日本では、スポーツボランティア参加率は下落傾向です。
個人的に身の回りを見渡してみても、スポーツのコーチを週末やっている大人はいますが、定期的にスポーツボランティア行為しているひとは聞きません。
世界的に見ると、日本のスポーツボランティア参加率は真ん中より下。
謙遜する日本人気質も影響している可能性もあり、軽めのボランティアしていても、していないという人もいるかもしれません。
スポーツボランティア参加率は下落傾向
最初に約20年のスポーツボランティア実施率推移が以下です。
出典:運動・スポーツ実施率の年次推移(笹川スポーツ財団)
2つ山があって1つ目の2000年は8.3%、2つ目の2010年は8.4%でそれ以降下落しています。
最新年の2022年は4.2%と、ピークの約半分になっています。
出典:令和4年度「スポーツの実施状況等に関する世論調査(スポーツ庁)
2022年、スポーツ庁の情報ではスポーツボランティアを「日常的・定期的に行った」「イベント・大会で不定期に行った」の情報が上記です。
全体では「日常的・定期的に行った」は4.1%、「イベント・大会で不定期に行った」は5.8%。
男女比では男性が女性より、ボランティア参加率が高い。
年代別では「日常的・定期的に行った」の1位は「20代」、「イベント・大会で不定期に行った」は10代が1位です。
年代が上がるほど、ボランティア参加率は下がっています。
出典:令和4年度「スポーツの実施状況等に関する世論調査(スポーツ庁)
自分が運動するかどうかによっての、スポーツボランティア参加割合の情報が上記です。
運動頻度が高い人の方が、スポーツボランティア参加頻度が高いようです。
しかしグラフ内の下側「1年以上継続して運動 週2以上か以下」では、あまり差はありません。
ボランティア参加動機の1位は好きなスポーツの普及・支援
出典:令和4年度「スポーツの実施状況等に関する世論調査(スポーツ庁)
スポーツボランティア参加活動の内容内訳が上記です。
1位の「大会・イベントの運営や世話」、2位の「運動・スポーツの指導」など、運営側や参加側など多岐にわたっています。
補助的なお手伝いなど、いろいろなボランティアがあります。
出典:令和4年度「スポーツの実施状況等に関する世論調査(スポーツ庁)
スポーツボランティア活動を行うきっかけや動機づけが上記です。
1位は「好きなスポーツの普及・支援」で19.2%、おとなになってから学生時代に自分が所属していた競技に携わるシナリオはよくあります。
2位は「出会い・交流の場」13.3%ですが、個人的には良い試行だと思っています。
グラフ内最下段が「どんなきっかけ・動機づけがあってもしない」24.9%と約1/4です。
スポーツが好きかどうかや、ボランティア行動自体への想いは個人によるものなので、第三者が強制できるものではありません。
世界的に見ると日本は真ん中より少し下
出典:過去1年間のスポーツボランティア実施率(笹川スポーツ財団)
都道府県別のスポーツボランティア参加率が上記です。
1位は「島根」24.1%で、1強といって良い状況です。
「島根」では何か特別な取り組みや仕組み、風土があるのかわ分かりませんが頭1つ抜けています。
都心部は全体的に平均以下ですが、神奈川は平均より上です。
出典:スポーツにおけるボランティア活動活性化のための調査研究(笹川スポーツ財団)
最後に、EU28か国と日本のスポーツボランティア実施率の情報が上記です。
全体平均は8.8%で、日本は平均より少し下。
1位はスウェーデンで25.0%で2位以下と差があります。
北欧国が上位に多く、東欧と西欧が低いようです。
ここまでをまとめます。
・スポーツボランティア参加率は下落傾向
・男女比では男性、年齢別では10代と20代が高い
・実際にスポーツしている人の方が参加率は高い
・ボランティア参加動機の1位は好きなスポーツの普及・支援
・都道府県別では島根が圧倒的に高い
・世界的に見ると日本は真ん中より少し下
個人的所感
ボランティア精神を「自主」「無償」「公益」として、コトバンクの情報では以下、少し踏み込んだ内容になっています。
