この文章のトピックスは以下です。
・2023年地域の付き合いがあるかどうかの解答1位は「ある程度付き合っている」44.3%
・2位は「あまり付き合っていない」32.6%
・男女差はあまりないが、年齢差はあり高齢者の付き合いが高く、若年層は低い
・地域付き合い推移でみると漸減し続けている
・都市規模別では人口が多い地域の付き合いは低く人口が少ない地域が高い
・自治会加入率は人口数に関わらずすべての区分で減少、全体平均-6.5%
・2000年ころのインターネット普及期に地域付き合いが減っている
2023年の地域の付き合いはやや付き合いがある人が多い
出典:社会意識に関かんする世論調査(内閣府)
上記は2023年の地域での付き合いの程度に関するアンケート結果です。
全体を回答種別で見ると、1位は「ある程度付き合っている」44.3%、2位は「あまり付き合っていない」32.6%。
男女比では、やや女性の方が付き合いが多い。
年齢別では高齢者ほど、付き合いが深くなっています。
女性が男性より付き合いが多かったり、若い人は地域と距離をとる流れはたいていの人は納得の結果です。
出典:社会意識に関かんする世論調査(内閣府)
上記は「よく付き合っている」と「ある程度付き合っている」、「あまり付き合っていない」と「全く付き合っていない」を合算結果です。
全体では、52.9%が「付き合っている」側、44.4%が「付き合っていない」側で、やや付き合いがある側が高い数字です。
70歳以上は付き合いが濃く、74.4%が「付き合っている」側、22.2%が「付き合っていない」側です。
地域の付き合いが全てではありませんが、このデータから2割強は孤独老人に属するのかもしれません。
出典:社会意識に関かんする世論調査(内閣府)
上記は「よく付き合っている」と「ある程度付き合っている」、「あまり付き合っていない」と「全く付き合っていない」を合算した結果の推移です。
一言で言うなら、昭和時代は地域での付き合いが濃く、令和時代に半々に近づいている。
1975年は「付き合っている側の合算」は85.6%、「付き合っていない側の合算」は13.6%。
1923年は「付き合っている側の合算」は52.9%、「付き合っていない側の合算」は44.4%。
地域付き合いの希薄化理由は複合要因ですが、全体潮流からは付き合い密度が昭和時代に戻ることはなさそうです。
自治会平均加入率もここ10年で-7.6%
出典:社会意識に関かんする世論調査(内閣府)
上記は都市規模別の地域の付き合いの「付き合っている」と「付き合っていない」合算データです。
やはりと言えますが都市部は「付き合いがある」側は36.7%と少なく、小都市64.6%や町村は61.0%と人口密度が低い地域は付き合っている割合が高い。
出典:地域コミュニティに関する研究会 報告書(総務省)
地域の付き合いとは言えませんが、地域のつながりが派生するものとして自治会(町内会)が上げられます。
上記は総務省にある自治会(町内会)の平均加入率です。
ここ10年の情報ですが、自治会加入率はすべての人口規模区分で減少しています。
全体平均では-6.5%、最も減っているのは「人口20万以上30万未満」-7.6%。
一番減り幅が少ない区分は最小区分「人口1万未満」の-3.1%ですが、過疎地域であっても自治会加入率は減少傾向です。
地域付き合いの減少とインターネット普及率
出典:社会意識に関かんする世論調査(内閣府)
出典:情報通信白書(総務省)
日本でインターネットが一般普及したのは、上記のグラフ内・赤色線の2000年頃です。
1997年は9.2%、2002年は57.8%と、2002年には半数以上がインターネット利用しています。
グラフ内・青色線は地域での付き合いで「よく付き合っている」と回答している人です。
1997年は42.3%、2002年は21.1%と、インターネット普及期の2002年に「よく付き合っている」と回答している人が21.2%減っています。
グラフ内・灰色線は地域での付き合いで「ある程度付き合っている」と回答している人です。
1997年は35.3%、2002年は48.3%と増えており、「よく付き合っている」と回答していた人が21.2%減少、そのうち13.3%が「ある程度付き合っている」へ移動したと考えられます。
別の側面として、インターネット内にも付き合いはあるので、物理的な付き合いからネットでの付き合いが普及したと言って良いデータです。
いざという時のための緩いつながり
ある日、僕が自宅への帰る途中、自宅のそばで老人が倒れていました。
時間は夜8時過ぎ、太陽は落ちて電柱の街灯がともっている時間で、暗いながらも遠くに大きな物体が横たわっている。
最初は大きなゴミ袋か布団のようなものが捨ててあるのかとも思ったのですが、近づくと人が横になっていました。
幸い、季節は初夏に差し掛かるころで暑くもなく寒くもなく、晴れた日で心地よい風が吹いていました。
