子どもの意表を突く行為の必要性と親の気晴らし

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育児・子供観察

子どもに持ってほしい素養は?と聞かれると、親はいろいろ上げられると思います。
世界的に見ると、日本人は「公平さ」を、子どもに持ってもらいたい民族。
ただ「公平さ」は、杓子定規になりがちという面もあります。
僕は自分の子どもに、「公平さ」とともに「柔軟さ」も兼ね備えてほしいと思っています。

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日本人は世界的に「公正」を重んじる民族

世界の国別価値観を定期的に調査している「世界価値観調査(worldvaluessurvey)」。
各国の一定数の人々にアンケートを取って、その国の特徴としてデータ化しているものです。

その中の1つ「子どもの公正さ(利己的なふるまいをしない)」というものがあります。
「家庭で子どもに身につけさせることのできうる中で、あなたが特に大切だと思うものを5つあげてください。」
上の質問があり、その回答結果が以下です。


出典:重要な子どもの資質「公平さ」(世界価値観調査 worldvaluessurvey)

日本はこの22か国の中で上から3番目、45.1%の人が「子どもに身につけさせたい資質として公正さ」を挙げています。
全体の平均は33.5%。
僕は父親として、自分の子どもに「公正」さは持ってもらいたいと思っています。

意外だったのが1位のインド81.1%。
発展著しい国なので、もっと別の資質、たとえば「想像力」などが重要とされると予想していました。
実際は8割以上の人が、「公正」さを大事にされています。

最下位も以外で、ドイツの5.9%。
厳格な人が多いイメージでしたが、このアンケート結果では圧倒的に「公正」さを大切と思っていない結果です。
ヨーロッパの中で日本人の気質に近いと言われる国だと思っているのですが、この結果は違うようです。

これは親向けのアンケートは、親は子どもに「公正」を持ってもらいたいかという内容です。
日ごろ、わが家の子どもを見ていて、「公正」も意識していますが、やはり自分勝手な部分の方が大きい。

子どもは「公平」さより自分のルールを守りたい

自分の子どもとレゴブロックで遊ぶ時、主役は子どもで、大人はサポート役というのは普通です。
分け合う「公平」な感覚が、月齢年齢で変わっていきますが、たまにいまの状況を試してみる。

ブロックパーツの中で1番人気のタイヤを、僕が「タイヤ全部、僕が使う」と言ってみる。
「ダメ」というのが当たり前、たまに「OK」、その割合が大人になるにつれ、「OK」割合が増えると思っています。

「公平」さは、それに縛られるという「負」の面もあると思っています。
何でも「それがルールだから」という人は、人生を歩んでいくうえで、障害が多そうです。
「公平」さもあり「柔軟」さもある、どちらかと言えば時代は「柔軟」の方が重要になってきている気もします。

では「柔軟」の素養を伸ばすには、どうしたらよいか。
効果未定ですが、僕は日ごろから意表を突く行為を、意識的に子どもに対して行っています。

子どもの想像の枠を超える

たとえば、レゴブロックをやっていて、子どもが自分で何かを作り出したとき。
その作り出したものに、親である僕が1つでも新たなパーツを付けたりすると、気に入らない場合は「即時却下」されます。
たいていの場合は却下ですが、たまに「いいよ」といって了承されます。

どういった判断基準なのかは不明ですが、「自分ルール」があるようです。
そんな、わが家の子どもの自分ルールを想像してみると、美意識も大きく影響していそうですが、自分が想像している形(枠)も何割かはあると予想。
車であればタイヤがあるとか、飛行機であれば翼があるとか。
飛行機の翼も、一般的に前の翼の方が大きく後ろの翼は小さく先端がとがっている。
それのイメージ枠から外れると、イヤなのか。

僕は父親として、子どもが自分で持っているイメージ、固定観念を揺さぶりたいと、このような些細なイタズラをします。

リフレーミングを意識したイタズラ

リフレーミングとは、自分が見ているものや出来事の枠組み(フレーム)を変えることで、違う枠組みで事象をみること。
子どもの「わがまま」が腹立たしいが、別の視点から見てみてると、短所ではなく長所なのでは、と考えるときに有効な家族療法の用語です。

有名な話としては「コップに水が半分しか入っていないか、まだ半分残っている」というあのお話でもあります。
NLP関連の本でもよく見かける単語でした。

子ども自身がやることに対し、「肯定」を前提として、思いもよらないことを意識させる。
たとえば、砂場で遊ぶホイールローダー(ブルドーザー)は、バケット(砂をすくうところ)の部分で砂をすくって遊ぶことが基本。
楽しそうに遊んでいる子どもが、別のおもちゃなどに気を取られている隙に、僕はそのホイールローダーをわずかだけ見えるようにして、車体全体を砂に埋めてしまう。

それを見た子どもが一瞬考えて「そんな遊び方しない」と言う。
この、一瞬考えるところ「ん?コレは何?」というところが良いと思っています。

その後、ホイールローダーを掘り出したときにできた溝をみて、それが道になると思い延長開始。
さらにその溝に、水を流し込み、川の中のホイールローダーごっこが始まる。
あーーードロドロ、とも思いますが。

さいごに

僕の狙いは「子どもが持っている枠組みを外すこと(外される経験)の慣れ」です。
この先の長い人生の中で、自分の思い込みが自分を苦しめることもきっとあり、視点を変える習慣で救われるかもしれない。
前提の正しさを見直すことも重要「そもそもそれって?」と考えた方が良いことは、世の中にあふれています。

子どもでも大人でも「心理的安全性」は、何かに挑戦するときには重要なのは、Google研究結果の通りで、僕も実際の実社会で生きていて感じます。
心理的安全性とは、何かに挑戦する・新たなものを生み出すときには、一定の安全性が担保されていないと生まれにくい。
Google社はチームのパフォーマンスを向上させるために全世界で調査した結果、心理的安全性がもっとも重要と導き出したものです。

昭和時代に義務教育を受けた僕は、当時の教育は現代では通用しにくい事もあると考えています。
心理的安全の上に、言われたことを正確にやるのではなく、何かを組み合わせて新しいものを作り出すことが、現代人に求められる素養。

この先、子どもが生きていくうえで、杓子定規ではなく、自由(融通無碍)な発想が習慣化されている状態であってほしい。
と偉そうな話っぽくもできますが、実際は子どもと一緒に遊んでいて、退屈になりがちな親側の気晴らしの1つです。