体育座りに対する反対論争が盛り上がっています。
廃止方向に決まってはいませんが、約半数が反対のアンケート結果が最近発表されました。
起源を見てみると、深く考えずに始まった様相の体育座り。
悪影響がある可能性が高く、時代に即していないものは淘汰されますければ、廃止で良いです。
約半数が体育座り反対派
いろいろな呼び方がある体育座り。
体育館で座る意味もあるらしいですが、別の呼称では「体操座り」「三角座り」があります。
この体育座り、2022年5月に以下のデータ開示で廃止議論が盛り上がり、Google Trendsでみると過去最高の検索数となっていました。
出典:【体育座り】学校での「体育座り」廃止、約半数が「良いと思う」(日本トレンドリサーチ)
前段に、2021年に山口県下関市の市立豊北中学校の取り組みが、テレビで取り上げられています。
市立豊北中学校では、屋内の集会での体育座りをやめてパイプ椅子に変更。
その結果、生徒の体の負担が少なくなり集中力が向上し、生徒が話を聞くようになった。
他に、女子生徒の制服スカートが気にならなくなった。
体育座りが日本独特なのか、床の座り方について世界情勢をネットで探してみたのですが、信頼性が高そうなサイトは見つけられず。
いくつかのサイトでは、体育座りは日本独自でアメリカでは女性でもあぐらが多いような記載がありました。
そもそも、床に座る習慣が欧米にはありませんが。
体育座りについて、以下、日本国内の理学療法士は「体に悪い」と警鐘を鳴らしています。
子どもの腰痛は中学生くらいから増える傾向にあります。体育座りだけで腰痛になる子は少ないかもしれませんが腰痛を悪化させる要因になっていると考えられます。
背中をピンと伸ばした体育座りの姿勢を保つには股関節の柔軟性に加えて腹筋や背筋の力も必要になるため、5分もすれば疲れて自然に背中が曲がってきてしまいます。背中を曲げずにずっと先生の話を聞くには強じんな精神力が必要になり現実的ではないと思います。出典:体育座り 腰痛との関係は? やめる学校も(NHK)
他にも、以下の情報もあります。
膝を抱え込む座り方は、内臓が圧迫され、座骨への刺激もあります
体育座りが、猫背を助長しているのか分かりません。
それでも、体育座りを長時間やると、自然に猫背になります。
猫背は、背骨の形状として悪影響です。
楽な座り方とつらい座り方
上のグラフの情報元に「楽な座り方」と「辛い座り方」のアンケート結果がありました。
出典:【体育座り】学校での「体育座り」廃止、約半数が「良いと思う」(日本トレンドリサーチ)
楽な座り方の1位は49.2%とほぼ半数のあぐら。
2位が18.6%で体育座りです。
体育座りを楽と感じる人が、約2割弱います。
他の座り方についての補足は以下です。
横座り・・・正座が片側にずれた形
長座位・・・座って足を伸ばした姿勢
跪座(きざ)・・・つま先を立てた正座
割座(わりざ)・・・正座から両足を外にした座り方、M字のような形、女の子座り
出典:【体育座り】学校での「体育座り」廃止、約半数が「良いと思う」(日本トレンドリサーチ)
上記はつらく感じる座り方の結果です。
1位は60.8%の正座で、正座慣れしていない現代人の大半は、同意する結果です。
体育座りは6番目の3.6%と、辛いと感じる人はわずかの結果です。
ここまでまとめると、体感値としては体育座り自体はそれほど苦にならない。
それでも、一部の学校は廃止、専門家の何人かも警鐘を鳴らしている。
継続か廃止か、2022年の時点ではまだ方向性は定まっていません。
統制が要因の1つ
日本で体育座りが普及したのは戦後。
1965年に文部省(現・文部科学省)から学習指導要領を補足する『集団行動指導の手引き』に記載されたものがきっかけのようです。
体育座りのメリットの1つは、場所をとらない。
当時は第2次ベビーブーム直前で、子どもが多かった時代です。