倒れている人はうつ伏せで、片腕で少しだけ起き上がろうとしているが力尽きるような状況。
腹ばいで腰から下が地面に付いて、片手で腕立て伏せをしようとしているイメージです。
倒れている人は物理的に動いているので、最悪の状況ではなさそう。
「大丈夫ですか?」と声をかけたところ、「身体の、、、ちからが、、、入らない」と返答してくれる。
「痛いところとかありますか?」の質問には、「痛くはない、、、が動けない」と返してくれる。
意識はしっかりしていそうです。
外見からは70歳は超えていて80歳オーバーかもしれない容姿で、カジュアルな服装でした。
暗がりなので正確に顔は見えませんが、ふと近所に住んでいる老人かもしれないと気づきました。
僕が思い浮かべたその近所の老人と僕は挨拶程度の関係性で、顔を名前は一致するがそれ以外は不明。
もしかしてその人かもしれないが、倒れている人がその人と自信を持って判別できない。
この辺りの微妙感が、現代の地域付き合いの薄さだと感じます。
僕は119番連絡して救急車を手配してから、倒れている人と似ている人が住んでいるすぐそばのお宅に行き、インターホンを押しました。
すぐに奥様が出てこられ事情を説明すると、奥様曰く「主人はいまお風呂に入っています」との回答で、このお家のご主人ではない。
だれであっても人が倒れているで不謹慎ですが少し安心しつつ、そのお宅の奥様と二人で足早に現場へ戻りました。
老人は変わらずそこに倒れたままで、もぞもぞと体を動かしますが大きな変化はない。
10分ほどして救急車が到着し、無事救急隊員の方にご老人を引き渡しができほっと一息。
ちなみに、その段階でもご老人の様態は変わらず、体は思うように動かずどたどしく受け答えはできていました。
救急隊員にご老人を引き渡し後、一緒にいた近所の奥様と軽い雑談をしていると奥様から「決して他人ごとではないのよね」の一言が出てきます。
今回のように路上で倒れることを含め、自宅で救急車を呼ばないといけないシチュエーションはだれにでも発生しえる。
若いころはそうした状況に遭遇する機会が少なかったり、身体が動かなくなる状況を想定できていないだけです。
高齢になると身体不調が身近になり、いざというときある程度の付き合いはあったほうが良いと考えるようになるのは自然な流れです。
決して自分だけ助かろう意識ではなく、人様になるべく迷惑をかけない気持ちを持った上で、突然倒れて他人様に迷惑をかけてしまう杞憂が近いかもしれない。
ちなみに僕とその奥様はたまに雑談する間柄で、奥様はご高齢ご夫婦2人住まいなので、そうした心配をお持ちでした。
ご近所なので、僕は奥様に「何かあったら遠慮なく呼んでください」と電話番号交換しています。
僕は濃密な地域の付き合いは苦手ですし、それを求められる地域であれば引っ越しを考えます。
ご近所様と普通に挨拶や雑談は行いつつ、不用意にお互い深入りしすぎない、ぐいぐいパーソナルスペースに踏み込まないご近所づきあいは、現代社会を生きるうえでもあっても良いと考えています。
ただ、これも自分が年齢を重ねてこの考えに変わったと思っており、若いころは同年代の友達が人生の大半でした。
今回調べたデータからは、日本では地域付き合いは減っています。
何度もこのブログで書いていますが、日本社会の流れは個人主義へ進んでおり、それはこの先も続くと僕は予想しています。
それでも何あったときそれなりの手助けをするのは、社会的にはもちろん個人としてもお互いのためになるのでないか。
電車で妊婦さんに座席を譲った時、他者へのサポートした側が自身の中に良い感情が生まれる。
大上段に「助けてやった」のような偉そうな態度はいただけませんが、そっと手を差し伸べて立ち去る。
昔に比べドライになった現代の地域付き合いの距離感は、そのくらいが妥当な気もします。
さいごに
近所付き合いではなく、イノベーションで出てくる有名なお話「弱い紐帯の強み(ゆるいつながりの重要性)」。
弱い紐帯の強み
「弱い紐帯の強み」とは、米国の社会学者マーク・グラノヴェッターが発表した社会的ネットワークに関する仮説です。グラノヴェッターによれば、新規性の高い価値ある情報は、自分の家族や親友、職場の仲間といった社会的つながりが強い人々(強い紐帯)よりも、知り合いの知り合い、ちょっとした知り合いなど社会的つながりが弱い人々(弱い紐帯)からもたらされる可能性が高いといいます。これを「弱い紐帯の強み」の理論と呼びます。
出典:弱い紐帯の強み(コトバンク)
僕はいま、近所付き合いが薄い地域に住んでいますが、「弱い紐帯の強み」よりさらに弱いくらいの距離感です。
ご近所さんの顔と名前は知っていて、一部、どんな仕事をしているかは分かっている。
ただ、仮にその人の従事している仕事に関する課題が自分の周辺で発生しても、多分その人に頼まない。
僕の考えは1つのサンプルでしかありませんが、周囲と話していても緩いつながりが現代の都心部での標準だと感じます。