人生最後の10年間を自分の足で歩きますか?

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健康

[健康寿命]と[平均寿命]の差はどのくらいあるのか。
まだ先のことでイメージしたことがないかもしれませんが、いつかは全員高齢者になります。
その時が来る前に、現在の「差」を調べてみました。

個人的には気がつくと親が「後期高齢者」になっていました。
「後期高齢者」のネーミングは発表当時ひと悶着あったが、それはさておき「後期高齢者」とは75歳以上の高齢者を指すとのこと。

たまに実の親・義理の親と話していても「年齢発言」をそれなりの頻度で耳にする。そして定番である「病気」と「健康」の話。
悪化しない程度にうまく付き合って行ければよい、というのが一致意見のようです。
それは「健康体ではないが、生活に支障が出るほどではない」という事らしい。

確かに健康かどうかは、中年の自分もどんどんウェイトが重くなってきています。
できる限り「健康」でいたいというのは万人の希望だと思います。

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健康寿命と平均寿命でこんなに差があった

そもそも定義として「健康寿命」とは以下とのこと。

日常的・継続的な医療・介護に依存しないで、自分の心身で生命維持し、自立した生活ができる生存期間のこと

出典:健康寿命(wiki)

 

男性の[平均寿命]と[健康寿命]
女性の[平均寿命]と[健康寿命]
出典:平成27年簡易生命表の概況(厚生労働省)

厚生労働省発表情報では、[平均寿命]と[健康寿命]の差は2010年では以下。

男性= 9.13歳
女性=12.71歳

男性で約9年間、女性で約13年間、日常生活が制限された期間があるようです。

[平均寿命]が女性の方が高いことは、広く認知されていることですが、[健康寿命]も女性の方が長い=動ける期間が長いという結果。

 

[平均寿命]推移
[平均寿命]と[健康寿命]の乖離
出典:平成27年簡易生命表の概況(厚生労働省)

 

[平均寿命]は延びている事も一般的によく知られていますが、[健康寿命]との差はどうなっているかが上のグラフ。結果はほぼ横ばい。

これは生活に制限される期間はほぼ変わらず、生きている時間が長くなっているということのようです。
「医療の発達」が大きな要因なのか、と想像するが実際のところは不明です。

 

あと何回両親に会えるか

実際、自分の親を見ていて「歳をとったなぁ」と思える事は多いです。
上述の発言であったり、容貌であったり。
耳が遠くなっていたり、動きに衰えを感じたり。

僕は故郷を離れているので、親を対面するのは年1~2回程度。
実の親にはフランクに「ボケないように歩いた方がよいよ」などと話していますが、遠距離の心配というのは常に持っています。

外部サイト seeyourfolks

上記サイトが「自分があと何回親に会えるのか」現実を認識させてくれます。

残りの回数を実際に見ると、会うたびに今回が最後になるかもという覚悟を強くなります。
有限であるがゆえの現実・限定感。

いつかその時が来たときに

死亡の場所別にみた死亡数・構成割合の年次推移
出典:死亡の場所別にみた死亡数・構成割合の年次推移(厚生労働省)

 

上記データはやや古いので「自宅死亡率」が近年横ばいのようですが、「自宅希望者」は増えているらしいです。
また植物状態で延命措置を図る「胃ろう」などを望まない人も増加とのこと。
確かに自分の終末期を考えると、どちらも同意する内容です。

今は不自由なく動けるのでそう思うだけなのかもしれないができるだけ自分の足で歩き続けたい、という想いは若い頃からあるし、歳を重ねるごとに強くなっています。
知らない土地に行く楽しさは、個人的には人生の中でとても重要なポイント。

 

唐突ですが「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」というアニメーション映画に話は飛びます。
このアニメーション映画、とても示唆に富んでいます。

映画ではテーマの一つとして「人間は何をもって人間なのか」という点があります。
またこのアニメには機械の体である「義体」が出てくます。
一部機械の体のキャラクターから、脳以外すべて機械というものまで。

個人的にはこの先、技術の進歩で肉体の機械への置き換えが進んでいくと考えています。
僕が生きているうちに、脳以外すべて機械化されるかは難しいと思っていますが、一部機械化はかなり実現・流通していると予想。

自分が歩くことができなくなった時に、歩くために機械化するのか。
今すぐの話ではないが、死ぬまでにその判断をする事があるのかもしれません。