幼い子どもが人をサポートする。
困った人を助けるような典型的なものではなく、友達の手を引っ張るなどが、初期のサポートだと思います。
では、大人同士の先輩後輩の立ち位置で、先輩が後輩に対してどんな姿勢で接したらよいのか。
わが家の子どもには、厳しさを持ったメンター的な役割を自分ができているか、日々是精進です。
自分以外の人の役に立つ
ある時、わが家の子どもが、自分の靴を履いた後、僕の靴を靴箱から持ってきてくれました。
平仮名にすると「くつをもってきた」のたった8文字。
それだけの事ですが、それが初めてだった時。
僕は体の奥がホワッと暖かくなるような感覚になりました。
子どもといると、大人が普段当たり前にやっていることを、初めて実行するシーンに出会えます。
寝がえりから始まり、言葉を覚えてからの、いってらっしゃいや、ごめんなさい。
僕はその1回1回に、随分なプレゼントを受け取っています。
子どもはじっと親を観察して、「こういう場合はこう言うんだ」と、自分の中で温めている。
何のキッカケなのか勇気を振り絞ってか、あるときそれを表に出しているだけなのかもしれません。
たまに、それが間違って(言いまつがい)おもしろい言い回しもありますが、それも宝物です。
わが家では幼少期は、子どもの性質も鑑み、あせって詰め込まない方針でした。
強制的に「ああしなさい」「こうしなさい」ではなく、自然に子どもがやりだすのを待つ。
「おーーー、いつの間に、そんなこと、できるようになったんだねぇ」
何度、このセリフが口から滑り出したか分かりません。
人が成長するには、いろいろなやり方があります。
それは大人でも同じです。
若手が考えるメンターの姿勢
ある時、20代中盤を超えた若手社員と、「成長」について雑談する機会がありました。
具体的には「新入社員が成長するために、先輩はどんな姿勢で接すると、一番伸びるか」。
「最近の若い者は」というフレーズがなくならないのと同じくらい、普遍的なテーマです。
少し仕事がわかってきた若者が、新卒時と違う景色が見られるようになり、少し余裕も持てるようになった時期。
「もう、分かっちゃったもんね」と話したい欲望なのか、僕の若い時もこんな感じだっただろうな、と回想していました。
僕は若手社員に「先輩がどう接したら、後輩は成長すると思いますか?」と問いかけました。
その解答として以下の4つを、その若手社員は上げました。
「①引っ張り上げ型」先輩は後輩にやり方をしっかり教え、一緒に業務にあたる
「②怠惰型」先輩はダラダラ、それを見た後輩が、ああはなりたくない、自分がやらないと
「③放置型」先輩は後輩に何も教えない、聞かれたときのみ必要最低限の回答
「④厳しく指導型」先輩はたくさんの課題をどんどん積み上げ、後輩が苦しくても助けない
上から目線ではなく、4つのパターンが出てきた点だけでも、よく考えている人だなと思いました。
聞いてみると、過去に後輩の面倒を見た経験があり、その時独学で何冊かの本を読んだとらしい。
育成、教育、管理など、その若者がどこを目指していたのかはさておき、やはりベースがあるのだと感じました。
僕は次に「あなたは現実、どのパターンで後輩に接していますか?」と聞きました。
理想と現実のギャップに悩む
若手社員は「現実は①になってしまっているが、本当は④が一番、後輩が成長すると思います」と答えました。
理想と現実に差が生まれています。
「①引っ張り上げ型」は、最近はその考えに同意する人が多いと思います。
昭和時代の「24時間働けますか」の体育会系的な気合と根性論とは違い、穏やかに調和が現代の流れだと僕は考えています。
いまの日本は、社員の人格や個性をないがしろにすると、すぐに人は辞めていきます。
辞めた人の個人の情報の拡散力、その影響力も計り知れない。
退職レポートが、定期的にホットトピックスになる時代です。
また要否は別として、先輩に怒られる機会はほとんどなくなったように思います。
いまの20歳台中盤は、「④厳しく指導型」を見た最後の世代かもしれません。
「④厳しく指導型」で鍛えられたら、自分はもっとすごい人になれる希望も込みかもしれません。
それは自分の成長が不十分と感じ、枝葉はわかったが幹ができていない不安も含め。
そんな若手の心の内を想像しつつ、僕の考えは①~④の単独ではないな、と思っていました。
1つの正解はない
