コロナ過で保育士さんへの感謝が増える。
僕もその気持ちに賛成で、現状の保育はコロナ過で厳しくなっていると思っています。
ただ、非常時とは言え、個人の頑張りに依存しているようでもあり、燃え尽き症候群の心配はあります。
そんな保育士さんに、僕が不審者扱いされても、想定内です。
不審者な自分
在宅仕事の合間に、息抜きもかねて、僕は自宅近くの郵便ポストまで、郵便物を出しに家を出ました。
自宅を出て、角を曲がったところで、4人の園児と引率の先生が前を歩いていました。
時間帯は平日午後の浅い時間。
今日の幼稚園が終わって、幼稚園から帰宅途中に集団に出くわしました。
子ども達が着ている園服をみて、わが家のとなりの子どもが通っている園だと分かりました。
引率の大人はエプロンを身に着けて、子ども達と手をつないでいるので、その園の先生。
その集団と僕の距離は約15メートルありました。
歩いている方向は一緒です。
幼稚園の先生は子どもと話しながらも、周りに目を配っていました。
当然、後ろから僕が歩いていることに気づきます。
僕の自意識過剰かもしれませんが、そこからはかなりの頻度で先生は僕をチラ見している。
僕を見ているのではなく、「不審者警戒」モードになったと、気づきました。
その時の僕の服装は、全身ほぼ黒に近く、帽子とマスクをしていました。
コロナ過なのでマスクはおかしくないとしても、黒づくめの顔が見えない中年男性が近づいてきたら、警戒レベルが高まるのは普通。
移動速度は、僕の方が早いので、距離は縮まります。
すれ違いざまに、先生は子どもの手を誘導して、僕から子どもたちを遠ざけました。
と思っているのですが、普通に僕の通行の邪魔になるのを、よけただけかもしれません。
僕は意図的に足早に歩き、子どもたちを追い抜いて距離を取りました。
全体犯罪件数は減少だが未就学児年齢は増加
一般論として、日本の犯罪認知件数は減少しています。
前提情報ですが、以下の情報は「人口当たり」の情報ではなく、「犯罪件数(実数)」なので、人口(子ども)が減っていることは加味されていません。
出典:犯罪情勢(警察庁)
ここ25年で、犯罪件数(刑法犯認知件数)は約1/3(32.6%)になっています。
ずっと下がり続けているの思っていたのですが、グラフは山形。
2002年が件数最多で285万件、2019年は最小で58万件。
何にせよ、2002年以降はかなりの角度の下降線です。
出典:犯罪情勢(警察庁)
上記が19歳以下の子どもが犯罪に巻き込まれたかの数字ですが、こちらも全体と同様、右肩下がり。
ここ10年で36.4%まで下がっています。
出典:犯罪情勢(警察庁)
このグラフは未就学児の犯罪に巻き込まれた数です。
これまでの2つのグラフと違い、こちらは大きく上昇。
これまでのグラフの数字に比べ、単位が小さいので、少しの変化で影響を受けやすいですが、この期間の変化率は176.4%。
少子化一直線の年代に、犯罪巻き込まれ件数が1.7倍。
以下が、未就学児の犯罪被害ジャンルのTop4です。
出典:犯罪情勢(警察庁)
[傷害]と[暴行]が伸びていて、これが未就学児の数字を押し上げている、ほぼすべてでした。
こまかな情報がないのでわかりませんが、子どもが暴力にあう件数が増えています。
僕は不審者ではない(つもり)ですが、幼稚園の先生から見たら、未知の存在イコール子どもを近づけたくない存在。
上記の未就学児の悪化数字を、一般的に幼稚園の先生の頭にあるのかはポイントではなく、保育士さんからは日ごろから子どもを守る感覚を見ていて感じます。
コロナ過でも保育をやめることはできない
保育士さんの、子どもを「無事に家まで送り届けたい」意思は、言葉にする意味すらない内容です。
少し前に、園児の集団に車が突っ込んで、子どもが亡くなった事件がありました。
こうした事故が起きたとき、保育士さんが子どもをかばうと、ヒーロー扱いされますが、それを保育士さんは望んでいるのか、僕は違った視点でニュースを見ていました。
承認欲求は、だれしも持っています。
ただ、ヒーローになって、変な勘繰りや、受けるいわれのない誹謗にさらされる可能性があるのが現代。
いまの保育士さんは、世間一般のヒーローではなく、子ども達のヒーローになりたいのでは。
子ども達が楽しく過ごせる環境を作る、子どもの笑顔を目指してこの職になった人が多いと、僕は予想しています。
園自体が集団なので、いまは感染リスクが高い状況です。
園側も、細心の注意を払っていますが、綱渡り感覚はあるのではと思っています。
園の努力に対して、社会全体が応援するスタンスになっているか。
保育が社会の重要な基盤と、分かっているか。
保育士という職業は社会基盤の1つ
いま、SNS場を眺めていると、保育士さんに「いつもより感謝」という発言がたくさんみつかります。
僕もコロナ過以前から、ずっと保育士さんには感謝の気持ちでいっぱいです。
保育士は平均給与がそれほど高くないのに、個人にかかる負担は大きい。
平常時でもなんとかやりくりしていたものが、コロナで考えることやプレッシャーが増加。
自分が保育士だったのなら、社会全体が就業環境を良くする方向にならないかと希望を持ちそうです。
それ以外にも、個人レベルでは「お金(特別手当など)」で報いてくれないか。
コロナでもそうですし、それ以前も見過ごされがちですが、保育士さんがいるから、自分の仕事ができている人がどれだけいることか。
保育という仕事が社会基盤という一般認識が足りず、その働きと比べ評価が低くはないか。
近い話として、コロナ過の病院関係者も燃え尽き症候群など、非常事態ニュースを見聞きします。
「外出を控えてください、そして患者をサポートできる人員体制の費用をねん出してください」が彼らの本心と考えています。
感謝の気持ちを表現するのは、当事者へのモチベーションにつながる可能性もあり、良いと思います。
さらに、そこに効果的な行動があったらもっと良い。
小さなことでも、言葉だけでなく行動を積み重ねること以外、未来は良くなりません。
さいごに
冒頭の子どもの手を引いて歩いていた保育士さんと子ども達の一団は、歌を歌って歩いていました。
「じゃあ次はクックルン!」
「いいよー」
子ども達は楽しそうです。
対し、保育士さんの後ろ姿に疲れを見てしまったのは、僕の思い込みかもしれません。
僕は自分が子どもを持つまで、保育士さんが特殊技能職ということに気づけませんでした。
たくさんの子どもを相手に楽しませ、学ばせ、安全配慮にも気を配る。
自分の無知を振り返りつつ、いま、子どもを持ったことがない人や、子育てに向き合ったことがない人に、保育士さんの偉大さを説明しても、暖簾に腕押しなのは理解できます。