困っている見ず知らずの人に、声をかけられるか。
時代の変化で、その敷居はどんどん高くなっている気がしています。
トラブルに巻き込まれるのを避ける「リスク(回避)」の発想。
声をかけづらくとも、助けが必要な人に声をかけるのは勇気がいる時代です。
電動アシスト付き自転車にとって公園入口は鬼門
電動アシスト付き自転車の利便性は以前、書いた通り子育ての強い味方です。
ただ、この自転車にとって、鬼門ともいえる場所があります。
それが大きな公園などの入り口にある自転車用入り口。
U字型の鉄製の柵です。
大きな公園は最近、バイクなどが入れないよう、上の画像のような鉄のガードがあります。
歩行者はや一般的な自転車は、するっと通り抜けられる幅ですが問題は、電動アシスト付き自転車です。
電動アシスト付き自転車は、乗ったことがある人ならわかりますが、小回りがききません。
さらに、自転車後ろに子ども座席を取り付けている場合は、横幅も広がります。
この状態でU字型の柵に入ると、簡単には通り抜けられないという状況になります。
電動ママチャリ愛用の方なら、大半の方はこの難易度をご経験済み。
慎重に入り口を入っている姿をよく見かけます。
一応ですが、僕もこの電動ママチャリ+後部座席経験者で、入り口のルート見極めは一つのゲームくらいの感覚でした。
少しでもぶつからなかったら、今日はうまく入れた、という難易度です。
ある時、僕が公園にいたとき、知らないママさんがこのU字型の柵で自転車を横転させていました。
いまの時代は声をかけるのに躊躇する
状況はU字型の柵の真ん中あたりで、後ろの子どもが乗った状態で横転。
ママさんは乗ったまま柵を通り抜けようと、ゆっくり慎重に動かしていたようですが、ルートミスだったのか失敗。
自転車が横転した拍子で、子どもはびっくりしてワンワン泣いていました。
僕はその現場のすぐ近くにいて、とっさに以下のことを思いました。
「助ける必要があるレベルなのか、助けてトラブルにならないか」
この「トラブルにならないか」というのが、いまの時代を映している気がしています。
困っている人が目の前にいて助けるのは、一昔前はいまほどハードルが高くなかったように思います。
いまは助けたはずなのに、不審者や変質者扱い、ということを考える時代。
僕はこの「助けるか見極め分岐」について、自信を持った回答を持っていません。
リスクが身近になっていることは事実で、モンスタークレーマー的な人がいることは、経験則でわかっています。
では「見て見ぬ振り」が良いかというと、負の連鎖的にどんどん他人に無関心の社会に突き進みそう。
この先の子ども達の未来として考えると、そうなってほしくないという想いはあります。
しかし見ず知らずのオッサンが、不用意に女性や子どもに声をかけるのは、躊躇する時代です。
満員電車の冤罪問題も近いと思っており、女性に近寄らないといのが1つの立派な回避策です。
白黒どちらかではないですが、困った人がいたら「基本見て見ぬふり」か「助けることをなるべく推奨する」のどちらかだったら。
僕は「助けることをなるべく推奨する」社会が良いと思っていますし、条例などに明文化するのも、心理的ハードルが下がるというか、そうしないと本当は助けようと思ったが、躊躇して助けるタイミングを逃す人も救えるかもとも思います。
押しつけは避けるべきという前提は当然ありますが。
一応、警視庁の統計データで、110番通報のうち、生活安全関係の数字が以下です。
出典:警視庁の統計(警察庁)
推移では、通報件数は年々増加しています。
ここ10年で、約3割の110番取扱件数が増加しています。
詳細が不明なのでわからないですが、善意で人助けをした人が誤って通報されていないことを思うばかりです。
躊躇したがヘルプした
上記のママさんが入り口で自転車横転させたのを見て、僕は瞬間は迷いましたが、手助けをしました。
電動ママチャリの難易度を知っていることも大きかったです。
具体的には泣いている女の子はママさんが抱き上げていたので、自転車を起こしてU字柵の外に移動させませした。
それと同時に女の子にケガがないか、軽く全体を見ました。
ケガしていたら、救急車を呼ぶ必要があると思い、ザっと女の子を見ての判断です。
ココもやはり現代の悩みで「オッサンが、小さな女の子を見るのは躊躇」があります。
そういう時代です。
結果、女の子もびっくりしていて泣いているだけで、ケガ等はないと判断。
そして、自転車の持ち主のママさんは「アリガトウございます」と僕に言いました。
僕は女の子に「大丈夫だよー。ちょっと怖かったねー」と言って、立ち去りました。
補足ですが、最近のチャイルドシートは子どもを守るシェル(殻)としてよくできています。
今回は、全体的に丸く収まった、世の中の大半の事象と同じだったと思っています。
女の子も無事、ママさんもけがもなく、自転車がかすり傷程度。
僕もトラブルに巻き込まれることもありませんでした。
さいごに
僕は昔、ある外国でイスラム教徒の普通の市民の方々に助けられたことがあります。
強く記憶に残っているのは理由があり、彼らは外国人の僕が困っている雰囲気を「嗅ぎ取り」、みんなが声をかけてくれました。
「嗅ぎ取り」という言葉が近く、僕はアラビア語は話せず、彼らの大半も英語はできないので、言語意思疎通は無理という状況。
それでも彼らは熱心に、身振り手振りでコミュニケーションしようとしてくれました。
彼らにとって、言葉が通じるとか通じないとかは、無関係。
彼らは自分に解決できそうになければ、そばを歩いている人を捕まえ「この外国人、こんなことで困っている(っぽい)、なんかお前できないか」みたいなお話です。
彼らの中でも高学歴の人は一握りいて、その人は英語が話せ、結果その時はその人と英語で意思疎通して、その人が住民の方々とアラビア語でやりとり。
結果、本当に助かったという経験があります。
個人的には昔の長屋のような、付近の住民がみんな何でも知っていて、みんなで助け合うような状況は苦手です。
それでも、困った人がいたら、心理的ハードルはなるべく低く、自然にサポートしあう社会が良いと思っています。