どんなあだ名で呼べば良いですか

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育児・子供観察

小学校の校則であだ名禁止にする話題が、2022年に盛り上がりました。禁止の理由は「いじめ防止」。因果が薄い乱暴なロジックで、2022年の親向けアンケートでは75%が「あだ名禁止に違和感がある」となっています。本来は他人を尊重する姿勢が大事なのであり、リスク回避思考が漂う現代風の話題です。

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あだ名禁止

あだ名禁止に対して、2022年7月のアンケート結果が以下です。回答者は子どもを持つ親で、その数は6,267名。

「あだ名禁止」に関するアンケート調査
出典:「あだ名禁止」に関するアンケート調査(SELF株式会社)
https://self.systems/ai-news-about-nicknames/

75%が「禁止すべきではない」に投票しています。このアンケートの選択肢は「禁止すべき」か「禁止すべきではない」の2択。中間回答を用意するとそこに投票が流れるので、2択は潔く適切です。

「あだ名禁止」に関するアンケート調査・年代別「あだ名禁止」に関するアンケート調査・年代別
出典:「あだ名禁止」に関するアンケート調査(SELF株式会社)

年代別に見ても差は5%以内に収まっており、総意は変わらず「禁止すべきではない」です。細かく見ると「禁止すべき」の1位は40代の28%、2位が60代以上の26%。40代は小中高生の子どもが実際にいて、子どもが現在学校に行きたがらないなど、ネガティブな現況からの判断と推測できます。

あだ名禁止の理由は、いじめ防止の観点からとのこと。身体的特徴やハンディキャップについてのあだ名をつけられ、大人になってからでも嫌な思い出として忘れられないのを懸念し、その防止を狙う。集団圧力が強い日本人特性や、嫌と言えない性格の子が割を食うようなケースは、実体験として分かりますが、論点はずれています。

対し、あだ名擁護派は、あだ名が仲良くなるための1つのツールとして活きて使われていたり、画一的ルールを押し付ける、経験を奪う事を問題と考えています。他にも、あだ名を禁止にしても効果はなく、悪意ある人は変わらず悪意あるあだ名をつける意見があります。

あだ名の代替案の「さん付け」

あだ名禁止とは別の視点として、友達呼称として「さん付け」の話も、同時に話題になりました。「さん付け」のメリットは、統一的でフラット、だれにでも使える点です。大人同士でも、子どもと先生でも使える。デメリットと言えるのかは微妙ですが、フラットがゆえ、距離感が遠く感じる。初対面の呼び方で「さん付け」が基本とするなら、それ自体、距離が遠い関係性を表しているので、筋は通っています。何にせよ、良くも悪くも「さん付け」は対人呼称として使い勝手が良いと言えます。

「さん付け」で呼び合う関係性は、お互い相手を深く認識しないので、いじめは想像しにくい。いじめる側は、ターゲットを貶めるためにあだ名を使う事はありますが、これは因果ではなく結果論で、あだ名を禁止してもいじめ防止にはなりません。そもそもいじめは犯罪行為であり、いじめを見て見ぬ振り大人は論外として、厳格に加害者を罰する必要があります。加害者は自分が加害者認識がない、あるいは集団心理だったり、自分が被害者になるのを避けるのもある。他者の尊厳を傷つけたのであればそれは人権侵害で、子どもであれば何がいけないのか立ち止まって考えさせるのが大人の役割です。

あだ名を禁止せず、自然の成り行きに任せて、本人が望まないあだ名をつけられ嫌な思いをする。それとは逆に、あだ名で距離感が縮まり、一生記憶に残る友人ができる。どちらに転ぶか両面性(もちろん両面以外も)がありますが、あだ名禁止は臭いものにふたをしているきらいがあります。

あだ名で嫌な思いをしないためのジャストアイデアですが、自分であだ名をつけるのはどうか。年度始まりに自分のあだ名を表明して、途中改変可能のルールにする。英語で自己紹介するときの良く聞くフレーズの「Please call me Terry」と同じ発想です。

ソーシャルスキルの1つリンゴ・フルエンシー

「あだ名禁止」と「さん付け」について、発達小児科学からの以下の意見があります。

発達小児科学の有名な教科書(Developmental-Behavioral Pediatrics, Levine編2)には、人が他人と社会的にうまくやってゆくための大切な手立てであるソーシャルスキルについての詳しい説明があります。集団での行動や友達付き合いが苦手な子どものために、ソーシャルスキル訓練をわざわざ行っている学校もあるといいます。
Levineはソーシャルスキルを言語的ソーシャルスキルと非言語的ソーシャルスキルに分類し、それぞれに対応する具体的なスキルを挙げています。
言語的ソーシャルスキルの中にlingo fluency(リンゴ・フルエンシー)というスキルが挙げられています。lingo(リンゴ)とは「仲間内言葉」という意味です。子どもたちは仲の良い集団ができるとその集団の中でしか通用しない言葉を生み出します。これは国や言語によらず、世界中で年齢にかかわらずみられる人としての習癖と言って良いでしょう。そしてlingo fluencyの中で重要な位置を占めるのが、仲間内でのあだ名です。あだ名は仲間集団の外の人にもつけられます。
(中略)
こうしたソーシャルスキルの重要な要素を「さん」付けで呼ぶように強制することで、一体何を子どもたちに期待しているのでしょうか?