体育館に子どもたちを集め集会するとき、椅子をならべる場所確保が問題になったのではと予想できます。
立たせたまま整列が、1人当たりの専有面積は少ないですが、貧血などで転倒の危険性がある。
結果、床に座らせる手段として、体育座りが普及したと予想できます。
なぜこの時期、体育座りではなくあぐらや横座りではなかったのか。
当時の日本人の感覚として、女性のあぐら座りに対する「はしたない」感覚がいまより強かったように予想します。
ここから1つ出てくるエッセンスとして「統制」があります。
違う言葉で言うと「しつけ」や「協調性」です。
当時の日本は、決まったタスクを正確に早くこなす人の大量生産を目指していました。
全体の平均値を一定の水準まで上げる、下位をなるべく救う発想です。
一応、これが悪いと点ばかりではなく、全体平均値が高いのは日本の強みです。
識字率を持ち出すまでもなく、相手がこのくらいはやるだろう、やらないだろうが想像しやすい。
犯罪率が低い日本、社会の平和には、高い平均値は寄与します。
2022年のいま「子どもは地べたに座らせて置けば良い」発想の人がいるのか分かりません。
戦後世代はこの考えが強かったように、自分の親からの話などからは予想できます。
これは、子どもを一人の人間として見てはいない点が現代標準とは違っています。
戦後動乱期、食い扶持を減らす話がまだ残っていた点から、子どもの人権は二の次だったと予想できます。
いまは子どもはレアキャラです。
現役世代から下の世代で、子どもだから権利がないと考える人はマイノリティです。
悪癖は時間をかけて見直される
この文章内、一番上のグラフでは、体育座り廃止に賛成が49.4%、反対は6.7%です。
この数字からは、体育座りはなくなっていく方向に倒れると僕は予想しています。
僕も、体育座りには反対に1票、入れます。
理由は、身体に良くない可能性と、体育座りが何らかの理由で難しい人への配慮ができていません。
座り方も、ルールの強制(統制)ではなく、自分の頭で常識の範囲内で考えてやらせてみる。
寝っ転がるよう子がいれば、指摘するのが親や教師の役割です。
古いやり方は徐々に入れ替わっていきます。
良いものは残り、うさぎ跳びのように廃止されるものもある。
最近の傾向で、改革される理由としてよく見かけるのが、科学的根拠が出そろってからです。
うさぎ跳びが身体に悪い統計的証拠が積み重なり、根性論大好きな抵抗派と闘った結果、廃止に至りました。
説明できない悪癖は、残りにくい世相です。
『ファクトフルネス』には思い込みのアンチテーゼのオンパレードです。
人間が変化を嫌がる性質があるのは、歴史からみても間違いなく。
高齢になると「昔は良かった」という人が増えるらしい。
これは脳の機能でもあるらしく、楽しい思い出のみを思い出す、または自分に都合良く美化する。
トラウマのような辛い記憶で苦しむことを考えれば、妥当な機能です。
何にしても、正しくても間違っていても、人に強要する時点で老害です。
反面、自分の脳内、自己完結できる範囲内であれば、自分の好きにすればよい。
ただ、他者排除(異なる考えを受け入れない)が基本になっていると、受容力は鈍っていきます。
月並みですが、解決策は日ごろから非日常や難しい側の選択肢を選ぶようにする。
僕は子どもと遊びに行くとき「冒険に行こう」と言っています。
さいごに
座っている仏像(座像、座っている仏像)は、あぐらか立膝ばかりです。
少なくとも僕は、体育座りの仏像を見たことがありません。
(頭の中で、広隆寺の弥勒菩薩の顔で、体育座りを想像すると笑えます)
もちろん、仏像が体育座りしていないから、体育座りがマズイとはならず。
ただ仏師の頭には、体育座りの選択はなかったと思います。
あぐらの仏像は、全体シルエットが三角形。
東大寺の大仏のように巨大であっても小さくても。
三角形は安定した形であり、美しいです。