この文章のトピックスは以下です。
・国内のメロン出荷量は43年で-60.3%
・作付面積は43年で-64.2%
・1ha当たりのメロン収穫量は43年で約1.1倍
・都道府県別メロン収穫量上位6都道府県は43年ですべて減少
・世界的にメロン生産量は中国が圧倒的で約半数を占める
国内のメロン出荷量は半世紀弱で約4割減

出典:作況調査(野菜)(農林水産省)
上記は日本国内のメロンの出荷量と作付面積です。
出荷量は1982年317400トン、2024年126000、前後比-191400トン(-60.3%)。
作付面積は1982年15400ha、2024年5520ha、前後比-9880ha(-64.2%)。
出荷量のピークは1990年の384300トンで、その後下がり続けています。
グラフ化していませんが、収穫量も43年で-60.8%と、すべてが減少しています。

出典:作況調査(野菜)(農林水産省)
上記は日本国内の1ha当たりのメロン収穫量です。
1ha当たりの出荷量は1982年20.6トン、2024年22.8トン、前後比+2.2トン(110.8%)。
1つ上のグラフで出荷量と作付面積は大きく減少しておりましたが、1ha当たりの出荷量は近年少し上昇しています。
都道府県別メロン収穫量が多い県

出典:作況調査(野菜)(農林水産省)
上記は2024年、都道府県別のメロン出荷量上位6都道府県です。
1位は茨城で2024年出荷量は34,600トン、1990年代中盤まで1位は熊本でした。
2024年2位は熊本、3位北海道、4位愛知です。
上位6都道府県は43年間ですべて減少しており、減少率1位は愛知の-79.1%、2位は熊本の-67.5%です。
世界でのメロン生産は圧倒的に中国

出典:世界の果物産地ランキング メロン類 (果物ナビ)
上記はメロン生産量上位22か国です。
1位は中国で14,454,741トン、シェアは48.9%。
日本は22位でシェアは0.46%。
世界的にみると、メロンは中国が約半数を占める1強です。
坂の下にあるメロン畑の静かな呼吸(物語)
僕が田舎に属する実家のこの町に戻ってきたのは、三年前の冬の初めだった。
自分の意志で帰郷したのではなく、メロン農家の父が倒れあっけなく他界し、だれかがメロンの世話をしなければならなかった。
それまで僕はサラリーマンとして都心で働いていたが、兄弟のいないわが家では自分が戻る以外の選択肢がその時はなかった。
ある意味強制的な状況だったが、内実、当時所属していた会社で自分の未来像が描けず、漠然とした不安からの逃避でもあった。
田舎の実家の最寄り駅前には、昔は大きなメロンのオブジェがあった。
そのオブジェはいまは撤去され、代わりに無機質な案内板が立っている。
それはだれかがそっと未来への伏線を、抜き取ってしまったような光景だった。
メロンの出荷量は年々減っている。
海外に活路を見いだすのは今の時代の流れだが、それでも国内消費減少を直視するなら、メロン農家は衰退に分類される側ではある。
市場の担当者は「時代の流れですよ」と、意識してかそうではないのか分からないが、淡々とした物言いをする。
「坂の上の雲」ではない現状、この先僕はメロン農家として続けるのか離農するかの覚悟も決まっていない。
それでも毎日の手入れは必要で、ビニールハウスに入る日々が流れていく。
畑を引き継いだ当初は、メロン生産の知識が乏しく右往左往。
母親のレクチャーを受けながら、知識と経験を蓄えた。
その結果、いまは何をしなくてはいけないか、やっと自分で判断できるようにはなった。
いつも通りの時間に起きて、朝ご飯を食べ歯を磨いていつも通りのルーティンを終えると仕事だ。
実家そばのビニールハウスに入ると、メロンたちも同じくいつも通り静かに呼吸していた。
丸く淡い緑色の皮の下で、彼らはゆっくりと糖度を蓄えていく。
淡々と作業をこなしてく。
何をしなければならないのか身体が覚えている作業は、考える余白の時間になる。
気が重くなるが頻出するテーマはこの先の状況で、未来の発展シナリオが描けていない。
販路拡大、EC化による直接販売などのいくつかの現実案は思い浮かぶが、本格的に動いていない。行動しない最大の原因は、自分の覚悟だとうすうす認識しており、それが自分を苦しめてもいる。
農閑期のある日、父の遺品を整理していたとき、1冊のノートが出てきた。
そこには父の字でこう書かれていた。
「メロンは手をかけすぎても、放っておきすぎても、甘くならない。」
これを父はどんな意図で書いたのか。
単純にメロンの生育を指しているのか、それとも別の何かを思い描いていたのか。
翌朝、畑に出ると1つだけ異様に小さなメロンがあった。
まるで成長を途中でやめてしまったように、世界のどこかでスイッチを切られたみたいに。
僕はそのメロンを手に取り、しばらく眺めた。
それは、縮んでいく出荷量の象徴のようでもあり、僕自身の未来の姿のようにも見えた。
サイズ的には出荷できないのでそのメロンを収穫し、夜食べてみようとビニールハウスを出たところに置いておいた。
夕方になり農作業が終り、ビニールハウスを出るとその小さなメロンに数羽の鳥が集まっていた。
どうやって割れたのかは分からないが、彼らは一心不乱にそのオレンジの果肉を食べている。
その姿を見て「うちのメロンはそんなにおいしいかい」と僕はつぶやいていた。
その瞬間、僕はふと気づいた。
減っているのは数であって、価値そのものではない。
父親含めたくさんの農家の方々が、品種改良を重ねていまの味に至っている。
数で数えるのが人間として、動物は価値で世界を見ている。
夜、自分の手で作ったメロンを、父親の仏壇に一度備えた後、包丁で半分に割ってみた。
メロンに包丁を入れたとたんあふれる果汁とともに、芳醇な香りが立ち上る。
スプーンで一口食べると、濃厚な甘さが口に広がり陳腐な言葉だがおいしい。
メロンが甘く大きく育つために、必要な分だけ手をかける。
もしかすると父は僕に、同じことをしていたのか。
自分が都会で会社員になると言った時も「そうか、しっかりな」としか言わなかった。
失敗も含め自分で乗り越えて地力をつけるために、必要以上に手をかけない。
自分で考え自分で判断して自分で責任を取る。
いままで自分は、腰の据わらない姿勢でメロンと向き合っていた。
嫌になったら離農すればよいと逃げ道を常に頭の片隅に置いていた。
先のことは分からない。
どこかで農家をやめる決断をすることになるかもしれない。
ただ、この甘いメロンな味を考えたとき、もう一度しっかり向き合ってみようと思った。
父の残した言葉の続きを、自分なりに書き足すせるのかは分からない。
辞めるにしても、自分がやり切ったと納得できるように。
さいごに
少し前にイチゴの出荷量についての文章を書きました。

イチゴの出荷量は約半世紀で-14.8%でしたが、今回見てきたメロン出荷量は43年で-60.3%、
イチゴに比べメロン出荷量は大幅減です。
メロンがなぜイチゴに比べ、需要減少したのか分かりません。
メロンはもともと単価が高く、フルーツの王様として鎮座したのが原因ともいえ、これが正しいとするなら可処分所得減少の現代では必然ではある。
あるいはイチゴがブランドイチゴ普及が成功したのに対し、メロンはそうはならなかっただけなのか。
自分はいま、日常でメロンを食べる機会はほぼありません。
メロンはイチゴに比べ、距離感が遠い食べ物だと僕は感じています。
