いつの間にか箸も使える

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育児・子供観察

子育てで大変だった出来事を、いつの間にか超えている。
一山超えても次の山の子育てなのでつい忘れがちですが、ふとした時「あれ、楽になったのかも」と思う時があります。
子どもが生まれたばかりの0歳の頃の、3時間連続睡眠ができない時期。
振り返ってみると、その時期も大変だったなぁ、と思いつつ現在の違う大変さに翻弄されながら、当時を振り返ります。

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最初の山は乳児期

思い当たることが多すぎて、また状況がヘビー過ぎて、すでに忘れかけているものも多い乳児期。
子どもが10歳を超えているご夫婦に、乳児期の記憶を聞いても「大変だったけど、忘れたなぁ」が、多くの子育て経験者の実感のような気もします。

初産は特に、やがて訪れる「寝不足地獄」すら知らない、幸せな時期。
当事者にとっては、思い出に浸る余裕もなく、その後も違った荒波にもまれて、記憶が薄れるのも納得です。
「忘れる」行為が人間の防衛本能であることを、体感できます。
振り返りができる余裕が出てくると、現実はさておき「マタニティクライシス」が何を指すのかも、リアルに想像できます。

夫婦のうち、できる方がやる。
アクションした側は「やってやった」とは思わない。
サポートされた側は、自分の意にそぐわなくとも、その行為には謝意を持つ。

頑張りすぎて疲れないよう、やらなさ過ぎて自己嫌悪にならないよう。

子どもが2歳になるまでの、自分たちの生命をもおびやかす状況をうまく乗り越えられれば、その家族の結束は高まると思っています。
そんなチームであれば、次に来る荒波にも、お互いの動きを意識しつつ、背中を任せられる。

夫婦は戦友です。

幼児期になっても

「魔の2歳、悪魔の3歳、天使の4歳」

僕が経験して思うのは、そんなケースもあるし、こんな薄っぺらな言葉で片付けられるほど、単純ではないと思っています。
僕の同僚のご家庭では、3歳の子どもが怒って、僕の同僚のスマホをリビングのテレビに投げつける。
大型液晶テレビとスマホの画面それぞれに、クモの巣が張る。
他人事なので笑って聞けますが、自分の経験だったら、その感情をどうやって処理するか想像したくありません。

方や親の言う事を素直に聞いて、ほとんど手がかからない子のお話も聞きます。
ただ、そのママさんは冷静に「思春期に一気に爆発する時限爆弾かも」と自嘲気味に話すのに、僕は同意です。

どちらも極端な例ですが、大人の自分も含め周囲を見れば分かる通り、人間は凸凹。
子どももその例にもれず、その性格にあわせて、大人側がひらりと舞う。

柳に雪折れなし、暖簾に腕押し、馬耳東風。

子どもの「オモチャ買って買って買ってー」を、いつもは受け流しつつ、時に許可。
抱え込みすぎて、親側の自分たちが辛くなることは避けたいと思っていました。

幼稚園や保育園に入っても

乳児から少し大きくなって、子どもが園に入るころは、自我は確立されてきていますが、社会性はまだまだ。
友達とのケンカや、集団行動がイヤになる子も出てきます。

園生活では、同じ年齢の子どもの集団。
親として「うちの子は他の子に比べて遅れていないか?」の比較が簡単にできてしまう時期です。
差が大きく見えやすく、比較対象が単純になりやすいので、親側の懐の深さが試されます。

普通に大人の集団を想像しても、差は出るのは当たりまえ。
大人でも走るのが早い人もいれば、じっくり考える人が得意な人もいる。

弱点を克服しつつ、秀でた点を伸ばしたい。
たいていの親はそう思う気もしますが、親がそう思うのは勝手で、子どもは別人格。

理想論ですが、子どものどこかの能力がへこんでいると感じても、笑って「大丈夫」と言い続けたい。

いつまでたっても

子どもが大きくなっても、悩みの種は変わりつつ、常に課題はあるものと僕は想像しています。
それは子どもがいるいないに関わらず、普遍的なこと。

それは課題なのか、楽しみなのか。
本当に対応しないといけないことなのか、前提の確認。
子どもが失敗するのを込みトライさせるのか、親が少しだけ道を指し示すのか。

わが家の子どもは、それまでうまく使えなかった箸を使っての食事が、練習箸で即座に食べられるようになった時。
それはそれは嬉しそうに、通常、箸でつかむものではないパンなども、箸で食べていました。

後で聞いたところ、園の友達で箸をうまく使えるのを見て、自分もそうなりたいと思っていたそうです。
だから握り箸になっても、食べ物がボロボロこぼれても、かたくなにスプーンを使わない時期がありました。
それが、練習箸だと思い通りに、モノがつかめる。

外出時も「自分の練習箸を持参して」と要望するほどの、快感だったようです。
これが成功体験かは微妙ですが、子どもにとっても親にとっても、乗り越えた感ひとしおの出来事でした。

さいごに

僕はある時、家族で外食していた時、今回の話のとっかかりに気づきました。

子どもが自分でスプーンを持って食べられない頃、親が子どもの口に食べ物を運んでいました。
夫婦そろっている状況なら、片側の親が子どもに食べさせ、もう片側が慌てて自分の食事を食べる。
その後、役割交代して、もう片方の親も早食い。
親子1対1の状況なら、親は子どものモグモグの合間をぬって食べる。

それが、気が付くと子どもが自分で自分のご飯を食べ、親も自分の箸に集中できる。

子どもが、ハンバーグや空揚げなど自分の好きなメニューを、レストランなどで食べる非日常。
外食を楽しんでいる姿は、これが家族の歴史なんだと、独り言ちています。

「親の心子知らず」は自分が親になって、本当に実感できる言葉でした。
その横で、子どもはお子様セットについてくるオモチャに、目を輝かせています。