当たり前ですが、人を成長させる要素に、1つの正解がないのは大前提です。
また、だれか一人を対象にしても、ステージによって効果的な方法は変わるもの。
これは子育てでも同様。
子どもの個性に合わせ、臨機応変、変幻自在、融通無碍に親が対応する。
ときにやさしく、ときに厳しく、高い高い連続30回だろうが、お馬さんぱっかぱっかだろうが何でもやる。
社会人同士も同じ、相手のタイプに合わせるのは基本。
仮に①~④単独で選ばなければいけなかったとしても、情報を集め相手が一番伸びる方法を選択する。
一番やってはいけないのは、逃避(退職)や、つぶれる(うつ病など)も含む状況でしょう。
現実は、単独ではなく「①引っ張り上げ型」「③放置型」「④厳しく指導型」あたりのミックスが基本だと思います。
相手が疲れていそうなら緩く、怠けていそうならガッツリ、たまに自分も休む(放置)。
対象が大人ではなく子どもの成長だったとしたら、どれが良いのか。
子どもの年齢が幼少期なら、基本は「③放置型」、たまに「④厳しく指導型」だと僕は考えています。
厳しい状況が人を育てる
個人的観測ですが、僕が見てきた「結果を残し続けている人」の共通点は、これまでの人生のどこかで想像を絶するくらいの経験をしていることが多いと感じています。
平成初期までは、まだワークライフバランスのような言葉がなかった時代でもありますが、月300時間以上就業などは無問題どころか普通。
違う要素ですが、劣悪な生育環境や、教育ママ、ブラック会社などで、厳しい環境を乗り越えている方もいる。
これらが結果を出すのと因果関係があるか微妙ですが、精神力や生き残る力はまちがいなく強い。
生存者バイアスもありますが、困難な環境を乗り越えられた人は結果を出しやすいのは、僕には一定の納得があります。
受容とは真逆かもしれませんが、現実、どこかの段階で厳しさを乗り越える経験は、子どもの生涯の財産になるのかもと思っています。
では、厳しい時期をどこに持ってくるのか。
典型的な例として、受験戦争があると思っています。
一般論でいうと、最初のタイミング小学校受験あたりなのでしょうか。
早い人は幼稚園受験もありそうですし、遅いと大学受験。
仮に子どもの実力より上の学校を狙うとするなら、かなりの努力や負荷が必要となる。
厳しい環境を、親が心を鬼にして作り出すのは、親の愛情なのだろうと、いまは理解できます。
厳しく接するのは一定年齢に達してからだとして、それ以前はどうするのか。
答えはその人の中にある
幼少期は、親の受容の上で社会の基本ルールを学ぶ、そして遊ぶことが重要だと思っています。
実際、子どもを持って思うのは、基本ルールを話すのは有効だが、あとはなるようにしかならないということ。
子どもは基本ルールをベースに、子どもは親や周囲に人の行動をじっと見て、それを真似している。
親が強制的に「ああしなさい」「こうしなさい」と言っても、口だけのゴメンナサイで効果ゼロどころかマイナス。
「放っておいても子どもは育つ」の格言通り、子どもは自分の考えてすぐに動くようになる。
その考える機会や力を奪わないようにするのは、親の務めのような気もします。
答えはその人の中にある。
僕は聞くだけ、何も足さない。
あれこれ教えようとしても、受け側が準備できていなければ無意味かつ、親側は徒労です。
レベルに合わないことをしても同じ。
その人に合った内容を、その人が自分の言葉で話す(話し合う)。
親や先輩は道案内役くらいにしかならない、とつたない経験から僕は考えています。
靴を履くような簡単な行為は特に、年長者側がつい手を出してやってしまいそうに。
年長者側は、自分の心を鬼または無にして、相手がやるまで待っている。
見ているととにかくじれったい、そこをグッと堪えるような。
さいごに
「真似る」が「学ぶ」の語源である通り、子どもは親から多くを学んでいると、日々感じます。
親側も子どもからたくさんのことを学ぶ、それを子どもを持って実感できました。
子どもを持つと、後輩や部下への余裕度が上がる。
子育て経験者は、たいていこの内容に頷くと思います。
子どもを持って、人を育てることについて、違った視点で見られるようになる。
子どもは言う事を聞かない怪獣。
乳児期から幼児期の過酷な修羅場を超えれば、少なくとも日本語が通じる大人相手なら、余裕が出るもの当然かもしれません。