挑戦の風景、人生を彩る落ち込んだ経験

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統計データ

この文章のトピックスは以下です。
・10歳~14歳の落ち込んだ経験は67.6%
・男女比では女性の方が少し高い
・年齢別では年齢が上がるごとにその割合が増える
・落ち込んだ状態から元に戻った経験は89.9%
・元の戻ったきっかけは周囲の助けが多いのと自助努力
・落ち込んだときの相談相手は身近な人
・相談所認知度は73.7%
・15歳~39歳で困難に直面した経験44.5%
・困難な状態から改善した経験は73.2%

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10歳~14歳の落ち込んだ経験は約2/3、復活経験は約9割

落ち込んだ経験 10歳~14歳
出典:家こども・若者の意識と生活に関する調査(令和4年度)(内閣府)

上記は小学校高学年~中学生(10歳~14歳)の落ち込んだ経験です。
回答者数は1,520人と、かなりの数の結果です。

落ち込んだ経験が「あった」と「どちらかといえばあった」と答えた割合は、男性は64.5%、女性は70.6%。
男女比では、女性の方が落ち込んだ経験が多い。

年齢別では、高齢になるにつれて落ち込んだ経験が増えています。
10歳の落ち込んだ経験が「あった」と「どちらかといえばあった」と答えた割合は、59.0%。
14歳の落ち込んだ経験が「あった」と「どちらかといえばあった」と答えた割合は、77.5%。

全体で見ると2/3~3/4が落ち込んだ経験を(認知)しています。
落ち込んだ経験が「なかった」と「どちらかといえばなかった」は26.6%で、この年次では落ち込む認識がない人が約1/4います。

落ち込んだ状態から元に戻った経験 10歳~14歳
出典:家こども・若者の意識と生活に関する調査(令和4年度)(内閣府)

上記は小学校高学年~中学生(10歳~14歳)の落ち込んだ状態から元に戻った経験です。
回答者数は1,031人と、1つ上の「落ち込んだ経験」の中で、該当経験がある人となります。

落ち込んだ状態から元に戻ったが「あった」と「どちらかといえばあった」と答えた割合は、男性は91.2%、女性は88.5%。
男女比では、わずかですが男性の方が復活経験が高い。

年齢別では、大差はありません。
10歳の落ち込んだ状態から元に戻った経験が「あった」と「どちらかといえばあった」と答えた割合は、87.5%。
14歳の落ち込んだ状態から元に戻った経験が「あった」と「どちらかといえばあった」と答えた割合は、91.2%。

約9割が元に戻った経験をしています。
落ち込んで復活した経験が「なかった」と「どちらかといえばなかった」は6.3%で、この回答者はやや心配です。

落ち込んだ状態から元に戻ったきっかけ 10歳~14歳
出典:家こども・若者の意識と生活に関する調査(令和4年度)(内閣府)

上記は落ち込んだ状態から元に戻ったきっかけ、10歳~14歳の複数回答です。

1位は「友だちの助け」54.3%、2位は「家族や親せきの助け」52.6%、5位「学校の先生に相談した」15.9%。
環境要因も多分に含まれますが、これらは周囲のサポートが良かったケースです。

3位「自分の努力で乗りこえた」43.4%は生涯に渡っての財産になる経験。
4位「時間がたって状況が変化した」38.2%も大人になっても良くある話です。
身近な人の死などは典型的にこれにあたり、時間がゆっくり解決に導いてくれます。

近年らしいのは8位の「SNSやメール相談などを利用した」4.3%。
身近な人には話しにくい内容も、距離が離れている人なら話せる内容もあります。

落ち込んだときの相談相手 10歳~14歳
出典:家こども・若者の意識と生活に関する調査(令和4年度)(内閣府)

上記は落ち込んだときの相談相手、10歳~14歳の複数回答です。
1位は「家族や親せき」73.4%で、小学校高学年から中学校と言えば反抗期にも当たりますが、家族と話せるのは良い家庭環境です。
2位「学校の友だち」71.6%、3位「学校の先生」28.7%、4位「先輩や後輩」13.9%と、当たり前ですが学校関係者が続きます。
マイナス原因にもなり得る属性ですが、解決に導くプラス属性にもなる人たちです。

落ち込んだとき相談しない理由の1位は「相談しても解決できない」

相談しようと思わない理由 10歳~14歳
出典:家こども・若者の意識と生活に関する調査(令和4年度)(内閣府)

上記は相談しようと思わない理由、小学校高学年~中学生(10歳~14歳)の複数解答です。
回答者数は75人と少数なので参考値ですが、うまく相談できるスキルや周囲は万人に備わるわけではありません。