出典:何か変だよ、日本の教育(5) ニックネーム禁止!?(チャイルド・リサーチ・ネット)

子ども時代に、集団で学ぶソーシャルスキル。ソーシャルスキルが低い人が社会で苦労するのは言うまでもなく、大人でも手探りが普通です。致命傷にならない小さなケガを子どものうちに繰り返しておくのは、どの親も望んでいるはず。

大人になると、あだ名で呼び合う人は激減します。それに反し、興味深い発信が多い面白法人カヤックでは、会社方針であだ名をつけているようです。

そのように考えると、漫画っぽい会社を作りたいのであれば、その中の登場人物である社員一人ひとり個性を表す名前になっていた方が、おもしろい。
なるほど。だから、無意識のうちにカヤックでは、新入社員が入社するとまずはみんなであだ名をつけることかが1つの文化として根付いていたのか・・・
・名字が鶴岡だから、あだ名は「まんぐう」(由来は鎌倉の鶴岡八幡宮です)。
・名字が武田なので、鉄也。
・名字が浅利なので、ボンゴレ。
・デトロイト出身の帰国子女なので、エミネム。

出典:仕事におけるあだ名文化の効能。(株式会社カヤック)

 

自分から1歩踏み込む

僕は学生時代に、語学留学で海外に滞在したとき、同年代の多国籍の人たちと過ごしました。日本人もわずかに含まれていましたが、大半は外国人で、10か国前後の若い人たちの集団。そこでは、初日に自己紹介した後、だれともなく英語ルールに則ったあだ名が決まり、以降、変わらずそのニックネームでお互いを呼び合っていました。

その時に僕が感じたのは、フラットな関係性と、一気に距離感を詰めたイメージ。年齢差が数歳あったのですがそこを意識することなく、もう知り合いだから普通に話すよ、の感覚。日本人同士で、初日からフランクに下の名前で呼ぶ経験がなく、カルチャーギャップだった記憶があります。

これをそのまま日本のあだ名にあてはめられるとは思っていません。日本では大半が同族集団で、人との距離感においても「だいたいこのくらい」のコモンセンスが存在します。相手の悪い点を指摘するのはよほどの関係性が必要で、言うにしても相当言葉を選ぶ。対し、日本人以外の人たちが集う集団では、共通の空気感は難しいので、嫌なことはイヤとクリアに意見を言わざるを得ない。その緩衝材として、ニックネーム(あだ名)は効果があります。

僕はあだ名擁護派です。自分の子ども時代のあだ名の数々を思い出してみると、満足がいっているものが少なく、わずかに明らかに悪意を含んだあだ名もありましたが、それでもあだ名の効用の方が上だと考えています。一応ですが、自分がひどいいじめを受けた感覚はないので、あだ名で苦しんだ人からは対岸の火事と言われる立場です。僕は、自分が悪意あるあだ名をつけられたときは、その集団から距離を置きました。そこからは、若年層ゆえの他者配慮のなさや、集団悪意増幅を学びました。
それとは別に、本当に仲良くなるために、恐る恐る下の名前を呼んで、ずっと一緒にいる間柄になった人もいる。

あだ名で得た好悪両方の経験は、いまの自分に繋がっています。嫌な経験を昇華というか、時にはそこから逃げるのも含め生き残るのは、生涯付きまうシチュエーションです。そこでは、レジリエンス(回復力、復元力、適応力)が、仕事でも人生でも思い通りにいかなかった時の大きな自力として生きてきます。

「あだ名禁止」は、対人関係が薄くなっている現代の潮流の1つとも感じます。人との距離を詰める経験が減り、表面的なやりとりでそつなくこなす。求められる平均値の上昇についていくために余力がなくなり、人と向き合うエネルギーがほぼない状況なのであれば、それはどこか危うい。

僕は子どもを持ってみて、子どもに真剣に向き合うと、いろいろ伝わることを学びました。これは子どもに限った話ではなく、大人同士では向き合う人が限定されるため、厳選した相手ができた場合は違う世界が見えます。とはいえ、たくさんの人と深くつながりができるほど、現代人に時間の余裕はなく。

人との距離を縮める可能性は常にあると考え、自分側がいつもスイングできる心の準備と、その時には自分から一歩踏み込む。そのときに、あだ名や下の名前呼称が、より距離感を近づけるツールになります。そういう人が数年に1人増えるようだと、人生のメリハリとしてちょうど良いかと思っています。

さいごに

大人になると、仕事では相手の年齢に関わらず「さん」で相手を呼びます。ここには、あくまで仕事上の付き合いとして、一定(以上)の距離感を保つ姿勢が存在します。

大人になると、仕事では相手の年齢に関わらず「さん」で相手を呼びます。ここには、あくまで仕事上の付き合いとして、一定(以上)の距離感を保つ姿勢が存在します。

2022年サッカーワールドカップで解説者として有名になった、元日本代表の本田圭佑さん。出場している日本代表メンバーは、ほぼ本田さんより年下ですが、名前や愛称で呼ぶ選手と〇〇さんと呼び分けていました。本田さんにとっての呼称規則は、過去のワールドカップで一緒にプレーしたかどうか、プレーしていない人はさん付けでした。「ビジネス現場なら、当たり前でしょ」と言っていた言葉が、そのおもしろプレー解説とともに僕の記憶に残っています。

下の名前や愛称でなくとも、深い関係は築けます。たとえば生涯、忘れられない恩師であれば、最後までさん付けで呼び合っていたとして、その呼称に意味はありません。

その上で、過酷な状況を一緒の乗り越えた仲間を、下の名前や愛称で呼び合うのは、特別な関係を表す1つの結果です。