いまだに手紙

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育児・子供観察

子育てママの連絡手段はLINE、これは現代の標準です。
20歳代~40歳代の子育て世代の大半は、実際にLINEユーザーです。
対し、子ども達の間では、自分用のスマホがないので手紙。
手紙のやり取りを見ると、コレも良い経験だと感じます。

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大人の連絡手段はLINE

わが家の子どもが通っている園で、お芋掘りのイベントがあった時。
前日の夜、僕の奥様のスマホに、同じ園のママ友からLINE連絡が入りました。
お芋掘りは午前中に現地集合・現地解散なので、その後一緒に遊びませんかのお誘いでした。

連絡をくれた家の子どもと、わが家の子どもが、園でいつも遊んでいるので、ママ同士も気持ちが楽。
僕の奥様の「ぜひ」とYes回答をして、実際に一緒に遊んで、昼ご飯もご一緒しました。

僕が子どもだったころは、気軽に親同士が連絡する手段がなかったことに、このとき気づきました。
固定電話は普及していましたが、何かのイベントの前日に、親同士が固定電話で約束を取り付けた経験はゼロ。

スマホの普及により、個人同士の連絡手段ができ、まず環境が整いました。
また、心理面でもLINEでサクッと連絡するのが、いまの日本人なら蛇口をひねれば水が出るがごとく、インフラ化している。

子育て環境の今昔の1つとして、ぼんやりそんなことを考えました。

LINEは日本人の2/3が利用している

LINEが発表している公式情報『2020年7-12月期 媒体資料』では、利用者数を見てみると、2020年6月時点、国内で月1回以上利用している人は8,400万人以上。
日本人口の66%が月に1回は利用していて、毎日利用している人はそのうち85%と記載があります。

LINE社調べの数値なので、信ぴょう性はわずかに劣るかもしれませんが、僕の身の回りの大人でLINEを使っていない人は、2人だけです。
それくらい、LINEはいまの連絡手段の最上位に位置していることを、実感しています。

LINEのユーザーは国内集中していて世界で苦戦という評価もありますが、日本人口の2/3が使っている実績からは、上げ足を取るレベルの批評です。
一応ですが、僕はLINE社との利害関係はゼロです。

電話通話がすたれ、メッセージが主な連絡手段になった現代。
それに見合った、文章力や空気を読んだ発言が、重要になったとも言えます。

言葉の不自由さを知ったうえで

ビジネスメールでは冒頭に「お世話になっております」と付けるのは、一般的です。
定型句で、意図して崩すなら代替案を考える思考コストがかかるので、僕はたいていはそのまま使っています。

ただ、これはまったく意味がないと思っているので、自分で入力はせず、文字登録してすぐに呼び出す設定にしています。
また、自分がもらったメールで、そういった定型句は読み飛ばします。

末尾でもダラダラと、「〇〇していただけますと幸いです」というような過剰文もいまだに見かけます。
よく言われる、メールが長文な人は仕事ができない、というアレはぼくはその通りだと思っています。

最短で、受け手にコストが少なく、受け取り間違いがない文章で伝える。
100%「伝える」ことを目指し、「伝わる」が目的です。
目的達成のためには、文章に縛られる必要はなく、必要であれば電話など別の連絡手段でも良い。

ママ友とのメールは、ビジネスメールではないので、定型句のようなものは少ないと思っています。
それでも、何を言っているのか良くわからないLINEメッセージを、奥様から「コレ、どういう意味だと思う」と問われることはあります。
たしかに読むと、パズルのような難解さ。

Aのことをいっているようだが、Bの話かもしれない。
それだと、続く文章がおかしくなるので、Aの可能性が高いがどっちだろう。
仮にAだとして、自分は何すれば良いの?
難解な部分の共通項を考えてみると「主語が分からない」と「何をいつまでにどうするか分からない」だと感じます。

ビジネスメールだと、上司に「何を言っているのか分かりません」と、突き返される機会がありますが、ママ友メッセージはそんな指摘は多分ご法度。
分からなければ、相手の意図を察して「こういうことでしょうか」あたりで探りを入れて、徐々にゴールに近づいていく。

雑談力の高さが、力を発揮するところです。

手紙があることに驚き

大人同士の連絡でLINEが、1対1、グループ、即時連絡手段として定着したのは事実です。
わが家の子どもが通っている園では、子ども同士も大人同士も手紙がまだ残っています。

幼年期の子どもにスマホを与える親は、僕の身の回りには1人もいません。
子どもは、友達との連絡手段として、親のスマホを使うか手紙。
2020年のいま、手紙のやりとりする子どもを見ていて、子どもには伝達方法がない環境を再認識しつつ、その経験もあっても良いと思っています。

子どもなので、字がうまく書けなかったりして、親のサポートを受けて書いたものや、シールをたくさんはっているもの。
字がへたで、少しだけ文法的におかしくても、意味がちゃんと伝わる文章などを読むと、ほっこりします。
「ありがと、またあそぼね」

大人同士も、業務連絡的なものはLINEで良いですが、着られなくなった服を同年代の兄弟の弟にあげるなどのやり取りがあった時など、手紙をしたためる。
あるいは、先生への連絡を手紙で書いて、子ども経由で先生に渡す。

僕は日ごろの仕事で、効率的かつ間違いのない連絡手段を選ぼうと心掛けています。
時間短縮が目的なので、ハンコやFAXなどは否定派です。

しかし、手書き文字はいまでも、たまに使います。
お世話になった方へのお礼状や、深くかかわった人へのカードを渡します。

礼を現すスタイル

僕が手書きの何かを送る時は、最初に文章をパソコンで作ります。
最初から手書きするには僕には難易度が高く、何より漢字が書けません。
こうしてブログを書いている通り、パソコンに向かって文字を打つのに慣れています。
結果、パソコン上で下書きを作成し、それを清書します。

清書すると体感しますが、自分の字が下手かを再認識しつつ、できる範囲で丁寧を心掛ける。
そうすると、とてつもなく時間がかかる。

非効率ですし、自分側の想いを暑苦しく押し付けているのかも、とも思います。
ただ、自分が手書きの何かをもらった時は、まずわざわざ手紙をしたためてくれたことに感謝の念を抱きます。

わが家の子どもが将来、手紙を書くのか。
20年後に、手紙がどの程度残っているのかわかりません。

いま現在、すでに手紙は全体通信手段の中で、本当に少なくなったと思います。
年賀状の推移がそれを物語っていて、いま年賀状を出している若者は、ほぼいません。

それでも、手書きは一部の物好きレベルとして、一定割合は残っていくと思っています。
子ども時代にやりとりした経験、大人になってどこかでだれかに心のこもった手紙をもらい、手書きの良さ感じ自分も出してみる。

手書き文字は、礼を現す1つの形式として、僕は有効だと思っています。

さいごに

僕の知り合いの中で、2人だけLINEを使っていない人がいると、上述しました。
理由は簡単、その2人とはご夫婦で、そこのご家庭はスマホを使いわないポリシーです。
40歳代でガラケーを使っている、マイノリティに属する人たちです。

彼らは子育てしていて、だれかと知り合った時など「じゃぁ連絡手段はLINEで」「いえガラケーなので無理です」というやり取りは、死ぬほどあると思います。
でも、それはそれで、選んだ生き方なので良い。

インフラ並みに普及しているからと言って、全員が迎合する必要はありません。
人と違う行動は、ウィークポイントにも、強みにもなります。

メール連絡できれば、たいていの用は足り、相手の都合を妨げません。
そして、メール普及は、連絡手法を一気に変えたものだと思っています。