1位「相談しても解決できないと思うから」42.7%と、内容によりますがあきらめモードです。
深刻ないじめを一人で抱え込むケースは、ここに当たりそうです。

2位「自分ひとりで解決するべきだと思うから」38.7%は、ポジティブに受け取ると1つの理想です。
ただ、中学生あたりだと視野が狭くうまく乗り越えられないこともあり、他者視点で考えるのも人生の財産になります。

3位「誰にも知られたくないことだから」38.7%も、この年齢ならではです。
大人になれば「軽く愚痴って受け流す」など分かりますが、思春期は抱え込むのも分かる。

相談場所の認知度 10歳~14歳
出典:家こども・若者の意識と生活に関する調査(令和4年度)(内閣府)

上記は、10歳~14歳が家庭や学校以外で悩みやこまりごとなどを相談できる場所があるのを知っているかの回答です。

相談場所を「知っている」73.7%、「知らない」26.2%。
約1/4は、逃げ場の1つになる相談場所の存在を知りません。

男女比で大差はなく、わずかに女性の方が相談場所を知っている割合が高い。
年齢別では、高齢になるにつれて相談場所を知っている割合が高くなっています。

15歳~39歳で困難に直面した経験半数弱、改善経験は約3/4

ここまでは回答者が10歳~14歳でしたが、このブロックは15歳~39歳と高校生から中年までの回答者です。

困難に直面した経験 15歳~39歳
出典:家こども・若者の意識と生活に関する調査(令和4年度)(内閣府)

上記は15歳~39歳の困難に直面した経験です。
回答者数は7,035人と多数で、信頼性の高い数字です。

困難に直面した経験が「今までに経験があった」と「どちらかといえばあった」と答えた割合は、男性は41.2%、女性は47.7%、平均では44.5%です。
「困難に直面した経験」をどうとらえるかですが、半数以上(52.2%)はその経験がないと回答しています。

男女比では、女性の方が「困難に直面した経験」が多い。
年齢別では、高齢になるにつれて「困難に直面した経験」が増えています。
15歳~19歳の「困難に直面した経験」が「あった」と「どちらかといえばあった」と答えた割合は、38.1%。
35歳~39歳の「困難に直面した経験」が「あった」と「どちらかといえばあった」と答えた割合は、45.2%。

困難な状態から改善した経験 15歳~39歳
出典:家こども・若者の意識と生活に関する調査(令和4年度)(内閣府)

上記は15歳~39歳の「困難な状態から改善した経験」です。
回答者数は3,172人と、こちらも高い数字です。

「困難な状態から改善した経験」が「あった」と「どちらかといえばあった」と答えた割合は、男性は68.3%、女性は78.0%。
男女比では女性が高く、女性の方が相談改善経験が高い。

年齢別では、大差はありません。
15歳~19歳の「困難な状態から改善した経験」が「あった」と「どちらかといえばあった」と答えた割合35歳~39歳の「困難な状態から改善した経験」が「あった」と「どちらかといえばあった」と答えた割合は、74.5%。

困難な状態から改善したきっかけ 15歳~39歳
出典:家こども・若者の意識と生活に関する調査(令和4年度)(内閣府)

上記は「困難な状態から改善したきっかけ」、15歳~39歳の回答です。

1位「家族や親戚の助け」50.2%、3位「友人の助け」38.3%で、周囲に助けられた人が上位です。
2位「時間がたって状況が変化した」42.3%、5位「就職・転職した」26.1%は、環境要素(改善)が入っています。
4位「自分の努力で乗りこえた」31.4%と、社会に出ても自分でコントロールできること範囲は限定されますが、自助経験は何歳になってもその人の自力になります。

相談したくないと思う理由 15歳~39歳
出典:家こども・若者の意識と生活に関する調査(令和4年度)(内閣府)

上記は「相談したくないと思う理由」15歳~39歳の回答結果です。
圧倒的1位は「相談しても解決できないと思う」の54.5%。
生きていると悩みはつきものですが、確かに相談しても解決できないことはあります。
万能ツールではありませんが、時間を味方に付ける術を覚えておくと生きやすくはなります。

3位「相手にうまく伝えられない」23.2%は、改善の余地はある。
他人相談が最適ではない事象もありますが、うまく言語化しておくと自助にもなります。

4位「自分ひとりで解決するべきだと思う」22.9%は諸刃です。
僕はなるべく自分で考えたいと思っているのでここに属しますが、他者の助けが有効・参考になるケースは存在します。

