子育て期のスイマセンの意味

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育児・子供観察

子育てすると「スイマセン」を良く使う。
自分の子どもといて、そうしたシチュエーションに、子育て期は頻繁に遭遇します。
謝罪の意味ではないことも多く、その場を円滑に回すためにの方便として使っている。
それが生きる美しさと感じるようになったのは、自分が子育て当事者だからかもしれません。

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老害注意

ここのところ、古い政治家の発言が世間で話題になっています。
個人的には「ルールが変わっているのに適応できていない人達」と、直撃弾ではないので気分を害することなく、遠巻きに見ています。

長年、自分が積み上げてきた(と思い込んでいる)実績に固執し、「変われない」ではなく「変わる気がない」。
「老害」の見本市の様相を呈しているので、そういう面で社会に貢献しています。
自分もすでに、若者から見れば老害側なので、他山の石として感度はあげておかないといつ当事者になるのかわからない。

若い人たちの障害にはならない。
なかなか言行一致しない、典型的な言葉のような気もします。

老人側は自分が正しいと思い、若者側は不要家族として見ている。
忌憚のない発言ができる若い人たちの集まりで、自分がどう評価されているのか、60点くらいが取れていれば現実的には良い方なのかもしれません。

ふと思うのは、そうした集まりが、いま、どれくらいあるのか。
人の悪口を発言できる環境がなのか。
若い人たちは、他人の悪口を言わなくなったと僕は考えており、総合しても自分が彼ら・彼女らにどう思われているかは、自分のアンテナを最大限立てて、自分が自分を採点した数字を半分くらいにするあたりが、適当なような気もします。

自分の間違いに気づき、認め、謝罪する。
胆力が要ります。

子どもをあえて放置する

子どもと一緒にいると、見知らぬ人たちと、接触することが頻繁に発生します。
公園の遊具の1つ、トンネルのようなところで、お互いがすれ違いができないような状況もその一例です。

しばらく様子見したり、親が声がけして誘導したり、行動パターンはたくさん存在します。
大人の世界なら、2~3の平均的に選ばれる一般的な回答があっても、子どもは千差万別。

引っ込み思案の子どもで、いつも引いてしまうような性質だった時、大人社会ならpushしない場面でも、あえて子どもの背中を押す。
二人の子どもが、お見合い状態になった時、すぐに言葉をかけないのは、いま、そうした社会性を子どもが身に着けるにはちょうど良い時期という親の思惑があったり。

全体的には、親が側にいてもできるだけ介入しない。
子どもばかりの集団が形成しにくい社会状況でもあり、子どもの年齢が小学校入学前なら、ほぼ親がそばいるのも時代です。

親は子どもといると「スイマセン」発言が、多く出るようになります。

円滑としてのスイマセン

大人になると、職種にもよりますが、謝罪する機会が減ります。
営業職に謝罪はつきものですが、カスタマーサービスですら、いまのマニュアルでは簡単に謝罪はしない。
内勤であれば、謝罪するときは本当にやらかした時くらいです。

大人間の謝罪言葉は「すいません」ではなく「申し訳ありません」。
原因は自分、もしくは自分の管轄内にあります。

子どもと一緒の時の「スイマセン」には、コミュニケーションを円滑化要素が大半。
子どもの帽子を落として、知らない周囲の大人が気づいて「コレ落ちましたよ」と渡してくれる。
思わず出る言葉が「スイマセン、アリガトウございます」。
謝罪100%ではなく、接続詞のような「こんにちは」の方が近い。

ただ、この時の親側の心理として「だれかに迷惑をかけている可能性」を、ほとんどの親がベースに抱えています。
その結果、条件反射的に「スイマセン」が口から出る、というの多分、皆さんうなずく内容。

自分が100%うまく子育てできている自信がない事も、含まれています。

モラル水準は上がっている

公園でたまに遊具を占拠して、わが子のスマホ撮影で、子どもの待ち渋滞を作っているご家族もいますが、ある程度の節度があるなら、僕も子どもを持つ親として気持ちもわかります。
自分の子どものいまこの一瞬と考えると、一定まではお互い様です。

それでも大半の大人は、一定のモラルを身に着けています。
そのモラルは、自分の子どもの頃と比べるのは不正確ですが、多分、時代とともに徐々に水準が上がっている。

裏を返すと、上昇し続けるモラル水準に合わせるため、自分や自分の子どもも、それにあわさざるを得ない。
他人に迷惑をかけていないかの配慮も、普通の求められている気がします。

そうするとアブノーマルがより目に付くようになる。
それは親側にとって、自分の子どもが周りに比べて変ではないか、より心配になる。
僕は男なので分かりませんが、大半のママさんは、このプレッシャーを感じているのではないか。

僕の身の回りだけの話では、男女差で見ると、父親は子どもが変かどうかに興味は薄く、母親は敏感。
それが、母親の本能のようなものかわかりませんが、子どもへの責任感の表れだと受け取れます。
過度に考えていそうなママさんを見ると、現実に声にだせませんが、そこまでナーバスにならなくても、とも思っています。

それくらい、ママさんたちは、子どもが知らない周りの子どもに迷惑的な行動をみると「スイマセン」とアクションされる方が多い。

うまく生きるために

母親の「スイマセン」が、子どもに悪影響にならないか。
子どもにとって判断材料がない状態で、自分がやったことで母親が他人に謝り、自分が悪かったと卑下する。
それが続いて、自己肯定感が下がる。

そういうケースもあるかもしれませんが、可能性は低いとも思っています。
いまや、子どもの自己肯定感は、育児世代には当たり前なので、そこも意識して子どもと接する人が多い。
仮に母親の「スイマセン」が多かったとしても、それ以上の一緒にいる時間や、質を考えている人が多く、多分合計するとプラスになっているのではないか。

僕は独身時代「スイマセン」とすぐ口にする人を、なんでこの人は謝っているんだろう、と思っていました。
自分が子育てを経験して、もしかすると「スイマセン」の意味を取り違えていたのではないか、と考え得るようになりました。

僕は現代の子育て世代の「スイマセン」を、好意的に捉えています。
そこには、社会適合を目指し、それが適当と判断して行動している、1つのシンボル的な言葉になっている。

逆にうまく「スイマセン」が使えない人は、生きにくい世の中だと感じます。

さいごに

僕は東京在住で、子どもにかかわる周辺状況もこの地域に属します。
僕の奥様からの聞く日常のママさんたちの会話からは、意味不明のしきたり・しがらみはゼロに等しい状況です。

たとえば究極的な言葉の1つ「そんな子育て、ダメじゃない」を一度も聞いたことがありません。
この言葉に、あえてプラス面をみつけるなら、昔の風習であったり、そういう考え方もあるんだ、の学びにはできそうです。

ただ、こういう言葉をかける人は、マウンティング姿勢が基本。
行きつく先の人格否定も含め、ゼロになったほうが良いと思っています。

「自分の育て方がわるいかも」と不安になるのが親の基本。
その人に対して、尊重の言葉「大丈夫ですよ」が、大人の対応です。