言葉として「人生の折り返し地点」というのもがあります。
そもそも人生とは折り返すというイメージが正しいのか。
歩み続けるのであれば、折り返し地点は存在しません。
人生が元に戻れないと言う意味では、誤用となります。
ふとした時に思った人生の半分
あるときにふと「自分はあと何年生きるのだろう」という事を知りたくなりました。
平均寿命から逆算すると「あとコレくらいか」と分かります。
そこでさらに1つ、いままで自分になかった視点で気になったことが出ました。
「平均寿命の半分はいつ?」
このこと自体特別な意味はないのですが、単純な興味です。
それとともに考えたのが「折り返す」という言葉。
昔は「隠居」という状態が日本にはありました。
家督を子どもに譲り、定職を持たず、のんびり暮らす。
現代では「老後は安泰」という状況はなかなか厳しい、と自分の老後を予想しています。
人生を何かに例えるいくつかの例
マラソン
人生は長距離レースという考え方。
コレは折り返し地点というものがある考え方が多いようです。
たしかに人生が短距離走とはない、という点は納得です。
アップダウンがあり、基本苦しいという状況も外れていない気がします。
登山
登山も人生を例えるのに良く使われます。
若いときに苦労して登って、一定年齢から下るという発想。
昭和まではマッチしていたかもしれません。
いまは下るというのも、簡単ではない時代だと感じています。
四季
幼少期=春、青年期=夏、中年期=秋、老年期=冬、という考え方。
気になるのは中年期から老年期の部分。
中年期はいつからなのか、老年期の冬はマイナスイメージが強すぎないか。
24時間
3時間ごとに10歳経過、24時で80歳という考え方。
0時=0歳、生まれたばかり。
6時=20歳、朝日が昇りはじめる?
12時=40歳、これから午後の一仕事。
21時=70歳、そろそろお休みの時間。
日本人の平均寿命とその半分
出典:平均余命の推移(厚生労働省)
平均余命(寿命)は年々高くなっています。
男女とも高くなっています。
2016年は2000年に比べ男=3.26歳、女=2.54歳伸びているようです。
出典:平均余命の推移(厚生労働省)
2016年時の男の平均余命の半分=40.49歳
2016年時の女の平均余命の半分=43.57歳
寿命という客観的数値から考えると、40台前半が折り返し地点と言えます。
子どもの生き方を見られる時間
「自分は子どもとあと何年、この世にいるのか」
この考え方自体、ナンセンスかもしれません。
典型的な違う考え方として「時間総量より密度」というもの。
僕はこちらに1票入れます。
それでもそれぞれのご家庭の事情によりますが、一定以上の時間総量は必要だと思っています。
特に幼少期はその重要度が高いでしょう。
単純に「かわいいから一緒にいたい」という動機も含めてです。
実際に一緒に過ごす期間も、環境によって年数が変わります。
早い年齢で家を離れる人もいますし、大学院・社会人になっても自宅という方もいると思います。
ただ、自分が死んでしまったら当然子どもといる時間ではなくなります。
言い換えるなら「いつまで子どもの生き方を見てから死ぬのか」ということかもしれません。
端数切り捨てで考えます。
現在40歳だったとして残りの人生、男性=40年、女性=47年。
イコール「子どもの年齢」ですので、コレが子どもの生き方を見られる年数です。
孫のことを考えると、さらに短いという事がわかります。
自分が健康か、という点も重要でしょう。
さいごに
子育ては「親による一定の自己犠牲」の上に成り立つと僕は考えています。
「自己犠牲」という言葉で反発する方はいますが、実質、それくらいの影響はあります。
そして「自己犠牲」だけではない、とも考えています。
そう思いたいという願望も含め、それ以上の「何か」を受け取っています。
幼少期の子どもがいるご家庭。
「日常」がやることだらけでアップアップ。
瞬く間に過ぎていく時間。
しかし後で振り返ると、この時間こそあっという間の「非日常」の時間。
全員が笑顔でいられる環境づくりを意識しつつ。
最後にもう1つ。
2016年の平均寿命を日数にすると以下です。
30,000日前後ということが分かります。
男=29,578日
女=31,828日
あなたの現在の年齢x365を電卓で計算してみてください。
上の数字からその電卓で出た結果を引くと、あなたが生きる残りの日数です。
1日過ぎるたびに、この数値が減っていきます。
カウントダウン方式で考えると見えて来るものがあるかもしれません。
ではでは