落ち込むのも大切な経験

失恋で落ち込む経験は、後で振り返ってみると良い経験と思えるものが多いですが、直後のメンタル負荷はなかなかに大きいもの。
脱力感のような、肩の荷が下りた安堵している自分もいる。
以下、ある高校生男子、A男のお話です。

A男は高校1年生の時に、B子が好きになった自分に気づきます。
B子は明るい性格で、女友達が多いタイプ。
女子グループ内でもムードメーカー的な役割で、B子の周囲だけは少し温度が高いようなキャラクターです。

そんなA男とB子は高校1年の時に同じクラスになり、あるとき班で一緒に課題作成にあたることになりました。
課題は男女2名ずつの計4人で、現代社会の課題を調べて発表するもの。
2回の授業時間と放課後はどれだけでも使って良いルールで、各グループで調査。
3回目の授業の時、全グループが教室の前に出て発表するものでした。

A男とB子のグループは、課題テーマに対しいくつかの候補を出し、最終的には班のテーマを多数決で決定。
4人構成なのでリーダーが必要というほどの人数ではなかったせいか、リーダーは立ててはいません。
それでも話をリーディングするのはB子で、A男は消極的性格を自認しているのもあり受け側のスタンス。

テーマが決まったあとは全員で全体構成を話し合い、各自で割り振ったパートを調べてくることで解散。
時間的に見ても、順調といえる滑り出しです。

まだ、この段階ではA男はB子を意識してはおらず、B子はそのほか大勢のうちの1人でした。
それが、今回の班活動で話すようになってB子の人柄をぼんやりと認識していく。

いままで毎日の通学路にある何の変哲もない木。
視界に入っていたが脳内認識していなかった木。
あるとき、その木に耳を当てている人を見て、何をしているのかと遠巻きに眺めていました。
A男の日常では不必要な行為、というか理解できない動き。
それゆえ、気になって自分も人がいない時、その木のそばに行ってみました。

近くで樹皮を観てみると、緑色のコケっぽいものもついている常緑樹。
木の名前と言えば、桜くらいしか分からないので、もちろんどんな木なのかは分からない。
ただ、そばに立って木を見てみると、胴回りは立派で明らかに自分の年齢より上、もしかすると親の年齢よりも上かもしれない。
ぱっと見、きれいとは言い難い幹で表皮もごつごつしており、木に耳を当てるのをやめようかとも思う。

それでも、好奇心が勝って、思い切って木の幹に耳を当ててみました。
まず感じたのは、ほっぺたが木の表皮にあたってチクチク痛い。
痛みもすぐに引いて、その後聞こえたのは、「さーーー」というか「ごーーー」のような木の内部に水が流れるような音。
幹の中で水を吸い上げている姿を想像でき、その木の生命力のようなものを想像しました。

それ以降、その木の横を通り過ぎる時、毎回ではないにしてもふと目が行くようになる
A男にとってB子は、視界に入っていたはずだが認識していなかったのが、ある時から自分の身体全体でその存在を意識するような。

B子は今回の班活動でも中心的な役割ですが、自分が最前列で全体を引っ張るのではなく、各自にスポットライトが当たるような配慮ができる人でもある。
A男は自分にはないうらやましいその性質を見て、あこがれを抱いています。
小さな気づきの積み重ねで好きになることもあれば、ひとめぼれもある。
スロースターターなA男にとっては、前者だったと後で振り返られます。

課題最終発表前日、自分たちの班の発表リハーサルを放課後の教室で行うことになりました。
持ち時間に対し各自のパートを順に読み上げ、分かりにくい点がないか、聞き取りにくい発表になっていないか確認する。
何度か通してリハをやって、少なくともおかしな点はないと思えるレベルまでやり準備完了。

発表本番は、可もなく不可もなく。
やはりA男は自信がなく、自分の発表がおかしくなかったか早口になりすぎていなかったか心許ない。
自分が発表する時に前を見る余裕はなく、手元に用意した「あんちょこ(発表メモ)」を読み上げるのがやっとでした。

発表後、質問を2つまで受け付けるのが今回のルールでした。
1つ目はB子のパートに関する質問で、B子らしくよどみなく回答する。
2つ目の質問は(よりによって)A男のパートに関するもので、自分が調べた中に回答は含まれているが、回答が複数思い浮かんだが思考がまとまらない。

2~3秒、言葉が出ない。
クラスの視線が自分に集まっているのを感じる。
わきの下に汗が出る。
その時、A男の横に立っていたB子が、A男の背中に軽く手を添えました。

