日本ではフードロス(食品廃棄量)が減っています。SDGsの1項目でもあり、もったいない思想が普及している気がします。人口増加と食糧危機がこの先どうなるかは分かりませんが、食べ物を大切にする思想は大事。子どもの食べ残し問題は日常茶飯事ですが、長い目で見るのも1つの対策です。
フードロス(食品廃棄量)は下がっている
以下、ここ10年の食品ロス量を見ると全体は減少、事業系と家庭系を比べると少し減り幅が違います。
出典:食品ロスとは(農林水産省)
「事業系食品ロス」の2008年は331万トン、2019年は275万トン、前後比-56万トン(83.1%)です。「家庭系食品ロス」の2008年は312万トン、2019年は247万トン、前後比-65万トン(79.2%)です。
「事業系食品ロス」は2015年周辺で少し増加している点は特徴的で、その後減少。2020年はコロナウィルス蔓延済みの年なので、外食制限でレストランなどのロスが減ったと予想できます。
対し、「家庭系食品ロス」はほぼ、一貫して下落傾向。人口減少時期と重なりますが、この時期の人口減少幅(-1.2%)より家庭系食品ロス幅(-20.8%)の方が下がっています。各ご家庭で、食品を無駄にしない意識が高まったと言えます。
出典:食品ロスとは(農林水産省)
「事業系食品ロス」の詳細情報として、カテゴリ別の推移が上記です。2012年を100としてのその後の増減率です。
4カテゴリの中で一番減少しているのは、「外食産業」の-31.9%です。ほかに、2012年に比べ2020年で唯一100%超えしているのは「食品小売業」の103.4%。コロナ過環境での内食増加が、ここからも見て取れます。
食料価格と世界人口増加の比較
食品ロスの話をするとき、地球全体で食べ物が不足しないかの話題が出てきます。
出典:穀物価格の推移(世界経済のネタ帳)
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1980年からの主要穀物の価格推移が上記です。2000年代前半くらいまで変化がなく、2000年代後半から干ばつなどの天候影響で価格高騰の山が見て取れます。2022年も山の1つになっており、ロシアによるウクライナ侵攻で小麦価格が上昇しています。
出典:World Population Prospects(United Nations)
続いて、1980年からの世界人口推移です。ほぼ右肩上がり直線なのが、グラフを作ってみて分かります。
世界人口の増減率を1980年と2022年で比べると、178.8%。対し、1つ上のグラフ穀物価格推移の同時期の上昇率は184%と、ほぼ同率となっています。ただし、2022年が戦時の特殊事情と考え、1980年と2019年を比較すると穀物価格の上昇率は130%。いまが特殊事情と考えるなら、人口増加>穀物価格の増加となります。
人口増加で食糧危機にならない理由として良く言われるのが、農業と農薬の進化。アメリカの大規模農園のように、大きな土地に巨大な機械を使って大量生産する。数人で莫大な食料を生産できるのは、工業革命前とは違っています。それでも、近年は「タンパク質危機(プロテインクライシス)」が出てきています。
2050年にタンパク質危機が発生する可能性がある
タンパク質危機とは、人口に対してタンパク質の需要と供給のバランスが崩れることを指す言葉で、近い将来に発生する可能性が高いとされている社会課題です。
2020年時点の世界の人口は77.9億人とされています。国連の人口予測では、2030年には85億人、2050年には97億人、2100年には108億人となる予測で、当面は人口が急速に増えていく傾向が続きます。
では、人口に対してタンパク質はどのくらい必要なのでしょうか。人間が必要なタンパク質は体重の1000分の1程度とされています。体重50キロの人であれば50グラムのタンパク質が必要になります。
このように考えると、2050年にはタンパク質の供給量が足りなくなる可能性があるのでは、と欧米を中心に議論されています。出典:「タンパク質危機(プロテインクライシス)」が2050年に訪れる理由とその解決策とは?(株式会社 三友)
食糧問題は日本においては身近ではありませんが、家庭系食品ロスの減少から見ても、食べ物を大事にする時代です。
SDGsやフードロスアプリ
2015年に提唱されたSDGs(えすでぃーじーず)は、企業活動にも影響を与えるものでもあり、その中にはフードロス項目も含まれています。
国連「持続可能な開発のための2030アジェンダ」(平成27年9月)
ミレニアム開発目標の後継となる2016年以降2030年までの国際開発目標(17のゴールと169のターゲット)27年9月に国連で開催された首脳会議にて採択。
ターゲット12.3
2030年までに小売・消費レベルにおける世界全体の一人当たりの食料の廃棄を半減させ、収穫後損失な
どの生産・サプライチェーンにおける食料の損失を減少させる。ターゲット12.5
2030年までに廃棄物の発生防止、削減、再生利用及び再利用により、廃棄物の発生を大幅に削減する。出典:食品ロス及びリサイクルをめぐる情勢(農林水産省)
