳代後半なのかなのかわかりません。グラフ内で一番大きな数字は50.7%の「特になし」。子どもが大学生なら、遅い時間までアルバイトしているなども含め、「特になし」で違和感はありません。2位が「17時」の16.5%と、3位が「17時前」の12.2%は、小学生あたりが想像できます。
出典:『子どもの門限』に関するアンケート調査(株式会社オウチーノ)
門限を守っているかの結果では、「常に守っている」と「だいたい守っている」を足すと93.5%。門限がある子が対象になりますが、たいていの子どもは門限を守っているようです。
日本全国共通なのか分かりませんが、夕方になると「お家へかえりましょう」の音楽が流れる地域があります。その時間は、自治体や季節によって差があり、16:30から17:30あたりが一般的。それを聞いても帰宅しない子は約5%はいるようです。
出典:『子どもの門限』に関するアンケート調査(株式会社オウチーノ)
上記、子どもが外出する時に、親が子どもを危険から守るために心掛けていることの一覧情報です。どれも安全面を考えて妥当かつ、効果的なものばかり。ただし、1位の「だれと外出するか聞いておく」が15.1%なので、それほど実行されてはいないようです。
子どもの外遊びはコロナ過で約7割減少
子どもの外遊び回数が減っている話は、近年よく聞きます。以下、子どもの外遊び時間と親側の希望時間のデータです。このデータの調査対象は、2016年は全国の小学4年~6年の男女400人、2001年は290人、1981年は317人です。
出典:「子どもの時間感覚」35年の推移(シチズン時計株式会社)
約35年間の推移は、一言で減少している。親の希望時間と子どもの外遊び実際時間の差も、すべての年で存在しています。ただ、実際時間と希望時間の差は、1981年は56分でしたが、2016年は23分と縮まっています。
コロナウィルス禍になっての運動時間情報が以下です。このアンケートは2020年4月~2020年5月に、保護者6,116人、子ども2,591人に対して行われたものです。
出典:コロナ×こどもアンケート第1回調査 報告書(国立成育医療研究センター)
コロナ過は環境要因ですが、外出控えの言葉通り、約3/4が外遊び時間が減っています。増えたと回答している約1割の人たちが、どんな状況だったのかは気になります。
外遊びが減る理由は現代は多い
外遊びが減った理由を挙げてみます。
・屋内遊びの充実
・テレビゲームを含むスクリーンタイムの上昇
・習い事で時間がない
・親の安全意識や治安面での心配
・公園や空き地の減少、公園ルールの厳格化
・ご近所迷惑意識、暗黙のルールレベルの向上
・子ども自身が危険物への接近しない意識浸透
上記からは「環境面」と「リスク回避」の2点が思いつきます。ゲーム・スマホ・タブレットや、おもちゃを買ってもらえる父母・祖父母の財布が多い時代。外は遊ぶ場所が限定・減少し、他者配慮レベルが上がりました。子どもの交通事故率や事件遭遇数は一貫して減少していますが、僕の身の回り観測でも親の安全意識は高まっている。家の中で遊ぶのであれば、各種の懸念点が払しょくされるので次善策というかしょうがないかと考える。
以下、外遊びをしなくなるデメリットです。メリットはこの逆と考えます。
外遊びをしなくなるデメリット
・体力・運動能力の低下
・危機管理能力が上がらない
・社会性が身に付かない
・免疫力が低下
・想像力が鍛えられない
・メンタルトラブルの低下
いまは大分聞くようになった、運動がメンタルに良いというお話。以下、一例ですが、身体を動かすとうつ病に好影響です。
世界的精神科医が「これほど抗うつ効果が高いものは思いつかない」という”ある行動”
親の危機意識が門限になる