ボランティアは、ラテン語のボランタスvoluntas(自由意志)を語源としており、自発性に裏づけられた奉仕者、篤志家を意味するものであった。保健、福祉、教育などの事業においては、自発的または自主的に無償の奉仕活動をする人々をさし、自発性または自主性、善意性、無償性、先駆性ならびに自己犠牲を伴うことがその行為の基本的特性とされていた。しかし、産業社会の近代化、国際化が急速に進むにつれて、ボランティアの活動領域は身近な地域の活動から国際ボランティアに至るまで多様な活動に拡大していった。
出典:ボランティア(コトバンク)
自由意志で自発的に無償奉仕する。
こう書かれると、なかなかハードルが高いと感じる日本人が多いのではないか。
アピールが苦手な日本人にとって、「ボランティアしているというほど大げさなことはやっていません」と謙遜する姿は想像に難くなく。
サッカーママさん達が、複数の子ども達の送り迎えなど日常的に行っている行為も、ボランティア行為といえなくもない。
2022年サッカーワールドカップで、日本人観客が試合後に観客席を掃除して帰ったことが一部で話題になりました。
否定的な意見もあり、お金を払って試合を観にいっているのになぜ掃除までしていくのかと言うようなお話。
自己満足的発想があったのか分かりませんが、いまの日本、特に東京を見ているとその根っこの部分があるとも感じます。
いまの東京は、公共の場はたいていはきれいです。
駅や公園、道路など、ごみが落ちていることがほとんどない。
廃屋も見当たらず、整然状態がスタンダードです。
戦後、路面電車が走っていたころの写真や当時の文献を見ると、車内の床はごみだらけでタバコ喫煙も普通。
これは復興期の一側面ですが、令和時代の日本、東京での電車内風景とは隔世の感です。
汚れている状態が当たり前の環境では、きれいにしようとするモチベーションは働きにくい。
誰かがきれいにして、それにつられて周辺の人もきれいにするようになり、日常になる。
全員が少しずつ平均値を上げていったような気もしていますが、いかなる理由であれ、きれいレベルは向上している。
それゆえ、東京はきれいすぎて居心地が悪い、という人のお話も聞きます。
きれいにするために、ごみ1つ拾うのもボランティアです。
それが球場や、近場の大きな公園であったならそれはスポーツボランティアになります。
こう考えると、現代の日本人は環境面のスポーツボランティアポテンシャルが高い民族と言える。
ただ直近の社会環境をみると、経済的に厳しい状況が進行しており、困窮はボランティアとの相性は悪い。
お金がなく(≒余裕がなく)精神的にも厳しい人に、スポーツボランティアをやりませんかと誘っても良い返事は得られる可能性は低い。
2020年東京五輪のとき、ボランティアを有償化したらどうかと言う話題がありました。
有償化したらボランティア基本原則である「無償」ではなくなるので、ボランティアではなくなるのですが、このお話は、日本人の余裕のなさの一端だったのかとも感じます。
運営側は類似業務で高額な報酬を得ていたことがニュースに取り上げられ炎上、これを隠し通せなかった運営側の采配ミスでした。
他に、個人主義の浸透もボランティアに向かい風です。
考えるまでもなく、内に籠もる思想は公共性や自主性とは親和性が低くなる。
いま、僕が所属する組織では、ボランティア休暇があります。
数年前に導入されたルールですが、実際それを活用している人は少なく、日常的なボランティア意識が高まったとは思えません。
僕の身近観測だけのお話なので一般論ではありませんが、働いている人にとってボランティアはまだまだ身近ではない気がします。
さいごに
お金を払って、ボランティアする。
ボランティアの基本原則に抵触しませんが、発想がおもしろい。
一例として、モロッコの青の街「シャウエン」に旅行して、街の壁を青色に塗るお手伝いをするツアーがあります。
ツアーなので、参加者がお金を払って壁を青色に塗る。
自分が興味ある街に訪問し、その町の象徴を自分の手でサポートする。
旅の思い出としては良くできており、旅行者にとっても街にとっても良いと感じます。
ツアーで興味の薄い世界遺産を、バスで連れまわされることに比べるなら、自主性(=能動)が違います。
ボランティアの基本思想「無償奉仕」しつつ、自分の記憶に残る良い旅行だと感じます。