以下、『FACTFULNESS』にもある通り、20世紀に比べ21世紀は貧困率が減少しており、食べ物に困る人は減りました。それでも、持続(サスティナブル)で考えるなら、廃棄食品を減らすのは家計にも地球にもメリットがあります。
近年、フードロス対策の動きとして、お店で賞味期限が近づいた食材や食事を安価に購入できるサービスも出てきています。スーパーで見かける、閉店時間近くなると30%offシールが貼られるものと同じことを、ネットを使って売り手と消費者を繋げる。
・廃棄が近づいた食材を、生産者から直接、消費者に届ける
・形が悪い野菜など、いままではスーパーには卸せなかったものも、わけありとして通販する
「わけあり」が、収入(可処分所得)の減少やネットの普及で、消費者の身近になりました。
子どもに無理して食べさせる時代ではない
子どもの食べ残し問題は、類似状況を含めるとほとんどのご家庭で発生していると僕は考えています。身の回り観測ですが、ほぼ子育て中の親の口からは「うちの子は〇〇が・・・」はあいさつ代わりレベルで耳にします。単純に食べ残す、嫌いなものを食べない、お菓子は食べるがご飯は残す。
子どもが食べ残したとしても、昭和と令和では対応が違ってきてはいます。昭和の給食あるあるとして、配膳された食べ物や牛乳を食べ終わるまで机を離れてはいけないルールだった時代。僕は何でも食べる子どもだったので該当しませんが、大人になってから残って食べさせられた経験がある人に聞くと、トラウマレベルと聞きます。ルールの厳格施行、個人よりも組織がいまより優先されていました。
いまの小学校では、そうした厳しい対応はなくなりました。東京在住の僕の周辺では、給食時間内に食べられない子がいても残されることはありません。
好き嫌いがあっても長い目で見る姿勢、成長とともに自然と改善していく発想がスタンダード。親や先生が強権発動(感情爆発)しても、子どもにとって悪影響になるのが、いまの教育の標準です。
実際問題、牛乳が飲めなかったとして人生全体としてみたときどれほどの問題なのか。体質的な原因だったとするならよりそれは考慮点にもなり、運動が苦手や大人になってアルコールが飲めないので飲まないなど、画一的ルールの強制力は小さくなっています。
違う面ですが、家庭で料理を作った人が食べてくれなかった子どもに怒ってしまったネタは、ツイッターにいくらでも転がっています。感情的に子どもに怒鳴ってしまい、言い過ぎた反省。多分、そこには食べ残しが噴火のトリガーだっただけで、部屋のお片付けしないなど裏に積もった物もあると想像します。
作った人への配慮は、大人であれば基本ですが、子どもにどこまでそれを求めるか。ご飯を食べずにお菓子というのはさすがにマズイですが、この辺りの相手への配慮、怒らせてしまう可能性がある行為と言う未来予測も、子どもにとっては経験です。
子どもが嫌いなモノを食べない時期は、親側がその食材を少しの期間使わないので良いと僕は考えています。お互い、頑張りすぎるのは得策とは思えない。親側の不安「そんなことして一生ニンジンがたべられなかったら」は杞憂であり、代替手段はいくらでもあります。
以前もこのブログに書きましたが、僕の幼少期は親が食べ残しに厳しく、茶碗の米粒1つ残すと叱られる家庭環境で育ちました。僕の親は、食べ物が少なかった幼少期を送っており、食べ物を粗末にすることに対して敏感でした。いまとなって良かった点は、残さずきれいに食べるのが習慣になっているので、人とご飯を食べるとき感心されることはあっても多分嫌われていない。出されたものを少し無理してでも完食するので、もしかすると出した側も気持ちよくなっているかもしれません。ただ、お腹いっぱいになっても全部食べなさいは、人にはすすめません。
わが家の子どもには全部食べる必要はないが、嫌いの物でも一口は手を付け、きれいに食べてもらいたい。その裏側にあるのは、説教臭いですが食べ物への尊重「(あなたの命を)いただきます」の思想です。料理を作っていただいた方や、テーブルに運んでいただいた方への配慮、食べ物だけのお話ではなく。その結果、フードロスも減る。
お客様は神様ではなく、客もサーブ側も対等と僕は考えています。同じく、食材に対しても過剰な必要はありませんが、敬意と言うか尊重姿勢はあったほうが良い。きれいに食べないのはマナー違反で、楽しく食べられれば良いではなく、楽しくきれいに食べるが人との食事の基本姿勢です。
いまの時代は、「やりすぎ」ではなく「ちょうど良い」に、針が振れています。基本を押さえ、できる範囲でアクションする。
バイキング(ビュッフェ)で、食べきれないのに皿に山盛りするのは、SDGs以前に下品です。
さいごに
海外ではレストランなどでの食べ残しを持ち帰る容器を「ドギーバッグ」と呼びます。海外でどのくらいの割合で持ち帰りが発生しているのか分かりませんが、バッグ呼称があるくらいなので日本よりは普及していると予想しています。日本ではお持ち帰り用の透明の容器をご用意いただけるレストランもありますが、あまり一般的とは感じません。
店側として、持ち帰りの最大の問題は衛生面。たしかに、持ち帰り食材でお腹を壊すのは、両者にとって痛い話になります。
一昔前であれば食べ残しに拒否感を抱く人もいたような気もしますが、いまの若者はコスパ思想が標準装備されています。他にも「もったいない」発想が増加していると僕は感じており、持ち帰りも増えていくのではと予想します。