だれもが知っているイソップ童話の『うさぎとかめ』。
続編があることはご存知でしょうか。
また、違った解釈も最近話題になりました。
これらは子どもに読み聞かせるときに、知っておくと面白い内容でもあります。
イソップ童話ウサギとカメ
▼あらすじ
カメはウサギで山のふもとまでかけっこ勝負。
スタートダッシュしたウサギが、リードを確信して居眠り。
マイペースなカメがウサギを抜かして、ゴールして勝つ。
▼教訓
過信して油断をすると足元をすくわれる。
能力が低くとも、着実に積み上げることで、最終的に大きな成果を得ることができる。
続編『まけうさぎ』
▼あらすじ
カメに負けた負けウサギは、ウサギ仲間から仲間はずれにされてしまう。
しかしオオカミがウサギ達を狙っている事を知った負けウサギ。
仲間の子ウサギを救うために、ウサギを狙うオオカミを断崖に誘き寄せ、蹴り落として殺す。
こうして、名誉挽回した負けウサギは英雄として仲間に受け入られる。
▼教訓
方法が適切かは微妙ですが、物事は挽回することができる。
カメの続編
▼あらすじ
ウサギに勝ったカメはあらゆることに挑戦する強気の性格に変わる。
空を飛ぶこともできると思いこみ、ワシに自分を空高く運んで、落としてほしいと依頼する。
ワシはカメの依頼通りカメを空から落としたが、地面に激突し死んでしまう。
▼教訓
過信して能力を見誤ると、ろくなことにならない。
勝って兜の緒を締めよ。
作者不詳の違う続編物語
▼あらすじ
レースに負けてくやしいウサギが、再度カメにレースを申し込みカメも承諾。
負けられないウサギは、油断せずちゃんと走ってゴールして勝つ。
負けたカメがレース後、笑っている。
その理由が「最初のレースよりも自分のタイムが上がった」から。
なぜかそれも悔しいウサギは、再度カメにレースを持ちかける。
カメはコースに海を入れることを条件に応諾。
結果、レースはカメが勝利。
▼教訓
闘う相手は他人ではなく自分。
闘うなら、自分が勝てる土俵(環境)に持ち込む。
正規ウサギとカメの別解釈
最近「ウサギのゴール設定が間違っていた」という解釈が話題になりました。
・ウサギはゴールを「カメ」に設定して、油断して負けた
・カメはゴールを、当初決めたゴール地点に定めて、着実に進んで勝った
コレを僕が読んて思ったのが「子育てで気をつけることに通ずる」ということ。
「平均的には○歳でXXができる」らしいが、自分の子どもはまだできない不安。
または「友達の○○くんはもうできる」という、他人比較による子ども否定。
育ちが早い子もいれば、ゆっくりな子もいるのが当たり前。
得意不得意、できることもあれば、苦手なこともある。
たとえが悪いかもしれませんが、ペットで考えてみてください。
飼っている犬や猫などに、過剰な期待や存在否定をするでしょうか。
多少、不細工だったり出来が悪くても、それも含めてかわいくてしょうがない方が多いのではないでしょうか。
それが人間の子どもになると、目の色が変わってしまう。
まずは親が自分の子どもをそのまま受け入れることが、すべての土台と僕は考えています。
現実的なゴール
イソップ童話のウサギとカメの教訓は、たいていの方はご存知だと思います。
長い人生を考えた場合、そのウサギとカメの物語は、短期的なお話とも捉えられます。
上の図の通り、そもそも現実には、便宜的に作ったゴールは設定できますが、最終的なゴールはありません。
止まって寝てしまう、歩くのを止める。
これらは必然的に取り残されます。
一定速度以上で、歩き続けること。
たまには息抜きしたり、速度調整したりすることもあるでしょう。
うまく何かを利用して、ショートカットも大切です。
できれば、速度が上がるような取り組み方は、うまいやり方でしょう。
さいごに
「ゴール設定」。
コレは思うほど簡単なことではない、と僕は考えています。
どこかの学校に合格するとか、資格試験に受かるなどは分かりやすいです。
しかし、これはあくまで手段であって、目的(=ゴール)ではありません。
本質的なゴールを設定できているか、という点も時には重要です。
「何のために生きているのですか?」という、哲学の始めの問いもそうかもしれません。
無限の選択肢がある子どもが、どんな大小さまざまなゴールを描き、歩んでいくのか。
見守る側の親として、とても楽しみにしています。
最後にもう1つ。
現代、活躍されている方々は皆、ウサギとカメの両方の特質を持っているということ。
言い換えるなら「歩みを止めないウサギか速度を上げたカメ」。
そして「楽しんでいる方が多い」と個人的には感じています。
ではでは。
現実的なゴール設定は難しい
だからといって放置は悪手