僕は小学生のころ、門限もなく外で遊びまわっていました。僕がそうだったように、一緒に遊んでいた友人たちも同様。時代的に子どもの数がいまより多く、住んでいた場所が地方だったので、子ども達だけでいろいろな場所で遊んでいました。所有者がいたのかどうかすら不明の空き地が身近にあり、空き地で「入るな」的なことを言われた記憶はなく。近くに厳しくないレベルの山や川もあって、子ども達だけでそれらに入って行っていました。現代の高いセーフティレベルから考えると、子ども達だけで山や川は危なく学校や親から止められるのは間違いなく、言葉通りの牧歌的な時代でした。
自転車で転んだり竹林や川での擦り傷は当たり前で、いまの自分の肘や膝は、子どもの頃のケガの後が残っています。生き残ったから笑い話で済んでいますが、恐い想いも両手の指の数では足りず、落ちそうになったり流されそうになったり。
中でも一番記憶に残っているのは、水がそれほどない川を下流に向かって友達数人と歩いていた時、ふと足元を見ると首をもたげた蛇がこちらを威嚇している。蛇は首をもたげていたことからマムシだと思いますが、マンガで描くと「シャーーーー」と擬音を発している場面です。背筋が凍り付くの言葉が適当か分かりませんが、文字通り体中を恐怖、電気のようなものが駆け巡りました。余談ですが、いまこの文章を書いて、人間の知覚が電気信号だと分かります。
僕は、それなりの数のトラブルに遭遇、結果論のたまたまですが、僕や身近な友人は骨折などの大きなけがもなく大人になりました。わずかですが、川で命を落とした同級生・同じ学校にいた時代です。
わが家に子どもが生まれるまで、自分の子ども時代の経験はあまり思い出すこともなく。子どもを持って、子どもに設定するセーフティレベル、どういう経験をしてほしいかを考えた時、自分の子ども時代の経験が頭をよぎる。
僕は水の怖さや、擦り傷を作ってはお風呂に入る時痛いなど、身体で覚えたことは多い。その物理的な経験が自分の中には残っており、それがいまの自分の幹の一部になっている。大人脳でのこじつけ論理ですが、これらの能力はビジネスでも転用できる能力です。
僕はいま、東京在住で身近に山はありません。川も整備されたものしかなく、子どもの学校では川に近づかないが徹底されています。子どもがそれなりの自然に触れ合うには、親がその環境につれていく必要があります。東京に限って言うなら、僕の同僚の話がベースになりますが、親がアウトドアに意識が向いていて、結果その家の子どもがアウトドアを好きなるのが現代流。子どもが外遊びが好きになるか、親の影響は大きいと思っています。
門限は親の決めたルールで、そこには親の経験や想いが反映されます。子どもに適度なトラブルに遭遇しつつも、安全であってもほしいと難しい状況を求める。何にせよ、現代の子どもは自分の身体で体感する危機経験は少なくなっていると感じます。外遊びしていて暗くなってきたから帰ろう判断や、雨雲が近づいてきたので切り上げるなど、机上の空論ではなく身体知です。
僕は、子どもの精神年齢が小さいうちは門限が必要、一定になったら不要に1票入れます。決められた枠内で物事をやりとげる、夕方4時まで2時間あるからこれくらいの遊びをするなどの全体把握。時間がきたら切り替えて、後片付けをする。メメントモリほど大げさではなく、遊びが限定されることでその時間が濃密になる。
たまの門限破りも経験しつつ、子ども自身がチューニングして自分で自分の人生(時間)をコントロールする経験につなげる。どうしてその門限時間(ルール)なのか、門限が必要かどうかも親が一緒に考えるのも良い手です。
そして、子ども自身が妥当なルールが作れるようになってほしいのは、親の願望です。
さいごに
スティーブン・キングの本『死体』を映画化した『スタンド・バイ・ミー』の最後に、以下のセリフがあります。
「あの12歳のときのような友だちはもうできない。もう二度と。」
僕はいまでも連絡を取り合っている、ずっと一緒に遊んだ幼馴染がいますが、それが上記なのかよくわかりません。現実、目的不要でただ一緒にいるだけの関係性は、大人になるとレアケースになるのは確かです。
振り返って家族を考えてみると、家族は仕事とは違い明確な目的はなく、家を継ぐ意識の人も現代ではマイノリティ。そうすると、家族の幸福最大化作戦はその旗印になり得ます。