赤ちゃんの背中をトントン軽くリズムをとってさすっていると、赤ちゃんは気持ちよくなって眠りにつく。
これは「手当て」の語源にもなっている、手のひらを当てる療法、ハンド・ヒーリング・タッチに近いもの。
手当にどの程度の効果があるのか分かりませんが、その時のA男にとってB子のハンドタッチは大きな効果をもたらしました。

A男はびっくりして横のB子を見る。
B子は口を軽く横に広げ、笑顔で見返してくる。
その笑顔を見て、なぜ回答が絞れたかは分かりませんが、自分が話す言葉が決まる。
緊張しているのは相変わらずで、質問者を見て回答はできませんでしたが、教室の後ろの掲示板を見るような視線で頭を上げて妥当な回答ができました。

後で思い返してみるとB子がA男の背中に手を添えた時、A男はB子が好きになったタイミングだとA男は考えています。
その時のことを思い返しても、緊張が勝っていてぼんやりとしか思い出せませんが、それは風速10メートル以上の刺すような寒い北風が吹く冬の寒い日に、帰宅して温かいスープを飲んだときのような安心感。

以降、A男はことあるごとにB子を目で追うようになり、そのストーカー的な行為を自分で戒めてもいました。
勇気を出して告白できれば良いが、アクションが起こせるほど自分に自信がない。

高校2年の4月、B子別のクラスになって肩を落とす。
高校3年の4月、今度はB子と同じクラスになり、心の中で大きなガッツポーズする。
やがて卒業シーズンになり、B子を離れる時が近づいているが、相変わらずA男はB子に告白はできていない。

高校3年の2月、A男はいつも一緒にいる親友のC男と二人で帰宅したとき。
二人で学校から駅に向かう道すがら「お前、B子の事が好きだろう」と、豪速球が投げ込まれます。

一瞬でわきの下に汗が出る。
「そんなわけない・・・けど」
返す言葉も、まっとうな会話になっておらず、しどろもどろである。

「別に隠したいなら良いけど、お前の視線を見ているとそうとしか思えない」と言われ降伏。
「まぁ、好きといえば好きだけど、どうなんだろう」と返すのがやっと。

C男はA男のパーソナリティを熟知しており、その上で言葉を続ける。
「結構、長いよな」
A男は頭の中で瞬時に計算する。
高校1年生に想いを寄せて、いまは高校3年だから2年は超えている。
「そうだな、1年は超えているかな」
まだ微妙にさばを読んでいる自分がいる。

「このまま卒業して、違う大学に行ってそれで良いの?」
最近は自分もずっとそれが頭の中でめぐっている。
B子はA男と別の大学に行くのを、B子の友達づてに聞いて知っている。
「そうなんだよな」
自分の言葉にまったく勢いがない。

C男は自分にも他人にも強制を嫌うタイプです。
無理やり背中を押すようなアクションはほぼなく、いつも一歩引いた視点で人との距離感を保っている性格。
そんなC男らしく「アクションしないなら後悔することだけは確実」と言って、この会話は打ち切られました。

3月に入ってA男は、勇気を振り絞ってB子に告白をしました。
結果は「お友達でいましょう」。

良いのか悪いのか、B子と顔を合わせるのは、卒業式まであと数日。
B子を見るのもつらいが、それでも遠目でB子の姿を追う自分がまだいて、いままで以上に目をそらそうと強い意志で努力する。

A男は振られましたが告白したことで、自分が少しだけ大人になれた気もしている。
春先の最後の寒空、雲1つない宇宙まで見えそうなくらいの心象風景で。

卒業式が終わった後、最後の下校となる駅までの道のりを、A男はC男と歩いていました。
以前の自分が認識していなかったあの木の横を通り過ぎる時、A男は感謝とけじめの意味を込めてC男に話しかけます。
「告白したけど、ダメだった」
「そうか、トライしたんだな」
「うん、やって良かった」

さいごに

失恋は最たるものとして、落ち込む経験について僕はないよりあったほうが良いと、歳を重ねるほど強く感じるようになりました。
身近な人の死もちらほら出てくる今の自分の年齢が、自分の生き方を振り返るきっかけになっています。

歳をとると時間の経過が早く感じる「ジャネーの法則」。
その主因は、新たな経験・インパクトのある記憶が年齢を重ねると減るためと言われています。

100人に告白できる猛者は、1回の告白インパクトは薄いかもしれませんがそもそも少数派。
一般的には人生の中で、意中の人への告白やプロポーズは1桁から多くて10数回ではないか。

上手くいけば、1つの成功談でその後の関係メンテナンスに心を砕くことになる。
失敗すれば、人生の厚みになる。

そうした経験が、その人の彩る年輪になります。